再び攫われたジルト
皆が寝静まった夜深く、ジルトは体を揺さぶられて目を覚ました。
「ね、あなた、ジルっていうんだっけ?」
ジルトを起こしたのはイーリスだった。
「ちょっと家に忘れ物しちゃった。怖いから一緒について来てよ」
「明日じゃだめなの?」
「だめ。今すぐ必要なの。親に会いたくないから、夜の間に済ませたいのよ」
自分の隣ではライヤがぐっすりと眠っている。起こすのは忍びないが、何も伝えずにこの場を離れるのはだめだとジルトは理解していた。ライヤに手を伸ばすが、その手はイーリスによって止められる。
「こんなに深く眠ってるのに起こすのはかわいそうよ。書置きを残しておきましょう。それでいいでしょ?ここからそんなに遠くないから、朝日が昇るまでには帰って来られるわ。いざとなったら私が守ってあげるから、ね?」
イーリスが魔法を使えるのなら、一緒にいても危険は少ないかもしれない。ふと考えが過ったところで、行こう行こうと詰め寄られる。ジルトは押しに弱かった。
月明かりを頼りに、周辺の路地をぐるぐると回る。迷っているのではないかと不安になったが、イーリスは自信を持ってひたすらに歩いていく。ジルトにはもう宿の方向さえ怪しくなってきた時だった。
「これくらいでいいかな?」
イーリスが急に立ち止まった。
「もう着いたの?」
「はぁ?何馬鹿なこと言ってるの?」
振り返ったイーリスは眉を吊り上げる。
「あんなの嘘よ、嘘。あんたを外に連れ出すためのね」
一瞬、イーリスがジルトの正体を知っている敵なのかと思ったが、ジルトは違うと判断した。ただ、あまりよくない感情を向けられているのは確かだった。
「あの集団の中であんただけ魔力が使えないんでしょ?変色者は変色者で集まるべきなのに、魔力も使えないあんたがなんであそこにいるわけ?しかも弱いからって大事に守られてさ」
イーリスの変色者へのこだわりはわからないが、自分が気にしていたことを指摘され、ジルトは息が詰まった。
ジルトの所有する魔力は大きい。だがそれも使えなければ何の意味もない。みんなに守られている自覚はあった。その上、自分の存在によって迷惑をかけているのも気が重かった。
王に会い、この国の状況をよくしてもらう。その大きな目標に向かっている中で、自分が一番足を引っ張っているのが苦しかった。自分の立てた目標なのに、周りの人間を巻き込んでいるのに。けれど、それを言ってしまえばみんなに心配をかける。そして自分自身が慰めの言葉を要求しているようで嫌だった。
「固まっちゃった。自覚はあるのね。あなたはあそこにいるべきじゃない。じゃあね」
イーリスがジルトの横を通り過ぎて、すたすたと帰っていく。
追わなければ。自分では宿に戻ることはできないのに。それでも自分がみんなの前から姿を消せば、迷惑もかけないのではないかという考えが消えない。
わかっている。そんなことをしても更に心配をかけるだけだと。わかってはいるが、今すぐに足を動かせないほどに心は揺れ動いていた。
(戻らなきゃ。戻りたくない。みんなと一緒にいたい。でもいない方がいいのかな?)
知らずの内に、つーっと涙がジルトの頬を伝った。
「ああ、かわいそうに」
その涙を拭う者があった。音もなく現れたのは、白いローブを身にまとった男だった。優しく細められた黒い目、フードから零れ落ちる金の髪。
ジルトの瞳がその男を映した瞬間、彼女の体がかたかたと震える。
彼女はその男を知っていた。数年前に一度、十分にも満たない短い邂逅。その間に向けられた憎悪の視線。身を引き裂くような殺気。
「ふふ、嬉しいよ。俺のこと、覚えてくれてたんだね」
酷く優しい声で囁いて、ジルトを抱きしめる。
逃げろと頭ががんがんと警鐘を鳴らす。その一方で、体は氷漬けにされたみたいに動かない。手足の感覚すら奪われていく。
「これからはずっと一緒だよ、ジルニトラ」
その言葉を最後に聞いて、ジルトは気を失った。
*
遅いと思った。
空がだんだん明るくなっていくというのに、あの気に障る娘は帰って来ない。
少しやり過ぎただろうか?いや、あれくらいでいいはずだ。何の力も持たないあの子がなぜあれほど愛を受けているのか。理解できない、むかつく。
どうせすぐに足元に生えている植物に気づく。それが等間隔にどこまでもつながっていると。その先に、宿があるのだと。
机の上に置いておいたメモをぐしゃりと握りつぶす。
馬鹿みたいだ。のこのこと出会ってすぐの、しかもよく思われていないとわかっている人間についてきて、挙句その言葉を真摯に受け止める。
馬鹿みたいだ。こんな幼稚な嫌がらせをしている自分も。
ずっとあの場所に立ち尽くしているのだろうか。それとも印に気づかずにどこかを歩き回っているのだろうか。
誰かが目覚めるまでには連れ戻しておきたい。探しに行くかとイーリスが腰を上げた時だった。
「ジル!」
鍵を開けておいた部屋のドアが乱暴に開かれた。
また、その顔だ。他人から見てもわかる、あの子は想われている。
「お前、ジルに何をした?!」
こんな時間に起きていたらさすがにばれるか。突っかかってきたシュレイに足を引くも、努めて無感情に告げる。
「悪かったわね。その辺探せばすぐ見つかるわ」
「何を言っている?!急に消えたんだぞ?!しかも囮を使われた!ジルの魔力が抜き取られたんだ!」
イーリスにしてみれば、シュレイにこそ何を言っていると問い詰めたかった。
急に消えた?囮?そもそもなぜこの男はジルという娘の場所を把握している?それなら宿を出た時にでも気づきそうなものを。
混乱しているイーリスの周りを、ぼっと炎が取り囲んだ。後から静かに入ってきたレオが、魔法を使ったのだった。
「答えろ。お前は何者だ?」
「た、ただの人間よ。魔力は使えるけど」
身を守るようにして、イーリスは両腕を交差して、自分の肩を抱きしめる。彼女の返答に、レオは眉をひそめた。晒された青い瞳が、イーリスをじろりと睨む。
「ただの人間がどうしてドラゴンの娘を狙う?」
「ドラゴンの、娘?」
いったい何の話をしているんだ。双方で食い違う見解に、両者ともが戸惑う。
「はいはい、一回話し合おう」
室内に入って、シュレイとイーリスの間に立ったのはバンダだった。
「ライヤ、混乱してるだろうけど、レオ君の火、抑えて」
「あ、ああ」
イーリスの周りの火はライヤの氷によって包まれ、消滅していった。
イーリスは、聞かされた話が未だに信じられなかった。
ジルトがドラゴンの娘であること、シュレイが狼の半獣人でジルトの居場所がわかること、王都を目指して旅をしていること。
「前はジルの場所がわかったのに、今はわからない。距離とかじゃない。消えてるんだ。お前の話が本当なら、ジルが消えたのはだいぶ前なのに、ジルの魔力がそれほど遠くない所にあったから、勘違いしてた」
ぐるぐると落ち着きなく部屋の中を歩き回るシュレイ。それを心配そうに見つめるモーリとライヤ。そのことを理解しつつも話を進めるレオとバンダ。
「俺達はお前に話せることは全部話した。最後にジルと別れた場所に案内してくれ」
頼まれているが、拒否権はない。炎に囲まれた中で、初めて見たレオの瞳は凍えるほど冷たかった。もしかしたら、殺されてしまうかもしれない。
命の危険を感じながら、最期にジルトを置き去りにした場所に連れていくと、シュレイが鼻をすんすんと鳴らした。
「この匂い、この前のワープ野郎だ。だからあの時殺した方がいいって言ったのに!」
「落ち着け。あの魔力のない人間とワープの使い手は別の人物だっただろ。ジルの判断に文句があるなら本人に言え。見つけ出してからな」
レオが言うと、シュレイは大人しく黙った。代わりに、ひょこっと現れた尻尾が不安げに揺れている。
イーリスは初めて目にした半獣人の尻尾に腰を抜かしそうになったが、ぐっと足を踏ん張って堪えた。相手の機嫌を損ねるような行動はなるべく避けたい。
「くそ、これだけじゃわかんねえ」
悔しそうに拳を握りしめるレオに、モーリが悲しそうな顔をする。それに気づいたライヤが、その頭を優しく撫でた。
「そもそも、何でジルちゃんの居場所がわかるんだろうね?今回はともかく、前回は人の目なんてなかったし、目撃情報なんかあてにできないわけだろう?しかもシュレイ君への対策も施してった。やけに物知りな敵だね」
レオがはっと顔を上げる。
「研究者だ。研究者なら防御魔法の厚い研究施設を持ってるし、位置を特定できないようになっている」
「そうだね。じゃあ一度、宿に戻って目星をつけよう。ここにいても、何もできないよ」
一同は宿に戻ることになった。その中にはもちろん、事情を知ってしまったイーリスも含まれる。宿までの道中、混乱と恐怖に支配されたイーリスを眺めながら、バンダは何かを思い出そうと必死に記憶をたどっていた。
続きます。




