救済
ヒユは、ドラゴンの娘の体の下に自分の体を置く形で地面に着地した。
「どう、して」
ドラゴンの娘が倒れたまま訊ねる。
「俺は死なない。そう言ったよな?お前はどうして俺を庇ったんだ?
あの矢は、俺に当たるはずだった」
損壊した体が戻ったのを確認して、ゆっくりと起き上がる。
「理由は、ないの。あなたが危ないと、思ったから」
自分を殺そうとしている男に、よくもそんな慈悲をかけられたものだ。
だがヒユにはもう、ドラゴンの娘に対する怒りはなかった。
先程塔を飛び降りて、思った。もし、ここでドラゴンの娘が死ねば、自分は死ぬだろうと。やっと、人間に戻れるのだと。安堵した。同時に、ただ死ぬだけなのか、と思った。
ここまで人生を狂わされて、ドラゴンの娘が死んで、自分が死ぬ。それだけで終わる。別にそれでいいはずだ。それなのに、ヒユの心はまったく楽にならなかった。安堵はしても、自分の呪われた過去は清算されない。ただ人生が終わるだけ。
――君が救われるように手助けする――
リアンの言葉が、今になってようやくわかった。
ドラゴンの娘を殺して、自分の生を終えられたところで、ヒユは何も救われない。ただ恐怖から逃げられるだけ。呪いに従って死ぬだけ。
(ドラゴンの娘を殺せば死ねるのではなく、俺はドラゴンの娘が死ぬときに救われるんだ)
ドラゴンの娘に慈悲をかけられた。それもあって理解した。
ドラゴンの娘が死ぬときに、ドラゴンの歪から解放されるのは、彼女の慈悲なのだ。
彼女はまた、魔女の末裔でもある。やろうと思えば、後継を残すことだってできる。そうなれば、呪いは、魔力は続いていく。だから魔女狩りは血眼になって生き残りを探していた。
だがこの歪は違う。彼女が後継を残さなければ、死んだときに、魔力がなくなった時に、解けるといったものじゃない。後継を残していたとして、彼女が死を迎えた時に解けるのだ。
魔力ではなく、その魂に紐づいている。ヒユにはそうわかる。
自分がドラゴンの娘を殺して、この運命から解放されたとして、それは条件を達成したに過ぎない。そうではなく、ドラゴンの娘が死ぬときに、その慈悲によってヒユは救われる。
「しばらく休めばいい。俺はもうお前を妨害しない」
「え?」
「王宮の奴らが来たら守ってやろう。内部に張っていた結界も解いた」
倒れているドラゴンの娘を抱き起して、自分の体にもたれさせる。
「どうして、急に」
「気がついたんだ。あることに」
「それは、」
「それは、教えてやらない。きっとお前が気づかないまま終わるのが自然なんだろう。理由もなく、意図せずして敵を助けるようなやつなんだから。
だが、俺は気づいて欲しい。だから言わない」
ドラゴンの娘は徐々に解毒されてきたのか、全力で不思議そうな顔をした。
ヒユは思わず吹き出しそうになりなった。
「ま、気が向いた時に考えてみてくれよ」
もしこの少女が答えに辿りついたなら、その時はこの身が朽ち果てた後も、傍に仕えてやってもいいかもしれない。
*
一方、塔の階段では、レオとモーリに立ちふさがっていたリアンが動きを止めた。
それは二人も同じことだった。
「ジル!」
空いた穴から、ジルトが落ちていくところが見えていた。
「危ないよ」
飛び出そうとするレオの腕を掴んだのはリアンだった。
「離せ!」
「大丈夫だから。彼女が死んでたら俺も死んでる」
「どういう意味だ?」
「それにほら、ヒユが下敷きになってるでしょう?」
確かにジルトの下に藍色の髪の男がいるのがわかる。
けれど、この高さから落ちて無事なわけがない。もしジルトが助かったとしても、そのせいで人が死んでしまったら――それが例え自分を殺そうとしている相手でも――ジルトは耐えられないはずだ。
「心配しないで、そっちも生きてるよ」
呑気そうな声に緊張が乱される。
リアンの言う通り、しばらくするとヒユが起き上がり、ジルトを起こしていた。
「ドラゴンに歪められた者達って言えば、わかるかな?」
その言葉にレオとモーリの体が硬くなる。
「ああ、そんな警戒しないでよ。
まあつまり、あっちのヒユは不死、僕は不老不死の身だってことを言いたかっただけから」
「不老不死?」
そんな例はきいたことがなかった。
「不老不死なのに、僕が赤ん坊から成長してるのが気になる?答えは簡単だよ。
僕がこの身に呪いを受けたのは、僕がこの歳だった時だから。それ以降は成長していない」
この歳に呪いを受けた、ドラゴンの歪となったとするなら、それはドラゴンの咆哮があった時だ。
つまりリアンはドラゴンの誕生の時から生きているということになる。
「自分でも何が何だかわからなかった。魔女を滅ぼそうとしていたのは知っていたけど、僕は討伐に加わってはいなかったから。どちらかというと、今の平民みたいな感じでただ生きていただけだった。
最初に老いない体に気づいた時は、戸惑ったよ。ドラゴンは人間に魔力を与えた。それは魔女を滅ぼしたからで、褒美であるはずなのに、どうしてこんなことになったのかって。
それでも時間だけはあったからね。色々と調べてだいたいの事情はわかった。人間が魔女を滅ぼしたのは事実。でもそれでドラゴンは喜んでいなかった。悲しんでいたんだ。
確かに僕は人間だけど、何もしていないのにって思った時もあった。けど魔女も人間に何もしていないんだよね。あの頃の状況を理解できるようになってそう思ったら、もうどうにもならないなって思った。
こんな目に遭うのは、僕のせいなのか、ドラゴンのせいなのか、人間という種族の問題なのか。考えるだけ無駄だと思ったね」
リアンの目は静かだった。全ての感情を抜き去ったかのように、ただただ凪いでいた。
「とにかく、この身が元に戻ればいいと思った。それでずっと解放される方法を探してたんだ。
そして最近、ドラゴンの娘の存在を感じた。ドラゴンとはまた違う感覚で、僕の命の終わりはこの子が握っているんだと思ったよ。
予感はあったんだ。ずっと僕に似た存在を探していたから。各地で見られていたドラゴンの歪は、人間が迫害してっていうのもあったけど、明らかに数が少なくなっていた。そして、遂にある一定の年の子どもより下には存在しなくなった」
リアンがジルトに目を移す。
「あの子、今年一年生みたいだけど、本当はもう一つ下の子でしょう?魔の山より北の人達は正確に把握できていないから、これは勘なんだけど」
リアンの言うことは正しい。ジルトは本来、あと一年後に入学するはずの年だった。
「そして、その歪も変化していた。
魔女の性質からしたら、実際の誕生より前に存在していることになる。おそらく彼女がそうなった後以降の歪の形は変化している。
僕が不老不死だったのに、ヒユが不死なようにね」
それもそれで、少し大変だけどねとリアンは笑う。
「あの子は、ドラゴンの娘が死ねば自分も死ねることにばかり目を向けていたけど、気づいたんだろう。
彼女はこの呪いの発生には何も関与していない。むしろ彼女が生まれたことで、僕たちに救われる道が用意されたのだと」
それはレオやモーリには理解できない感覚だった。
「彼女を危険な目に遭わせてごめんね。ただ、僕はヒユの思うように生きて欲しかったし、このことに自分で答えを見つけて欲しかったんだ。
僕が何を伝えたところで、彼が救われるわけじゃない。彼女は僕たちを救う存在だから、僕にはそれが感じられたから、ヒユにもわかるんじゃないかと思ったんだ」
リアンは何も返せないレオとモーリに触れると、回復魔法を施した。
「僕も永く生きているから十分強いと思ってたんだけど、手加減できるほど君たちが弱くなかった。ごめんね」
「謝る必要はないだろ」
リアンにはリアンの考えがあってそう行動したのだ。レオ達はレオ達の考えがあって、リアンに立ち向かった。ジルトを危険な目に遭わせたことはともかく、レオ達の負傷はお互いがぶつかった結果だ。リアンも傷を負っている。お互い様だ。
「そうだね。
それじゃあもう君たちを足止めする理由もないから、行くね」
「ジルのところに行くの?」
モーリの言葉に、リアンは首を振った。
「いや、君たちが向かうでしょ?それに今のヒユは僕に会いたくないと思うし――」
それまで穏やかだったリアンの表情が一気に冷たくなる。
「――僕は始末しなきゃいけないことがあるからね」
リアンは壁の穴の向こう、王城を見ていた。
続きます。




