懺悔
ドラゴンが人々の前に現れてから一週間が経ち、ようやくジルトは一息つく機会を得られた。
アジュガはなるべくジルトに負担をかけないように手を回してくれていたが、それでもドラゴンの娘であり、今後の指標となる立場にある以上、すぐには姿を消すことができなかった。
ジルトにとっては、それもまた良かった。
今までの関係によって、元魔女狩り達とはすぐに離れることになり、慌ただしい中での別れとなった。クラムとは言葉を交わせたが、ジルトがクラムに保護されていた時、唯一会っていたトーチには会えずじまいだった。それどころか、何故か長老にトーチのしたことについて謝罪され、彼女のしたことを知り、どう受け止めるか落ち着かない内に時間が来てしまったのだ。
ジルトがドラゴンの娘として認められ、人の中で生きていくのだから、半獣人達も山から出られることにはなるが、たいていは魔の山に戻るということで、すぐの別れだった。シュレイはジルトが魔力を取り戻したことで、また儀式を行う必要があるということで、軽い挨拶しかできなかった。
寂しさや困惑に浸る間もなく、人々の間に引っ張り出されては判断を求められていたが(たいていはアジュガが支援してくれた)、それはそれで色々なことを考えなくて済んだ。
ようやく南部で働いていた人々にある程度全て任せられる段階になり、こうして休みを得たわけだが、ジルトの心はずっと落ち着かなかった。
久々の休みということは、あの日から個人的な時間が取れなかったということだ。そして、ジルトに時間ができたなら、まず向き合う人は決まっていた。
王宮にはいくつか部屋がある。客人を迎えるための部屋の一つに、ジルトはいた。
「最近、少し肌寒くなってきたけど、ジルは大丈夫?」
広い部屋にあるには少し小さなテーブルを隔てた先に、まだ見慣れない友の姿がある。
銀の髪に青い瞳。雪の精かと見間違えそうになる。
「私は大丈夫だよ」
「そう、良かった」
以前はどこか強張った雰囲気のあったカトレアだが、今はもう随分吹っ切れたように見える。
「カトレアは、最近どうなの?」
「私?最高だよ。もう私を縛る鎖はない。未来に怯えず生きられる。怯えられることもなくなった」
王族はなくなり、カトレアはただの学生となった。
王族の多くは、牢に閉じ込められている。今までの行いに対しての責任は、元王やその近くの人間にのみ課せられるはずだったが、自由の身となった元王族は、横暴に振舞う人が多かった。今まで許されてきた行為が、許されていたのではなく、ただ人々が逆らえなかっただけだということに、許されざる行為を自分がしているのだということに気づけない。結局は罪を犯し、抵抗して余計に罰を重くする者がほとんどだった。
だが、そうではない人達は普通の人間として静かに暮らしているのだという。そういった人たちが、親が捕まって行き場のない元王族の子どもたちの面倒を見ており、カトレアも遠い親戚に世話になっているのだと聞いていた。
「まあ、まだ距離を取られていると感じることはあるけどね」
それは仕方ないと思う。
王族の縛りが解けた人びとは普通の人に混じっていける色になったが、カトレアはどちらかというと近寄りがたい方向に変化した。彼女の持つ氷の魔法のように鋭さを感じさせるほど澄んだ髪は神秘的だった。
「それでも、以前のことを考えれば、これまでにないほど幸せだ。
この身に残る罪はそのままだけど」
銀のまつ毛が少し伏せられ、瞳に影がかかる。
「ジル、ここまで話せなくてごめん。
ビジウムの言っていた王の気質――まあ、もう王族なんてないけど、それに関して、私の罪を告白させてほしい。
私は、幼いころ、人に対して鞭を使ったことがある」
カトレアの話す内容は、かつてフレグが言っていた内容と同じだった。
「まだ物心ついてすぐの頃だった。父が、私を地下に連れて行った。
たくさん大人がいて、父に、こうするのだと手本を見せられてから鞭を打った。
大した力はなかったから、それほど痛くはなかっただろうが、私に打たれた人は酷く怯えていた。私はそれを見て笑ったんだ」
「カトレア……」
「まだ幼かったから、反応したのを面白いと思ったからじゃないか、そうバンダに慰められたこともある。
だけど私は覚えている。あの時、私は確かに喜んでいた。反応したからじゃない、怯えたあの顔に心が躍ったんだ。
周りは何も咎めなかった。それどころか、普通の子じゃない、王の気質だと持て囃した。代々の王はそういった気質があったと。
何度か行く内に、王子に会って、必死に奴隷を庇う姿を見て、何か違うんじゃないかと気づき始めた。少しずつ世の中を知って、王族以外の、王都に出入りする人間を、普通の価値観を知って、私は初めて異常なことに気がついた」
カトレアは口を覆うように手を置いた。
「恐ろしかったのは、それでもその喜びが消えないことだった。
地下に行かないようになってからも、私は変わらなかった。普段から怯えに喜びを感じる訳じゃない。悲しそうな人を見れば悲しい気持ちになるし、憐れに思う。それでも、たまにふと、仄暗い感情が胸をかすめる。意識して抑えないと、それが広がって、また、あの異常な私になってしまう」
青い瞳は閉じられて、ぎゅっと眉間にしわが寄る。
「ジルも、一度見かけたはずだ。ジルが元奴隷に酷い目に遭わされて、最初は怒っていたはずなのに、その後怯え始め、許しを請う姿に、私は――」
カトレアは言葉を続けられないようだった。
「ジルのように優しい人の傍にいていい人間じゃない。いつか君をジルを傷つけてしまうかも知れない。
いや、いつかじゃない。私は、ジルが傷ついていたあの時、あの男の言うように楽しんでいたのかも知れない、それをきっぱりと否定できない」
フレグがカトレアの過去を話した時のことだろう。あの時、ジルトは視界がぼやけていて、カトレアの表情まで見ていない。
「ジル、これが私なんだ。嫌になっただろう?
もう君の望みも叶った。私の望みも、君が叶えてくれた。
今、この時に、私との関係を切ってくれて構わない」
そう言ったカトレアは、うつむいて、震えていた。
「カトレアは、どうしたいの?」
「私は……言えない。言えば、優しいジルはそれを考慮するから」
「じゃあ、私の好きにしてもいいの?」
カトレアは一度ジルトを見て、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、これからも友達でいて」
青い瞳が見開かれる。
「ジル、」
「前も言ったけど、私が知るカトレアは優しい人だよ。
怯えている人を前にして、もし、気持ちが喜んでしまったとしても、カトレアはその人を傷つけたりしない。大丈夫だよ、カトレア」
ジルトは立ち上がって、カトレアの肩を包むように抱きしめた。
「あの時、カトレアは私を見て、笑ってはなかったと思うよ。私を助けるのに必死だったから。
会ったばかりの時に助けてくれた時も、きっと、カトレアはあの男の人を見て、喜んでなかったよ」
カトレアは自分ではわからない。あの時、自分がどういう顔をしていたのか。
はっきりとわかっているのは、あの地下での日々。自分の口角が上がった感覚を覚えている。
だから、時々、その状態になっているのではないかと、不安になる。笑おうと思って笑ったのではないから。自然と笑うような人間だったから。
けれど、ジルトにそう言われると、そう不安にならなくていいのではないかとも思う。あの元奴隷を見下して動きかけた口は、笑みを作るためではなく、何かを問うためにただ動いただけなのかもしれないと思うことができる。
何より、今こうして優しく接してくれるジルトがいれば、彼女の存在さえ胸に留めていれば、あの不気味な喜びが湧き上がったとして、それに支配される自分になど絶対にならない、なりたくないと思うことができる。
「ねえ、カトレア、これからも友達でいてくれる?」
「うん、うん。もちろん」
カトレアはジルトの腕に触れて、身を委ねるようにジルトの胸に頭を傾けた。
「ジル、大好きだよ」
「私もだよ、カトレア」
カトレアの頬を伝う雫は、ジルトの胸の中に吸い込まれて消えた。
カトレアのお話でした。
続きます。




