海神の落とし物
歴史の授業の後、ジルトはクラス副長と一緒に廊下を歩いていた。手には今日授業では使わなかったいくつかの資料がある。
先生が、副長とジルトで資料室に返却するようにと言ったのだ。クラス長であるバルディアは先生と一緒に資料を運ぶように言われており、本来ならこのお手伝いは副長のみで問題なかったのだが、先生が資料の多さからジルトにも手伝いを頼んだ。
「おや、珍しい。レーネ君、手伝いか?」
目的地である資料室からスロニウムが出てくる。恐らく授業の準備か片付けのためなのだろうが、彼とはいい思い出のないジルトは思わず足を止めてしまった。
「はい」
「そうか。では」
随分あっさりとジルトの前から去ったスロニウムは以前とは少し違っていた。
相変わらずジルトのことが気にくわない、といった表情だったが、王宮の書庫に連れていかれるまでとは違い、殺気のような荒々しい感情は消えているようだった。
スロニウムの姿を見送って、ジルトは資料室に入る。
「ジルト君、少し話をしてもいいかな?」
片づけが終わったところで、ここまで無言だった副長がジルトに声をかける。
まだ声変わり前なのか、少し高めの声はジルトとそう変わらない。
「うん」
断る理由もないので頷いたが、ジルトは警戒した。
彼自身との関りは殆どないが、彼の兄であるビジウム・シュンラはジルトの正体を知っている。そして、それを伝えたのは目の前にいるフリティアだ。
「これは賭けだったんだ。
時間割からして、デクネ先生がこの時間に資料室に来るだろうと思っていた。歴史の先生はデクネ先生が苦手だから、そのことを把握していて、資料室への返却を僕かバルディアに頼むと思った。そして、デクネ先生が目の敵にしている君を、嫌がらせで同行させるかもって」
「フリティアさん?」
「ごめんね、人と話すのは得意じゃないんだ」
「大丈夫だよ」
アンセモンも話すのが得意ではないといっていたが、フリティアはまた違う形で苦手なようだ。
「君はドラゴンの娘だよね」
急に本題に入った彼の言葉には疑うような気配は全くなかった。ジルトがドラゴンの娘であると確信して、前提であるかのように告げる。
「王宮にある魔力の源を、取り返しに行くの?」
(魔力の源?)
ジルトは一瞬何を言っているのかわからなかった。
「さっきの授業で先生が言っていた、王宮にあるドラゴンに認められた証のことだよ」
フリティアの言葉に納得しかけたところで、A.K.クラブ長であるガイラルの言葉を思い出す。
――私達の目標は、王族を王の座から引きずり下ろすこと。王族を王族たらしめている魔力の結晶を奪い、魔力そのものと象徴を奪うのだ――
(クラブ長が言っていた魔力の結晶がドラゴンに認められた証なのかもしれない)
「どうしてそれがドラゴンと関係があるの?それに取り返すってどういうこと?」
「どうしてって……」
フリティアにはジルトの疑問がわからないようだった。
兄よりも色の薄い藍色の瞳がせわしなく左右に動き、ぴたりと止まった。
「ああ、えっと。
ドラゴンに認められた証、魔力の源はもとはドラゴンのものでしょう?」
魔力に関するものなら、そしてドラゴンから与えられたものなら、たしかにドラゴンのものといえる。
「取り返すって言ったのは……」
フリティアは扉の向こうを気にしながらジルトに近づき、そっと告げる。
「――それは、ドラゴンが王族に与えたものじゃないから」
先程の授業の内容とは食い違うことを、フリティアは言った。
ジルトは驚いてフリティアを見たが、彼はジルトよりも扉に意識が向いていた。
(フリティアは、この国の歴史を知っているの?それを私が知っていると思ってたの?)
「フリティアさん、もう少し時間ある?」
「あるよ、でも、こんな所で色々話すのは危険かなって」
「他に誰か来そうな人がいるの?」
「ううん、この時間は誰も来ないはずだよ。クラブが始まる時間だけど、ここに用のある人は今までの時間で用事を済ませてるだろうし。ただ、人通りが少なくはないから……」
「そう、なら……」
ジルトは目を閉じ、この室内に薄い魔力の膜を張る。
「これで大丈夫だよ」
「今、何かしたの?」
「ここの場所の音が外に漏れない魔法を使ったの」
「魔法には基本的に呪文が要るはずだけど……」
「回復魔法と一緒で、誰でも使える空気の性質の魔法だから」
「そんな魔法があるの?どこかの古語の資料に書いてあった?」
「そんな特別なものじゃないよ」
ジルトはレオに教えてもらった。防音の壁を張るようなもので、回復魔法と同じく特別な呪文は不要だ。一つ違うのは、回復魔法ほど調整の難しいものではないという点だ。
クラブに行くようになっていくつも古い資料を見てきたが、そこに記されていたわけではない。
「古いものじゃないなら、あの人の魔法なのかな?
いや、今大事なのはそこじゃない、問題がなくなったなら、僕ももう少し話したい」
彼はふるりと頭を振ると、ジルトをじっと見た。
「ありがとう。
フリティアさんは、さっきの授業の内容――教科書に書かれていることとは違うことを知っているの?」
「うん、知ってるよ。
僕の家系は南部で文官を務めることがほとんどで、最近は王都で働くことが多いんだ。特に両親はかなり王宮内で重宝されているらしくて、王宮に呼ばれることも多い。次代も文官だろうと、教育の一環として僕や兄も一緒に連れて行ってもらって、書庫に入らせてもらうこともあるんだ」
子どもは王の前に連れていけなくても、王宮に入ればともに働く仲間に挨拶をさせることはできる。顔をつなぐという意味では一部で行われていることだ。
「書庫にはたくさんの書物がある。別に読む必要もないけど、両親の仕事が終わるまでは書庫から出られないから暇つぶしで読んでた」
「その中に歴史が書かれた資料があったの?」
「正確には違う。そういった可能性、教科書に記載されている内容とは違う事実があるのではないか、と疑える情報が少しずつ記載されいている資料をたくさん読んだんだ」
「そんなものがあったの?」
ジルトが書庫に入った時に見たのは圧倒的に魔法の本が多かった。おとぎ話や伝承のようなものもあったけど、目立った数ではなかったはずだ。
「何もなければ、気づかなかったかもしれない。
書庫に入った僕は、ある印が目に入った。最初は傷かと思ったけど、それは文字だった」
それならばジルトも見た。「A.K.」、アジュガ・キランのイニシャルだ。
「たくさん本があったけど、僕はその印のある場所にあった本を選んで読んだ。
古語の資料も多かったけど、家にある本は読んでいたし、昔の――特に魔女たちの本はよく読んでいたから、問題はなかった。
古語には詳しいつもりだったから、君が初めて来た日、教科書を読んだ時に驚いたよ。あまりにもすらすらと読み上げるし、発音が教えられているものと違ったから。あとで先生に聞いたら、最近の研究でわかった正しい発音だから音読を止めなかったと言われて、君がドラゴンの娘ではないかと思った」
まさか古語の発音からそういった考えを持たれるとは思わなかった。その時はまだ古語の発音を意識していなかったので、ジルト自身では気づけない観点だった。
「僕からも聞いてもいい?
君はもしかして、この国の歴史を知らないの?」
「知らないよ。私は、自分がドラゴンの娘だっていうこと自体、最近まで知らなかったの」
フリティアは本当に驚いたようで、しばらく声も出せないまま固まっていた。
「ごめん」
ようやく一言出したと思うと、また口を閉じて、しばらくして開く。
「君が海神の落とし物を持っているものだと思ってて……」
「海神の落とし物?」
「伝説上のものだよ。魔法の本と、魔法の鏡」
変な所で切ってしまいました。
続きます。




