祈りと誓い
「じゃあ、また明日ね」
クラス展示のあとテアントル近くの屋台を巡っている内に、すっかり日が暮れた。屋台や商店、家の先につけられた丸く薄いガラスの中に灯がともっていく。今は街灯は消されており、薄暗い世界でほろほろと燃える炎は幻想的だ。
歓迎祭は夜通し続く。が、日が沈んで以降は大人のための祭りとなり、学生の、特に低学年の姿は徐々に消えていく。酒を販売する店が増えれば、酔っ払いも出る。ジルト達もそれにならって、寮に戻ることにしたのだ。
サクラを女子寮に送ってから男子寮へと歩いていくジルトとバルディアを見送って、彼女は部屋に入った。同室のコリウスは家族と宿に泊まるので、今日は一人である。さっさと寝てしまおうと、シャワーを浴び、浴槽につかる。
疲れが流れ出ていくのを感じながら、サクラはふぅっと長く息を吐きだした。今日は色んな事がありすぎた。ジルトに会いに行こうと通りを歩いているときに貴族の青年に掴まり、聞きたくもない自慢話を聞かされ、ジルトとの待ち合わせ場所では彼女がドラゴンの娘だということが発覚した。その後はなぜか苦手だったはずのクラス長であるバルディアが加わって街を周った。
ジルトがドラゴンの娘であったことには驚きながらも、妙に納得していた。その魔力の大きさからではない。初めて会った時、彼女が隣の席に座ろうとした時、なんとも温かい気持ちになったからだ。
(初めは男の子だと思ってたけど)
クスリと笑みを漏らし、サクラは腰の位置をずらしてより深くお湯につかる。
(さて、彼はどんな反応をするんだろう)
机の上に置かれている通信機の画面表示が「送信完了」から「通知あり」に切り替わった。
*
寮に着き、バルディアと別れてから、ジルトは自分の部屋の扉を二回ノックする。同室のウォートが部屋にいることは滅多にないが、気まずい一件以来、必ずノックをすることにしている。また同じ場面に遭遇するのが怖かったのだ。
数秒置いてからドアを開けると、
「……おかえり」
ウォートが居た。
明かりもつけずに暗い部屋の中で、まるでジルトを待っていたかのように、椅子ごと扉の方に向けて座っていた。
「ただいま」
じん、と胸の底が温かくなった。彼と言葉を交わすのはずいぶんと久し振りだ。ずっと避けられていたが、一言話しかけてもらえただけで、そんなことはどうでもよくなる。
荷物を自分の机に置いて、椅子を持って行く。それに気づいたウォートが向きを変えてくれた。ジルトはウォートと向き合う形で椅子に座る。
魔力を使って部屋の明かりをつけると、暗闇では黒かったウォートの髪に紫の色が入る。蜂蜜のような深みのある金の瞳が、迷うことなく真っ直ぐにジルトを見つめていた。
「「あの」」
二人の声が被り、二人とも口を閉じる。
「先に言ってくれ」
「ありがとう」
ウォートの言葉に甘えて、ジルトから話すことにした。
「その、この前はごめんなさい。私、よく知りもしないのに失礼なことを言ってしまって。本当にごめんなさい」
頭が膝に着くほど頭を下げる。
「いや、あれは俺が悪かった。お前は身を案じてくれただけだろう。その時は少し、気が立っていて」
ジルトが顔を上げると、ウォートがふいと視線を外す。その時の行動を恥じているというよりは、そのことについて話したくない事情があるようだった。
「なぁ」
ウォートは再びジルトを見つめて口を開いた。躊躇うように二、三度口の形を変えてから、
「お前、ドラゴンの娘なんだろう」
確かに、そう言った。
ジルトはピシリと体が固まるのがわかった。努めて自然体でいようとするが、どういう表情でいるのが自然なのかが全くわからない。
昼間の暴走を見られたのだろうか?いや、あの時あの場所に人の気配はなかった。そもそも人が訪れるような場所でもないのだ。話が漏れるにしても早すぎる。
「落ち着け。俺はお前をどこぞに突き出す気なんてさらさらない。俺はずっとドラゴンの娘を信じ続けて来たんだ」
彼の目に嘘はなかった。強い信念がそこに宿っている。
「俺の妹は魔力量が多くてな。貴族の軍人であった父親が亡くなってすぐに王宮に連れていかれた。母親は抵抗して殺された」
ジルトは小さく息をのんだ。
「俺は北部の孤児院に入れられたんだが、回復魔法が得意で、それに気づいた院が連絡して王都に連れていかれることになった。母の命と妹を奪った奴等に利用されるくらいなら死んでやろうとも思ったが、俺の行動次第では妹が酷い目に遭わされる。
俺は与えられた課題をこなして、学校に通う年になった。俺を引き取った王族が金を払って俺をここにいれた。卒業後は奴らのもとで医師になるんだろう。……それで済めばいいがな」
ウォートは淡々と過去を語り、最後は諦めているかのように言葉を吐き出した。
「お前の秘密に比べたら、こんなこと、何でもないかもしれないが、一応誰にも全部は話したことのない話だ」
まるでジルトの秘密を知ったことのお詫びかのように語られた彼の話は、到底そんな扱いをできるものではなかった。
誰にも話したことのない、ということは話したくもないことであって、口に出すことで彼が嫌な気持ちになることだ。
「ああ、それと。この前見られちまった傷は、俺のことを快く思わない貴族様が憂さ晴らしに俺を殴ったり蹴ったり、その他諸々によってできたものだ。定期的にある。俺の回復魔法を知らねぇから、俺が王族に気に入られてここに通ってると思ってんのさ」
最早どうでもいい、といった表情のウォートではあったが、言葉の端々に怒りが滲み出ている。ジルトの言葉に彼が激昂したのも理解できる。彼は幼い頃から、ずっと、王族も含めた貴族に蹂躙されながら生きてきたのだ。
ジルトは言葉が出なかった。
ウォートは停止してしまったジルトをよそに、机の引き出しを開けて大切そうに箱を取り出した。真っ白な、手には丁度収まらないくらいの大きさの箱だ。その箱のふたを開けると、中身をジルトに見せるように傾けた。
ジルトはそれを見て、目玉が飛び出るほど目を見開いた。
「月の初めに決まって一度。それ以外は不定期に月に何度か、これが届く」
箱の中身は、人の髪の毛だった。
彼のように癖毛ではなく真っ直ぐな、彼と同じ色の髪。
「届くたびに、あいつはまだ生きてるんだって、でも直ぐにどうにでもできる状況にあるんだって思い知らされる」
愛おしそうに指先で髪をなぞるウォートの表情は、歪んでいた。泣き出しそうな、危うい表情だった。
「俺はこんなところでのうのうと暮らしてる」
絞り出すようにして出たその言葉は、ジルトに聞かせるためのものではなかったのかもしれない。
ジルトは胸が痛かった。同時に、ぞっとした。この国の上層部の非道な行為にだけではない。もし、ジルトがルギフィヤの声に気づいてあの山の上に登らなければ、ジルトはウォートや彼の妹のような人がいることを知らなかった。自分は穏やかな生活を続けていただろう。もし追われる立場にあっても、ひたすらに身を隠しただろう。
何か言わなければと思うが言葉が思いつかない。
「そんなつらそうな顔をしないでくれ。こんな状況でも俺が生きてこられたのは、お前のおかげなんだ。腐敗しきった王族が治めるこの国に、まだ誇り高きドラゴンの血筋が残ってるかもしれない。それだけで日々を耐えしのげた。俺が産まれたこの国は、まだ腐りきっていないのだと。祈る神がまだいると、そうわかっただけで十分なんだ」
実際に、目の前にいる、とウォートは薄く笑った。
「悪い。俺ばっかり。お前にきつく当たってたのに」
「そんなことない」
やっと出た言葉がこれなのか、とジルトは絶望したくなった。
ただ自分の存在を信じて、それに縋って生きてきた少年に対して、もっと他にかける言葉があるだろう。ドラゴンの娘として、何かできることがあるだろうに。ジルトはまだそれがわからなかった。
「あなたが悪いことなんて、何一つないのに」
自分を責めないで欲しい。推薦で入った者を、しかも強大な魔力を持つ者を、貴族と思ってしまうのはしかたがないことだ。それが一番自然なのだから。その貴族が世間知らずで、意味もわからず侮辱の言葉を口にすれば、それは腹だって立つだろう。そうなってしまうのは、貴族たちに酷いことをされてきたからなのに。
「何でお前が泣くんだ」
「ごめんなさい」
泣かないと決めたはずなのに。悲しくて、自分が無力で仕方なくて、ぼろぼろと涙が溢れてくる。ウォートがジルトの眼帯を外す。一度切れてしまった眼帯はサクラに縫ってもらったあとがついている。
ジルトが顔を手で覆っていると、一度席を立ちタオルを持って来たウォートがそれでジルトの頬を拭ってくれる。左右で形の違う瞳を、赤黒い右目を気味悪がることなく、丁寧に。
「ああ、確かに、優しいな」
「え?」
「何でもない」
ウォートはタオルをジルトに渡すと、再び席について彼女を見守る。そんな綺麗な涙を流せるものは、この国の貴族連中にどれだけいるだろう。
「私、きっと成功させてみせる」
涙を拭って顔を上げたジルトはきりりとした表情だった。覚悟のある決意をしたものにしかできない顔だ。
「王と話し合って、悲しいことの起きない国を作ってみせる。あなたも、妹さんも絶対に救ってみせる」
それができなければ、自分がドラゴンの娘に産まれた意味などないのだと思うほど、強い意志だった。
「お前が存在してくれるだけでよかったのに。なぁ、そんな高望みしてもいいのか?」
「それは高望みなんかじゃない。普通のことでなければいけない」
「ふ、そうか」
ウォートは薄く笑ってから、姿勢を正し、両手を組んだ。
「ドラゴンの娘、ジルト・レーネ。俺達を救ってくれ」
目を閉じて、白くなるほど手を握りしめて、ウォートは祈った。瞼の裏に映る妹はまだ幼い。せめて、もう一度会うことができたなら、それはどんなにいいだろうか。
「必ず」
真剣に祈るウォートに適当に返すわけにはいかなかった。絶対にと約束できるほどの力を、ジルトは持っていない。それでも、何としても、必ず。助けると、そう誓ったのだ。
ルギフィヤに感化されて山を下りた時には、何かしなければならない、王に訴えねばならない、という焦燥に近い使命感を持っていたジルトですが、
テアントルで自分が救うべきと考えている人々に出会い、その人達の想いやその身に起こったことをきくことで、徐々に自分に近いことして現在の惨状を捉え、使命感よりも願望に近い形に変化していきます。
実際に何をすべきかは(王への直訴はルギフィヤの受け売りでもあるので)まだまだぼんやりしていますが、
これからジルト自身の答えを見つけていきます。
わからないことに関してはレオを頼りに思う部分が大きく、そのレオもジルトに危険なことをして欲しくないという思いからジルトにヒントを出したり具体的な行動を提案したりしないので(意識的にも無意識的にも)、
そのスピードはかなりゆっくりになるとは思いますが、見守っていただけますと幸いです。
続きます。




