勝手なお誘い
ジルトは長い五日間の中間試験を終え、へとへとの体で学校区の端に存在する図書館に向かっていた。
ウォートとはあれから話すこともなく、実技でもパートナーなのに目を合わせようともしてくれない。ジルトが悪かったのだろうとは思うが、何が原因かがわからないため、謝ることもできていなかった。
実技を重ねていくにつれ、ジルトを認め、話しかけてくれる人が増えたのは嬉しいが、急に大人数を相手にするのはレオも言っていた通り危険なので困った。ジルトがあまり話さないのは声が高いのを気にしているのだという噂が流れたせいで、それを受け入れているクラスメイト達に声のことを気にする必要はないのだろうが。
クラスメイト達は放課後に歓迎祭の準備があるので、補講を受けていたジルトが人に囲まれたのは最初の方だけだったが、中間試験が終わり補講の必要がなくなったこれからは少し心配だった。
今日の試験は一限のみで終了後に囲まれそうになったが、試験の回答があっているかを確認したいからと言って阻止した。探しに来られても困るのでテアントルのある中心部の図書館には行かず、ジルトに首飾りをくれたファレンのいるという図書館に行くことにしたのだ。
休日を挟んで月曜からは歓迎祭が始まる。北部では祭りなどないに等しかったので楽しみではあるが、多くの人が関わる行事には慎重にならねばならない。
一組と二組のクラス長の取り決めを律儀に守っているジルトは、シュレイとの交信も避けており、増える悩み事を相談できず、精神的に疲弊していた。それを見かねたサクラが昼食に誘ってくれたので、図書館はそれまでの避難場所とも言える。
たどり着いた図書館はやはりしんとしていて、受付の老人が眠っているだけだった。レオ達と会議室を利用した時にはある程度利用者がいたはずっだったのだが。
不思議に思いながらもジルトは階段を上っていくが、四階にたどり着いたところで足を止める。のぼろうとしていた階段に、進入禁止の看板が立っていたからだ。
ジルトが戸惑っているとふわりと風が吹き、目の前に人が現れる。
「やあジルト、久し振りだね」
柔らかそうな灰色の髪に青い瞳。ファレンだった。
「さ、上がっておいで。大丈夫だから」
看板を無視して、ファレンはジルトの手を引きながら五階に上っていく。階段を上り切った先には古いが上等なソファと小さなテーブルがあった。その奥に扉があり、文字通りだとすればその部屋は禁書保管庫だった。
「さすがにここには入れないけどね」
ジルトの視線に気づいたファレンがにこりと笑う。
「それにしてもジルト、随分と印象が変わったね。その制服はテアントルか」
「色々あって。そう、テアントル」
あまり長く喋らないように意識し過ぎたせいで、ジルトは会話のやり方がちょっとわからなくなった。
ファレンはジルトの容姿が変わったことには触れても、男子用の制服を着ていることには言及しなかった。ジルトが魔力を使えることを知っているので、だいたい察してくれたのだろうか。
「学校生活には慣れた?」
「うん、やっと。まだわからないことはたくさんあるけど」
「ふふ、まだ少ししか経ってないものね」
ファレンはジルトをソファに座らせて、自身もその隣に腰かけた。
「ジルトは何か好きな食べ物ある?」
「好きな食べ物……」
アンの作ってくれるパンとスープは美味しくて大好きだったが、それは質問の答えとしては正しくないだろう。
食堂のご飯は美味しいが、これといって好きなメニューがあるわけでもない。
「難しいかな?じゃあ甘いものは好き?」
「甘いもの!うん、大好き!」
甘いものを食べる機会はそうそうなかったが、中央で暮らしていた時、一度だけイルが買ってくれたチョコレートの味は忘れられない。カカオの実を原料としてバターや高級品である砂糖を加えて作られたものだ。
「一度だけチョコレートを食べたことがあるの。すっごく美味しかった」
ジルトが目を輝かせて言うと、ファレンがくすくすと笑いだす。
「よっぽど美味しかったんだね。さっきまで落ち込んでたみたいだけど、元気になってよかった」
「あ……うん、ほんとだ。ありがとう」
久し振りに気をつかわずに話せる環境がジルトに元気をくれたのだろう。にっこり笑って礼を言うと、ファレンは照れたように顔を赤らめて笑う。
「別に僕は何もしてないよ。うん、ジルトは笑ってた方がもっとかわいいね」
今度はジルトが顔を真っ赤にする番だった。
「か、かわいくないよ」
後に続く言葉は思いつかなくてあたふたするジルトを、ファレンは微笑みながら見ていた。
「本当のことなのに。あ、そうだジルトは動物は好き?この前裏の通りで子犬が産まれたんだけどね――」
ファレンとの会話はどれも何気ないもので、日常の中の小さな出来事や、お互いについて話しているだけだったのに、ジルトは久し振りに楽しい気持ちになった。
楽しみにしていたサクラとの食事のために図書館を出る際にはもう少しいたいと思ったほどだ。
「送ってくれてありがとう」
出口まで一緒に来てくれたファレンに礼を言うと、彼はいえいえと謙遜する。
「また会いに来てくれると嬉しいよ」
「絶対に来るよ」
「そう、嬉しいなぁ。じゃあまたね、ジルト」
「うん、また」
別れの挨拶が終わると、風と共にファレンが姿を消した。
ジルトも図書館に背を向け、学校区中央に向かって歩き始めた。
テアントルの食堂に着いたのは午後一時頃。ピークの時間帯を過ぎた食堂はいつもより視界が開けて、サクラを見つけるのは簡単だった。
サクラのいる白い丸テーブルと椅子の二人用席の周りは、他と比べて人が多い。本を読んだり会話したりしている間にちらちらとサクラの方に視線をやっている男子生徒たちの中には、一人でいるサクラにお誘いを断られた者もいる。手を振るサクラの視線の先にいるジルトに一斉に注目が集まった。
「ジルト君、さっきぶりだね」
サクラがジルトの名を出すと、男子生徒の目に驚愕の色が浮かぶ。ここ数週間の間に、ジルトの噂はテアントル中に広がっていたのだ。
「うん、待たせてごめん」
「大丈夫よ、そんなに待ってないわ」
ジルトは食堂で選んだ定食をテーブルに置いてから、椅子を引いてサクラの正面に座る。
彼女の前に置かれているスープにまだ湯気が浮かんでいるのを確認して、ジルトは心の中で安堵する。
「試験お疲れ様。気にしてたところは合ってた?」
「え?ああ、えっと」
そういえば図書館には試験問題の回答の確認するために行ったのだと思い出す。
「ふふ、冗談よ。ごめんね、からかっちゃった」
サクラには口実だとわかっていたらしく、戸惑うジルトを見て楽しそうに笑った。前下がりの薄桃色の髪がさらさらと揺れる。
「月曜からは歓迎祭だね。ジルト君は誰かと一緒に回るの?」
「まだ決めてない」
ジルトの親しい友人たちはみな一組で、歓迎祭が終わるまでの接触を禁じられている。最近ではジルトにやたらと話しかけてくるクラスメイトもいるが、彼らとずっと一緒にいるのは疲れるため、誘いは断っていた。
「そうなの?だったら私と一緒に回らない?」
「いいの?」
サクラは容姿もいいが、性格も穏やかで、けれど芯がしっかりとしていて。男子生徒からの誘いも多数あったのではないだろうか。
「うん。ジルト君が一番話しやすいの」
「それは嬉しいな」
ジルトにとってもサクラは話しやすかった。
ジルトの何かを求めてではなく、ジルト自身を見てくれるサクラの前ではみんなより随分と自然でいられる。
「でも本当に大丈夫?コリウスさんは良かったの?」
「彼女は貴族だから、家族と一緒に回るの。中央は政治と関わりのある人は普段入れないでしょう?けど祭りの時は規制が緩むから、長期休暇以外で家族と過ごせる少ない時間なのよ。それに、歓迎祭は学校の行事ではあるけど、周辺の店や学校区外の市も賑わうから、貴族は護衛をつけるの。私はそういうのはちょっと苦手だから」
「サクラさんは家族は来ないの?」
口に出してからしまった、と思った。魔力の大きいサクラは幼い頃から王宮に上げられたと噂で聞いている。家族とのつながりはその時に切られている可能性が高い。
サクラはスプーンを持っている手をぴたりと止めたが、すぐに動きを再開してスープを口に含んだ。
「私は、来ないよ」
口の中の物を飲み込んでからサクラが言った。
声の調子はいたって普通だったが、若紫のきれいな瞳が揺れているようだった。
「ジルト君は?」
「私も来ない」
不安そうに訊ねられて即答する。
「そう、良かった」
それはジルトの家族との時間を考えてのことか、それともジルトも同じように家族が来ないことに安心したのか。どちらでもいいとジルトは思う。
「サクラさんは興味のある出し物とかある?さっき道で歓迎差のチラシをもらったんだけど」
楽しい話題を、と歓迎祭のチラシを制服のポケットから取り出した時だった。
「レーネ君」
ずん、と腹の底に響くような声が聞こえた。
嫌な予感を抱きながら後ろを見ると、クラス担任であるアンセモン・クリソスが立っていた。
さぁっとジルトの顔から血の気が引く。
サクラ目当ての生徒たちはジルトが席に着いた時から徐々に食堂を去って行き、周りには気を使うべき人がいなかった。ジルトはサクラの前では少し気が抜ける。声の高さも意識せず喋っていたため、何か不審に思われていないか心配だった。そうでなくとも威圧感のあるこの担任はジルトの苦手人物であった。
鋭い眼がぎろりと動いて、ジルトの手にあるチラシを見る。
「ああ、歓迎祭か」
かつてジルトに歓迎祭の展示の話に入る必要はないと言った先生だ。また何か嫌味を言われるのだろうかとジルトは身構える。
「丁度その話をしようと思っていた。レーネ君、歓迎祭の初日は昼まで暇でね。君を案内できる時間がある」
「え?」
ジルトとサクラの声が重なった。
これは、歓迎祭のお誘いなのだろうか。ジルトは拍子抜けして体の力が抜けてしまう。
「開始の花火が上がる頃に学校の入り口で落ち合おう」
あまりに突飛な話に、頭がついていかない。
「では、食事中に失礼したね」
ジルトが混乱の中にいる間に、先生は言いたいことだけ言って、ジルトの返事も聞かずに去って行ってしまった。
「白昼夢でも見たのかと思ったわ」
サクラの声でやっと、ジルトは自分が声を出せることを思い出した。
「え?どういうこと?」
「とりあえず初日は午後から一緒に回ることになりそうね」
「わ、私返事してないのに……」
何て勝手な先生だと思う。了承もしていないが断りもしていない以上、これは行くしかないのだろう。
やはりジルトはクラス担任のことを好きになれそうにはなかった。
続きます。




