王都の事情
無事にレオ達の近くの席に着くことができたジルトは、心配と共に迎え入れられた。
「大丈夫か?またデクネが余計なことをしたと聞いたが」
「大丈夫だよ」
ジルトの横にいたカトレアがそっとジルトの頬を撫でる。心配そうな表情だが、以前まで彼女を覆っていた殻のようなものが取れた気がして、ジルトは微笑んだ。
カトレアとは反対の方向からジルトの肩を掴んだのはシュレイだった。
「大丈夫じゃない。ジル、俺に一度――」
ジルトが振り向いた先には、シュレイの焦った顔があった。先ほど上級生に絡まれた時の一瞬の思考が届いていたのだろう。
だが人が多くなってしまったこの場所で、交信の話をすることはできない。それは魔女と狼の半獣人以外で交信を行えるという話を聞いたことがないからだ。万が一にもシュレイが半獣人であること、ジルトが魔女の子孫であることが露見してはいけない。
「ジル、何かあったのか」
シュレイが言葉を紡げなくとも、レオは気づいたのだろう。
青く澄んだ瞳がジルトを見据える。
「レオ――ええと、あったよ。あったけど、大丈夫だった。先輩が、助けてくれて」
レオに嘘をついたところで、何の意味もない。ジルトは正直に白状した。
「そうか。授業に関しては、俺達生徒では何もできない。どこのどいつか知らないが、お前が信頼できると思うなら、そいつに頼れ」
レオの返答は思ったよりも肯定的で、ジルトは少し驚いた。
いつもなら、それは誰なのか、信用できるに値するのか、一度は疑いの目を持つのがレオなのに。
「うん、そうするね」
でもそれは徐々にジルトが認められているような気がして、ジルトは嬉しかった。
「ジルト君は大変だね」
「どうせ一組の先輩だろ。やーな感じだよねぇ」
教科書を開きながら集まっていた面々が、ジルトに同情する。
(でも、助けてくれたのも一組の先輩なんだよね)
「おい、無駄話してる暇があるなら古語の発音でも練習してろ」
「ひえ、レオ先生は怖いなぁ」
「もう期末間際だろう」
「わかってるよ~」
何とも言えず固まっていたジルトをレオが助けてくれた。
「ジル」
生徒の塊から抜け出てきたモーリが、そっとジルトの後ろに立った。
「何?」
「ジルは最近、全部を話してくれないね?」
困ったように首を傾げるモーリに、ジルトはどきりとした。ジルトにだけ聞こえるように耳打ちしてくれたが、不意に視界に入ってしまったウォートと目が合ってしまう。それで、何となく彼も察したようだった。
「モーリ、わたし……」
「いいよ、ジル。ジルに言えないことがあるってわかった。それだけでいい。僕たちに言えないことがあってもね、それがあるってこと、それでジルが苦しいってことは言えると思うんだ。ジルは言いたくないかも知れないけど」
「そんなつもりじゃ、なくて」
言葉を紡げないジルトを、モーリは椅子ごと後ろから抱きしめた。
「うん、わかってるよ、ジル。無理は、しないでね」
モーリの声があまりにも優しくて、ジルトは思わず泣き出してしまいそうだった。
「モーリ、何の話をしてたのかな?」
「えー、秘密!」
気づいたカトレアが、ふざけてモーリをつつく。モーリもまた、それに答えるようにおどけて見せた。
「俺も、知りたいな」
「わ、ウォートが来るなんて珍しいね!」
「来ちゃ悪いのか」
「そんなことないよ、びっくりしただけ!」
ウォートがモーリに手を伸ばすと、
「あ、ウォート君、モーリをいじめちゃだめだよ」
「そーそー、モーリはまだ小さいんだから」
教科書を投げ捨てた同級生たちがその間に立ちふさがった。
「俺はいじめてなんかない」
「いやいや、そんな風には――」
「おい、お前たちは俺にいじめられたいんだな?」
レオの青い瞳が冷たい色を湛えて光った。
「ぎゃー!なんでバレたんだ?!」
「いいから席につけ!教科書を投げるな!」
結局モーリを庇った、もとい、勉強をサボりだした彼らはレオに引き戻されていった。
「ジルト、何かあったらいつでも言え」
こちらに振り返ったウォートは寂しさを隠して笑っていた。
近くにいたカトレアも、モーリも、同意するようにこくりと頷く。
「うん、その時はよろしくね」
(今は言えないけど、いつかきっと――)
*
全ての授業が終わり、ジルトが外に出ると、廊下で彼女を助けてくれた先輩が待っていた。あらかじめ一人で行動することは伝えていたので、ウォートは何も言わなかったがジルトの姿が消えるまで視線で追った。
「ぜひ掛けてくれ」
案内されたのは中庭で、綺麗に手入れされた花壇の中心にこぢんまりとしたテーブルと椅子があった。
「ほとんどの者は食堂で食事をするから、ここは滅多に人が来ない」
彼の言う通り、未だ校舎に残って活動する者の声は遠い。
「単刀直入に訊ねるが、君はドラゴンの娘か?」
「え」
鋭い藍の瞳がジルトを射抜いた。瞬間、さっと血の気が引く。
(どうして?この人と会ったのは今日が初めてなのに……)
「その驚きはどちらとも取れるな。失礼」
すっと立ち上がった先輩は、ジルトの喉元に手を伸ばす。何度か往復し、今度は彼女の服の裾からその下に手を入れる。
「ひぃ」
「すまない。冷たいが我慢してくれ」
されるがままの中、頭だけはくるくると回り、ジルトは過去にも似たようなことをされたのを思い出した。歓迎祭の時にジルトを殺すと宣言した男も、ジルトの喉や腹を触っていた。
「やはり君は女の子だろう?」
ジルトの服をもと通りに直して元の席に着くと、先輩はそう言った。
「のどぼとけも大きくないし、へその位置からしても、男ではない」
「そんなことでわかるんですね」
「ああ」
「でもどうして、私がドラゴンの娘だと思うんですか?」
先輩は眉根を寄せ不機嫌そうな顔をした。
「弟が、」
「弟?」
「君のクラスの副長だ。フリティア・シュンラ。ああ、まだ名前を明かしていなかったか。私はビジウム・シュンラ」
もう一度じっくりビジウムを見て、納得がいった。彼より薄い藍色の髪と目を持つ副長と口元がよく似ている。
「シュンラ家は古くから南部、それも王都で働く文官を輩出している。当然のように大抵の者は一組に入るのだが、弟は才能がないと言われていてな。二組のそれも副長に甘んじている。
あいつ自身自分には才能がないと思い込んでいるようだが、あいつは優秀だ。君の正体に気づいた」
そう言われてもジルトは副長との交流はほとんどなかった。
「まず最初に君が女の子であることには気づいていた。そもそもみんなが男の子として扱っていたのが不思議だったようだ。そんな中で君は桁違いの魔力を持ち、古語に明るく、常に優秀だった。極めつけはクラス長の変化らしい。彼のようにプライドの高い人間がどんな理由があって平凡な平民への態度を改めるのか。彼の家系はドラゴンを深く信仰している。君がドラゴンの娘であれば全ての辻褄が合う」
言葉を切ったビジウムに見つめられて、ジルトは言葉もでなかった。自分がそれほどまでに見られていたことに気づかなかった。
「物証がない以上は何も言えない。そもそもあいつにはそれで君をどうこうしようという気はなかった」
「それでも先輩には伝えたんですか?」
「どちらかというと、どうすべきかわからなかったから私に相談した。自分で考えるということをいつまでも覚えない」
厳しい言葉にジルトは息を飲んだ。レオだってあえてきつい物言いをすることはあるけれど、その声の中には優しさが滲んでいたはずだ。
「すまない本題に入ろう。私が言いたいのは一つだけだ。何もしないでくれ」
「それは、どういう?」
「誤解しないでほしいのだが、私とて、いや、王都の貴族でさえ今の王族には不満を抱くものが少なくない。今の王城は腐りきっている。だが、少し待って欲しい」
ビジウムの言葉に熱が入った。
「民の中にも無謀にも王権を倒そうと足掻く者がいる。だが所詮彼らは何の力も持たない。無駄に命を散らす姿をこれ以上見たくはない。現王権を倒したところで、その先に待つのは無秩序だ。新たな体制を作るとなっても時間はかかる。たとえドラゴンの娘であっても、政に明るい訳ではないだろう」
その言葉にジルトは何も言い返すことができなかった。実際にそうだ。彼女にできることは限られているのである。
「今の王はだめだが、次がある」
「次?」
「現国王の息子、次期国王は大変よくできたお人だ」
その人物を思い描いたビジウムの声はじんわりと希望を帯びていた。
「今はお父上の力が大きく行動を起こせていないが、国王とてただの人。彼が亡くなれば王位は次期国王のものだ。腐敗しきった王都の役人を一掃して新たな体制を整える準備もできている。
放蕩王子や出来損ないと言われることも多いが、その裏で独自に動き、私のような者にも声をかけてこの国をよい方向へ導こうと努力なさっている。だからどうか、もう少しだけ待って欲しい」
「どうしてそれを私に言うの?」
ジルトは打倒王政を目指すグループに属してはいるが、それの長というわけでもない。彼女の存在自体を明かしているわけでもない。そもそも、ビジウムがクラブのことを知っているはずがないのだ。
「巷間でも噂になっている。ドラゴンの娘を王にと信仰者が動いている地域もある。いずれにせよ、次の王は誰か、誰がこの国を導くのかという話になった時、ドラゴンの娘が真っ先に上がる。君自身、危険を冒してテアントルに入学したんだ。何かしら目的があるだろう。それが何かはだいたい想像できるが、それを待ってほしい」
もう一度頼まれでも、ジルトは返事をしなかった。事態はもう、ジルトが身を隠すだけでは済まない状況まで来ている。彼女自身の、ドラゴンの娘の所在がつかめていなくとも、限界まで追い込まれている民たちは決起する。それに、彼女自身が引けなくなってしまっていた。多くの人が巻き込まれていると知って、じっと待つだけなどできやしない。
「君には酷かもしれないが、君が動くことによって大切な人が傷つく可能性もあるんだ」
「私の大切な人?」
「君と行動を共にしているところを見ると、彼女自身ドラゴンの娘を王に据えたいのだろうが、王都の連中がそれを許さない」
「何?何の話をしてるの?」
「言っただろう。次期国王は出来損ないと言われている。では王都の連中の中で、次の王の候補に挙がるのは誰だと思う?」
急に話が変わってジルトはついていけなくなった。そもそも彼女は王都の事情に詳しくはない。そう言った話はカトレアが――。
「まさか」
「そのまさか。カトレア様を次期国王に押し上げようという動きもある」
「そんなこと彼女は望まない」
「そうだろう。だが、事を動かすには大義名分がいる。カトレア様を王にと騒ぐものが出てくれば、ドラゴンを王としようとした時、彼女は王政の象徴としてその身を脅かされる可能性があるんだ」
果たしてカトレアはそこまで考えていたのだろうか。
今ではすっかり元気そうだが、この前ジルトを見舞いに来たカトレアは酷い顔色をしていた。王族間での問題があるとウォートも言っていた。そんな大きな問題が、直ぐに解決するものなのだろうか。単に覚悟を決めただけではないだろうか。その身を捨てる覚悟を――。
――ジルは私の光だ――
――私は、ジルのためなら何だってするよ――
どうしてカトレアは王都から逃げていたのか。王族が嫌だと、そう言っていたはずだ。それで逃げて、ジルトを見つけて。そこから、彼女の思いはどう変わったのだろう。ジルトを新たな王にして、それで、自分は――?
金の髪と青の瞳がある限り、王政が倒されたあとなんの迫害にも合わずに生きていけるとは思えない。彼女自身が王族であるのは逃れられない事実であると認識していた。魔力の高い者は姿を変える魔法が効かない。瞳の色を隠せる道具がいつまでもつかもわからない。彼女は、ジルトを王にした世界で、生きていくつもりがあるんだろうか?
「彼女が望む望まないは正直関係ない。彼女には王の気質がある。もしかすると彼女自身意識しない内に、王座を望むかもしれない」
「そんな!だってカトレアは、ずっと王族であることを悲しく思っていた。王の座なんて望むわけがない!もしそうだとしても、彼女はきっといい王になる!」
「残念なことに人には抗えない本能も存在する。彼女が王になれば、今の状況はずっと変わらないだろう。君は知らないのか?彼女が幼い頃――」
「舌を失いたくなければ、黙れ」
突如冷え切った声が二人の間に割り込んだ。
ビジウムの顔の前にはいくつもの氷柱が浮かんでおり、鋭い先端が今にも皮膚を刺しそうだった。
「学校区で王都関連の陰口をたたくとは、シュンラ家も堕ちたものだな」
冷たい声の持ち主はカトレアだった。ジルとを心配して様子を見守っていてくれていたのかもしれない。
「カトレア様、ご機嫌麗しゅう――」
「黙れと言っただろう。そのまま去れ。この子に関しての口止めも要らぬな?お前たちが彼のために動いているのであれば、ドラゴンの娘の存在を周知するのは自殺行為のはずだ。現王の力が強まるだけだからな」
ビジウムは逡巡する間もなく、軽く礼をして中庭を去って行った。
「カトレア……」
「すまない、ジル。どうしても一人にはできなくて着いてきてしまった」
自分を落ち着けるように、カトレアはジルトから目を逸らし、額に手をやって溜息をついた。
「余計なことをしたね。権力をかさに人を脅すとは、所詮私も王族なのだろう」
「そんなことないよ。どう答えればいいかわからなかったから、助かった。カトレアはいい人だよ」
励ますための言葉に、カトレアはなぜか傷ついたようだった。ジルトを捉えた青の瞳に悲し色が宿る。
「ジル、私はいい人ではないんだ。いつか――いつか、私の罪を告白する。その時は聞いてくれるだろうか?」
震える声に、ジルトの方が泣きそうになった。
それは、ビジウムが先ほど話していた王の気質に関わるものなのだろうか。カトレアが王族を嫌悪するようになった原因でもあるのだろうか。
訊ねてみたいことはあったが、今は話せないカトレアにそんな質問をするのは酷だと思った。
「うん、約束するよ」
「そうか……ありがとう」
カトレアの穏やかな微笑みの裏には、諦めが見えた。だがジルトはそこに一歩を踏み出す勇気がなく、言葉少なに二人は寮へと歩き出した。
続きます。




