カトレアの不安
翌日、カトレアがジルト達の部屋に見舞いに来た。
「ジル、調子はどうだ?」
つやりとした果実が入った籠をジルトの机に置いて、ジルトのベッドに腰かける。
「カトレア!」
うつ伏せていたジルトがばっと起き上がり、うっ、と声を漏らしてまたシーツに沈んだ。
「大丈夫か?!」
「バカ、まだ安静にしてろって言っただろ」
自分の机で本を読んでいたウォートが、呆れたように言葉をかける。その中にわずかな焦りと心配を見つけて、カトレアはそっと微笑んだ。
「ジル、そのままでいいから」
「でも……」
「右側を下にしてなら横になってもいい。ゆっくりな」
今度はしっかりジルトの方を向いて、ウォートが言った。大きなけがは左肩と腰なのでそれならば負担にならないだろう。怪我自体は治っても、しびれはまだ継続している。
カトレアに手伝ってもらい、横向きにベッドに寝そべる。
「ありがと、カトレア」
「いいんだ。私は、ジルのためなら何だってするよ」
カトレアは薄い笑みを浮かべるが、その表情はどこか悲しげで、ジルトはそっとカトレアの手を握った。
「どうしたの?何かあった?」
カトレアは笑みを崩して、ジルトの手を両手で握り返す。
「私は、不甲斐ないなと思ってね」
「体育祭で、何か言われたの?」
ジルトは怪我を理由に体育祭に戻らなかったので後の様子がわからない。サクラからは『大丈夫』とメッセージが送られてきたが、それだけだ。
「王族か」
ウォートが本を閉じた。
「ああ。ジルを王族の目に入れるつもりはなかったのに、デクネが余計なことをしたおかげで、ジルの力が知れてしまった」
「引き抜きか?」
「将来的にはそうなるかもしれないと話していた」
「なら招待でもされたか」
「形だけな」
ジルトが不安そうにカトレアを見つめると、彼女は大丈夫、とジルトの髪を撫でる。
「引き抜きも招待も話は消した。まだ一年だと。まぁ、あの場で私より位の高い者はいなかったから、無理やり消したが正しいかもしれないけど」
「無理やり?」
「もし王都に迎え入れるなら、私の従者にすると言った」
「やるな、お姫様」
ウォートが面白そうに笑う。
「お褒めに預かり光栄だ。だが、今は力のある者が欲しいから、王に直接話を持っていかれると、ジルは直轄軍に入れられるかもしれない」
「直轄軍……」
「そう、虎のバッジをつけることを許された、武の者では最高位にあたる」
「くそみたいな地位だな」
カトレアとウォート、言っていることは真逆なのに表情が一緒で、ジルトは吹き出しそうになったが、何かが胸に引っかかる。
――俺はお前を必ず殺す――
低く憎しみのこもった声が脳内に響いた。
歓迎祭でジルトにそう宣言した男は、虎の顔のバッジをつけていた。兵士はみなそうなのかと思っていたが、カトレアの言う通りだとすると、その男は強い力を持っている。本当にジルトの仲間を殺してしまえるほどの。
すっかり青い顔をしたジルトを見て、カトレアはもう一度頭を撫でる。
「ジル、そんな顔をしないで。きっと私が何とかしてみせるから」
「カトレア……嬉しいけど、無理はしないでね」
もしカトレアがジルトを庇うようなことをしたら、彼女があの兵士に殺されてしまうかも知れない。
「大丈夫だよ。ジルは心配性だね」
カトレアにジルトの真意は伝わらない。ジルトが話せないから伝えられない。気をつけるように言うのが精一杯だ。
「カトレア、本当に気をつけろよ」
ウォートがジルト達の方を向いてカトレアに釘を刺した。
「王族間での問題もあるだろう。ジルトのことは俺達でも立ち回れるが、王都に関しては誰も手出しできない」
「ああ、心配ありがとう」
完璧な微笑みを浮かべたカトレアは、声が硬かった。
それは柔らかな拒絶であり、ジルトはそこに踏み込むことを躊躇ってしまった。
「そうだ、ジル。これからは休日でもなるべく制服を着るように。ジルの対戦相手がみっともなく君への文句を垂れ流している。口だけならまだいいが、今後手を出してくるかもしれない。護りは常に身に着けていて欲しい。
君の力を称賛し手のひらを返して取り込もうとする者もいれば、羨望や妬みから陥れようと企む愚か者もいる。これは今までにもあった流れだが、規模は大きくなっている。クラスが別だといつも一緒にはいられないから、本当に気をつけて」
「うん、わかった」
ジルトがしっかりと返事をしたのを聞いて、カトレアは立ち上がった。
「ウォート、ジルを頼む」
「言われずとも」
「それではね」
ジルトをもとのうつ伏せに戻して、カトレアは部屋を後にした。
「ウォート、王族で何か起きてるの?」
しばらく間をおいて、ジルトは訊ねた。
カトレアの様子は明らかにおかしかった。表情には出さない性格ではあるが、その分、隠された時にはわかりやすい。
「色々、な。お前が気にするのは自分のことだ。そっちのことは考えるな」
カトレアが言いたくないことを無理に聞き出すつもりはない。そう言われると、ジルトは黙り込むしかなかった。
*
ジルトとウォートの部屋を出て、カトレアは女子寮を目指す。
心の中はざわついたまま、落ち着かない。
さっきまでは。ジルトが手を握っていてくれた時はあんなにも穏やかな気持ちになれたのに。今はあのぬくもりは引いてしまった。
(うまく、笑えただろうか)
心優しいあの子を、薄汚れた連中のことで煩わせたくはない。心配してくれるのは嬉しいが、迷惑をかけるのは本意ではないのだ。
――ようやく研究員たちが解読に成功したのだ――
――なんと、呪いの魔法の中でも高度な傀儡の魔法を得たのか――
――あの出来損ないの王子も、それなりにはなるでしょう――
――カトレア様がお導きになるのだ。この国は安泰だな――
耳障りな声が頭から離れない。
次期国王。現国王の息子とは幼い頃に一度会ったことがある。王族なのに金髪に碧眼ではなく、春の風を感じさせるような穏やかな人だった。
まだ王族の、自身の歪さに気づく前だったけど、それでも、この人なら良き王になるという確信めいたものを感じた。
王家の血を引く者の中でも特に強力な魔力と、独自の魔法を持ち、王の息子という次の国王にはこれ以上ない程相応しい存在。それなのに、王宮では彼は出来損ないとされた。王の気質が全くない、と。
(何が王の気質。忌々しい)
自室の扉を荒々しく開ける。そこに同居人はいない。留守にしているのではなく、初めからいないのだ。
(学校区でさえも、平等は存在しない)
教室に入るたびに最初に挨拶をされる。媚を浮かべた瞳でいい席を譲られる。部屋に至ってはルームメイトがいないだけでなく、二人用の部屋以上に大きく豪奢な造りの部屋を一人で使っている。もともとテアントルに入学する女子は貴族の一部の子くらいで、空間など有り余っているだろうが、サクラの部屋は男子寮と変わらない大きさだった。
机の上に広げたままになっていた手紙を握りつぶすが、上質な紙はそれだけでは内容を隠してくれなくて、氷で覆ってから粉々に砕いた。
優秀な人材を見つけたな、と娘を褒めそやす文章だった。平民も偶には役に立つものだと、一度も役に立ったことのない男がよく言ったものだ。流麗な字も、平民から引き抜いた代筆者がいなければ書けないくせに。
胸の奥から込み上げてくる熱をどうにかしたい。けれどそうできる対象はもう砕け散ってしまった。発散させたい。ぐるぐると体内を渦巻くこの熱を解放してしまいたい。
気づいたときには、小さな氷の剣を手に握っていた。そして躊躇うことなく、自身の左手へと突き刺そうとする。――が、それは叶わなかった。
「何をしてるんです?」
懐かしくも聞きなれてしまった声がした。
本来なら、ここにいるはずのない者だ。
「バンダ……」
握られた右手首が痛い。カトレアの手から零れ落ちた剣はどこにも刺さることなく消え去った。
「何をしようとしていたのですか?」
繰り返された声は、普段のような軽薄さを欠いていた。淡々と吐き出されたはずの言葉なのに、それが怒りを孕んでいるのは容易に理解できた。重くのしかかるそれに、カトレアの目から涙が流れ落ちた。
ずっと押し込めてきたのに、こんな僅かな他者の感情に引きずり出されてしまうとは。情けなくて、涙は止まらなかった。
「全く、貴女って人は。行動がいつも突飛なんだから」
ふっとバンダが息を吐くのと同時に、張りつめていた空気が解けていく。
「随分お疲れのようですね。失礼しますよ」
バンダはカトレアの背中と膝裏に手を回して彼女を持ち上げた。振動を微塵も感じさせない動作で寝台まで運び、柔らかなシーツの上にゆっくりと横たわらせる。
「昨夜は眠れなかったのでしょう?今日は早くお眠りになってはどうです?」
「お前、なんでここに……」
「そりゃ体育祭の時期ですからね。視察に来てるんです。それに、私は貴女の護衛ですから」
バンダはゆっくりとカトレアの頭を撫でる。護衛が許される行為ではないが、親にもしてもらったことのないそれは存外心地よくて、カトレアはまぶたが重くなっていくのを感じていた。
「私と一緒に、この国を変えてくださるんでしょう?」
バンダはそっとカトレアの目を閉じさせる。
「ならまだ、くたばっちゃあダメですよ」
促されるまま夢の世界に落ちた。
久し振りに見る穏やかな夢に、カトレアは朝起きるのに久し振りに苦労した。
バンダはカトレアの護衛ですが、今はカトレアが学校区で過ごしているため、城で働いています。
カトレアの護衛なので、体育祭の王族護衛の一人として参加しました。本来なら体育祭終了時点で学校区を出ていますが、カトレアが心配だったので色んな手を使って翌日までは残れるようにしました。
続きます。




