ドラゴンの娘
「レオ、どこに向かってるの?」
孤児院を出てどれくらい経っただろうか。最年少のモーリが先頭を行くレオに声をかけた。彼は今日十一になったばかりだが、疲れた様子は見られない。どちらかというとモーリの後ろのジルトの方が疲れているようだった。
「北部の真ん中に、でかい山がある。そこに向かってる。あの山は魔の山で、山の端以外は普通の人間は入り込めないからな」
振り向かずにレオが答える。
「でも、それじゃ僕たちも入れないよ?」
「いや、行ける。イルが加護の魔法をくれただろ」
やっとレオが立ち止まり、振り返って自身の額を指さした。別れ際にイルが送ったキスがその魔法である。そこでやっと、うつむいたままのジルトに気づく。
「ジル!どうした?」
ジルトに向かっていくレオを見て、モーリはほっと胸をなでおろす。彼はジルトに何て声をかければいいのかわからなかったのだ。
「ごめん、レオ。何が起きてるのか、わからなくて……」
「大丈夫だ、ちゃんと説明する。だから――」
ぐらり、と地面が揺れた。しばらくして、どんと何かが爆ぜる音。
三人が音の方角を振り返る。孤児院のある方角から煙が上がっていた。
「レオ!」
助けを求めるように、ジルトはレオを見た。ぎゅっと眉根を寄せ、綺麗な瞳がぐにゃりと歪んでいる。昔から、レオはジルトのこの表情に弱かった。が、レオは無表情でジルトの腕を引く。
「いくつか森を越えた。あれが家だとは限らない」
「でも!」
「だめだ。行くぞ」
レオは譲る気はないようだった。ジルトは何か言いたかった。言わねばならぬような気がした。しかし、何を言えばいいのかわからない。いっそのこと泣き出してしまいたかったが、戸惑ったようにこちらを見ているモーリに気づいて、覚悟を決めた。モーリだってきっと同じ状況だ。だけど、今戻るべきではないと理解しているのだ。
「わかった」
一行はまた歩き始めた。
*
孤児院を出て五日が過ぎた。近くの森で交互に見張りをしつつ、夜を明かし、保存用の食料を食べる。そんな日を繰り返していた。幸い冬に活発な獰猛な動物は少なく、三人無事に山に辿りついた。ジルトがこの山を見るのは三度目だったが、以前中央へ行く際に通った山はずっとずっと低く感じたので、頂上が見えぬほど高い山に驚いた。
「前通ったのは山の端だ。ここは山の中央」
レオが説明してくれる。
「ここまで来れば誰か人が入ることもない。登りながら今の状況を説明する」
レオに続いてモーリ、ジルトも山に足を踏み入れた。
「ジル、この国の伝承は知ってるか?」
「伝承?」
「中央に居た時によく耳にした話だ」
「うん、覚えてるよ」
北部ではあまり流行っていなかったが、中央では色んな言い伝えや噂があった。
「アグノードは、昔はドラゴンがいて、豊かな国だった。でも恐ろしい魔女がやってきて国が荒れてしまった。それを倒したのが今の王族で、そのお礼にドラゴンから魔力をもらった。王はそれを国民にも分け与えた。ってお話」
そうだよね?と前を行くレオを見る。その手は強く握りしめられていた。
「そうだ。そうなっている。つまり、ドラゴンは魔力の象徴」
「ドラゴンっていえば、僕も聞いたよ」
レオとジルトに挟まれて山道を行くモーリが口を挟んだ。
「ちょっと前に死んじゃった有名な占い師が、変なことを言ってたんだって」
「変なこと?私は聞いたことない」
「なんかね、ドラゴンには娘がいて、その娘がこの国を破壊するって」
それを聞いて、レオが立ち止まる。ジルトに向かって話していたモーリは、レオの背中にぶつかって、小さく声を上げた。
「レオ?」
「他に何か聞いたか?」
「うん。その娘は赤い目をしていて、女の子なのに魔法を使うんだって。それですごい大きな魔力を持ってる」
「じゃあそこに追加しとけ。その娘はどんな言語も理解できるってな」
レオがくるりと向きを変えた。
真っ直ぐにジルトを見つめて口を開く。
「お前のことだよ、ジル」
「私が、ドラゴンの娘?」
「そうだ。昨日お前は異国の者と言葉を交わした。が、言語による障害はなかったはずだ。アグノードは異国の者をあまり信用していないから、その異国の者は必ず中央や南部の連中とつながっている。自分の言葉が通じたことを、そいつは誰かに話すだろう。そうしたら、お前の存在が知られる。実在するとなればそいつの情報をもとに大捜索が始まるだろう。だからイルはお前を逃がしたんだ」
ここまで理解できるか?とレオがジルトに確認する。
「私がドラゴンの娘だってことが知られたっていうのはわかった。でも、どうして捜索が始まるの?」
ジルトとて予想がつかぬ訳ではなかった。だが、自分のその予想を確かめたいような、否定して欲しいような気持ちでレオに問う。
レオはジルトから視線を外した。
「言っただろ、ドラゴンの娘は強大な魔力を持っている。それは王族だってはるかにしのぐほどのな。その力を利用したい輩は大勢いる。大丈夫だ、魔の山の中央にいる限り、そいつらの手が及ぶことはない」
真っ青になったジルトを気遣うように、レオは言葉を付け足した。
「とにかく、もう心配することはないんだ。イルやアンさんも無事だ。この山に唯一入ることができるのはこの国でイルだけだ。あいつはすごいやつだって、知ってるだろ?」
「うん、そうだね」
レオの言葉を心の中で反芻させる。すると何だか本当にそう思えてくる。不安を無理やり押しつぶして、ジルトは二人に続いて山を登り続けた。
*
「着いた」
夜が近づいたころ、ようやく目的地にたどり着いた。そこはイルが山へ入った際に使用する家だった。子ども三人が暮らしていくには十分すぎる大きさだった。
「必要な物は揃ってるはずだ。部屋もいくつかあるから好きなところを使え。モーリ、荷物置き終わったら手伝ってくれ。風呂を沸かす」
「はーい」
モーリはさっそくどの部屋にするかを決めに行った。
ジルトは入り口からすぐの居間をぐるりと見渡す。少し埃は溜まっているが、比較的清潔に保たれている。定期的に人が掃除していた証拠だ。物もまるで三人が暮らすことが決まっていたかのように、食器、家具が揃っている。
「ジル、もしお前が昨日異国人と喋ってなくても、学校に入る前にこうなってた」
「もう大丈夫だよ、レオ。ありがとう」
にこりと微笑むジルトは明らかに無理をしている。長年の付き合いのレオが気づかないはずもない。眉をひそめながら、レオは背負ってきたリュックを下ろし、中から袋を取り出す。
「イルからのプレゼントだ。開けてみろ」
言われるがままに中身を取り出すと、それは一冊の本と鏡だった。
「今までその髪の下を誰かに晒してはならないと言われてきただろ。お前自身も見るなと言われてたはずだ。一回確認してみるといい」
ジルトは持っていた本と袋をテーブルの上に置き、鏡に自分の顔を映した。そしておそるおそる顔の右半分を覆っている髪をどける。
「あっ」
初めて見る自分の右目は、モーリが聞いた話の通り赤い色をしていた。それも黒に近い、深い赤だった。その中の瞳孔は縦に長く、瞳の形も左目とは少し違っていた。
左右でちぐはぐな目に、ジルトは鏡を手から滑らせてしまう。レオがそれを受け止め、本の隣に並べて置いた。
「それがドラゴンの目だ。お前に姿を変える魔法は効かない。隠すしかなかったんだ」
「レオ、私――」
「大丈夫だ、ジル。お前はお前だよ。ドラゴンの娘であることは事実だ。だがそれだけだ。俺にとっても、イルにとっても、アンさんにとっても、お前は家族の一員だ。モーリだって何も気にしてないだろ?」
ゆっくりとレオの腕がジルトに伸びる。ジルトは自らレオに歩み寄って、その広い背中に自らの手を回した。頬に当たるレオの胸板はかたく、頼もしかった。
「レオ、ごめんね」
「何謝ってんだよ。俺こそずっと黙ってて悪かったな」
「ううん」
そっとお互いに体を離す。
そこへモーリがやって来た。
「レオ!準備できた!」
「よし、じゃあ行こう。ジルト、部屋を決めておけよ」
「うん、わかった」
ジルトは自分の持って来たリュックとイルのプレゼントである手鏡と本を持って、部屋へと続く廊下に向かった。
続きます。