古語
ジルトが来たのは金曜。他国の暦を使用するようになってから、アグノードは週休二日制となり、学校も土曜日曜は休みとなる。一日目は睡眠に使い、二、三日目は学校に関する諸手続きを行い、他の時間はレオ達と過ごした。
月曜、ついにジルトが学校へと足を踏み入れる日が来た。
テアントルは指定のブレザーを一番上に来ていればそれが制服となるので、喉元を隠すために首の長い長袖を下に着て、学校へと向かう。
同室のウォートは話どころかジルトに視線をよこすこともほとんどなく、そういった意味では着替えなどはしやすかったが、距離は全く縮まらなかった。
「ジルト・レーネ」
五十人一クラスの教室ではそもそも全員の自己紹介は詳しくされないとレオにきいていた。今まで休んでいたジルトは名前を言って礼をするだけで自分の席に向かった。
先生に案内された席は一番後ろの列の端から二番目で、その隣がウォートだったことに驚いたが、彼はずっと埋まらない席を知っていたようで、ジルトに一瞥をくれることもなかった。
教室の椅子と机は長く、数人が共同で使うものだった。後ろになるにつれて高さがあがっている。
ウォートと反対の席は珍しい女の子だった。前下がりの薄桃色の髪で若紫の瞳は垂れていて優しそうな印象だった。
「初めまして。私、サクラ・モンターニュ。よろしくね」
ジルトが席に着くと、こそりと名前を教えてくれた。柔らかい微笑みはモーリにそっくりで、みんなとクラスがはぐれてしまって不安だったジルトはじーんと胸が温まった。
テアントルは入学時に魔力量でクラスが振り分けられる。貴族であるカトレアやイルに認められていたレオ、そもそも人ではないシュレイ、そしてモーリまでもが魔力量が多く、一組に在籍していた。ジルトは入学前の検査や四月後半の魔力・体力テストを受ける機会がなかったので、セダムの申し出はあったものの、一つ下の二組になったのである。
一時間目は国語。文字にはあまり慣れていなかったジルトだが、イルにもらった本の日記を読むにつれて少しづつ語学は向上していた。
「では、さっそくだがレーネ君、この文を訳してみたまえ」
厳格そうな白髪の混じった短髪の先生が、ジルト達のクラス担任であり、国語の担当であった。
いきなり普段呼ばれない苗字で指名され、ジルトはどぎまぎしながら指定された文を見る。
「えっと」
「レーネ君、発言するときは起立するように」
「は、はい」
くすくすと笑い声が聞こえて、ジルトの顔は真っ赤になる。声が上ずらないようにしようとするも、大勢の前で話したことのないジルトの声は震えてしまう。
左隣のサクラが、ジルトを落ち着かせるようにジルトの背に手を当ててくれた。ジルトは深呼吸をしてゆっくり立ち上がる。
「“古の大地、緑豊か、川は清く、清浄な空気は生き物に住みよく、まさに極楽のようであった”」
必死に文字を追うと、クラス中がしんと静かになった。
みなが驚いたようにジルトを見ている。何か間違えたのかと、ジルトは焦る。初日から変なことはしたくないのに、と頭の中がぐるぐるする。
「“精霊、あちらこちらに息吹き――”」
パニックに陥ったジルトが続きを読み始めると、
「もういい。座りなさい」
先生が制止し、ジルトは糸の切れた人形のようにすとんと着席した。
「なるほど、古語は難なく読めるのか。推薦の理由にはなりうるな」
大きすぎる独り言を漏らして、先生は授業を続けようと黒板に向き直った。教室が少しざわりとして、最初の授業の空気に戻っていく。
ああ、これは古語なのかとジルトが気がついたのは着席して数分後だった。
――ドラゴンの娘はどんな言語も理解できる――
レオの言葉を思い返し、教科書を見直すと、それは確かにアグノードで現在使われている文字とは異なっていた。
イルはジルトが学ばずとも難なく文字を読めることを知っていて、それでも他の人と同じようにアグノードの言語を理解できるよう、文字の形や文法を教えてくれていたのだろう。
(やっちゃった)
これではドラゴンの娘だとバレてしまうかもしれない。幸い、先生は勉強によるものだと思ってくれたが、ジルトにとって何気ない行動が危険と結びついてしまうのは経験によって学んでいた。
落ち込んでいるジルトは気がつかなかったが、この時の教師や生徒たちの行動は推薦についての暗黙の了解を無視したものだった。推薦入学者には基本的に深く踏み込まない上に、推薦入学者であることを指摘するなど以ての外であるが、新米の教師が五枠あるうちの四枠を使っての推薦は異様だった。その内先に入学した三人の内二人は変色者で、もう一人も検査の結果相当量の魔力を有していることがわかっていた。魔力の多くない貴族向けの推薦制度なので、基本的には推薦入学者は五組に配属される。一組に入るような三人を庶民から見つけ出してきたことに対するやっかみが、貴族に利用されるしかない教師陣の中にはあり、逆に残った一人が何の変哲もなく病弱な黒髪黒目の生徒となれば、そこに矛先が向いてしまうのは自然ともいえた。
また、生徒たちは一組のレオ達や王族であるカトレアと仲良く過ごすジルトを目撃しており、そのことに対する妬みがあったのだ。二組にもサクラやウォートのような変色者は多い。つまりジルトは実力もないのに“上”の人達にちやほやされている人物だと映っているのである。
今回はドラゴンの娘としての力を学力として見せることができたが、学校では学力よりも魔力、魔法の実力が物を言う。ジルトが平穏な学校生活を送るためには、その力を見せつける必要があった。
二限目の社会の授業を終えたジルトは、ようやく緊張から解放され、チャイムが鳴ると同時に机に突っ伏した。
「ふふ、ジルト君、面白いね」
声をかけてくれたのはサクラだった。ジルトは首を回して彼女を見上げる。こういう時に髪の動きを気にしなくていい眼帯がありがたい。
「ね、今日は私と一緒にご飯食べない?」
嬉しい誘いだったが、親しくなればなるほどジルトの正体に気づかれる可能性も高くなる。仲良くしたい気持ちと、正体に気づかれたくない気持ちがせめぎ合う。魔力の高い少女はつまり、王宮に捕らわれていた可能性が高いのだ。
「ジール!ご飯食べようよ!」
ジルトが悩んでいる途中で、教室の扉から元気な声が聞こえた。モーリがジルトを迎えに来てくれたのだ。
幼くして一組配属となったモーリを見て、クラスメイトがざわつく。
「ごめんなさい、先約があったのね」
サクラが乗り出していた身を引く。それはジルトに寄って都合のいいはずの行動だった。このままずっと過ごして行けば、彼女と特段仲良くなる機会などなくなるだろう。
「あ、あの」
それでも、優しく話しかけてくれた少女を、友達になれそうな彼女を、ジルトは手放したくなかった。
「また、今度」
自分でも何をしているのだと思う。慌ててモーリのもとに向かい、言い逃げのようになってしまったが、教室を出る際ちらりと盗み見た彼女が嬉しそうに微笑んでいたから、ジルトはこれでよかったのだと思ってしまった。
*
テアントルに限らず、貴族の学校は付属する食堂でお金を払う必要はない。故に外に食べに行く学生は少なく、食堂は人でいっぱいである。いくつかある食堂の内の一つに、いつものメンバーが集まった。
「ジル、クラスはどうだ?」
それぞれが好きなメニューを選び、豪華な食事が並ぶ中、それにも手をつけずにカトレアが訊ねてくる。
「うーんと」
何といえばいいのかわからない。ジルトは一限の発言以降、クラスメイトから距離を取られている。だがジルトに実害があるわけでもないし、初対面の人物に対する反応としては正しい気もする。
「普通、かな。でも、隣の席の女の子が優しくて、いい子だった」
「そうか。それは良かったな」
嬉しそうにしつつもカトレアが眉を下げるのは、王族として王宮での少女達に対する行為に申し訳なさを抱いているからだ。ジルトは言ってからそのことに気づき、しまったと思った。
「ジル、何かまずいことでもしたのか?」
こちらを見もせずに言うレオには一限でのことがばれているのかもしれない。ジルトはうっと言葉に詰まりながらも、正直に話すことにした。
「なるほど。そういう反応になるのか。見下されるよりはましだな」
意外にもレオは怒らなかった。
「ジル、国語は満点を取れ。そうすればお前に変に絡んでくる奴は減る」
ジルトとしては言語がわかるのはいわばドラゴンの力であり、不正をしているようで嫌だったのだが、それを読み取ったレオに、才能は己の力だから不正でも何でもないと説き伏せられてしまった。
「でも月末には歓迎祭がある。ある程度クラスに馴染んでおかないとジルがきつくないか?」
「ジルは他人と仲良くなるのは得意だ。あとでいくらでも馴染めるさ。いきなり大人数相手じゃ、いつぼろが出るかわからない。しばらくはそっちに気をつかっておいた方がいい」
レオは難しい顔で、シュレイに言う。レオが言うのならそうかとジルトは納得しかけたが、
「レオ、ジルだっていつまでも子供じゃない。そんなに心配しなくてもいいだろう」
カトレアが反論すると、レオは不服そうに顔を歪める。
「そうだな。じゃあまずは二、三人くらいから――」
「それは君が決めることじゃない。レオは過干渉だ」
「何だと。俺はジルのためを思って言ってるんだ」
カトレアとレオの言い合いが始まってしまった。
こんな時にバンダがいれば、上手いこと二人を宥めてくれるのだろうが、今ここにいないというのが現実だ。
ジルトは困ってモーリと顔を見合わせる。今まではレオの言うことを信じてそれに従ってきた二人だが、カトレアだってジルトを思って言ってくれているのはわかる。どちらの指針に従うべきか、判断が難しい。
「レオ、カトレア。目立つから、一旦落ち着けよ」
二人の声量が上がる前に、シュレイが止めに入った。
しかし決着はつかず、結局ジルトの身の振り方はジルトに任されることになった。それは本来普通のことであるが、普通の身の上でないジルトにとって、自分一人の考えだけで上手くやれるかは心配だった。
続きます。




