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はしめまして、の11月②


「ちょっとここで待っててね」


 見慣れた玄関に、見慣れないこどもを招き入れて、少々お待ちくださいのジェスチャーを試みる。

 不慣れな身振り手振りで通じたのかは不明だが、靴を脱いで室内に駆けていく小雪のあとを着いて来る様子は無く、大人しく玄関で待ってくれているようだ。


 ドタバタと洗面所に駆け込んで、洗面器にお湯を張るために蛇口を捻る。続いて浴室内の浴槽を簡単に掃除して、浴槽付近にある自動湯沸器のボタンを押した。

 洗面所に戻ると既に溢れるほど湯が溜まっていた洗面器を、そろりそろりと玄関まで運搬して、そのまま息をつく暇も無く洗面所に駆け戻る。

 棚からゴミ袋と両手いっぱいのタオル、そして部屋から空の段ボールを引っ掴んで、再びドタバタと玄関に舞い戻った。

 あまりにも普段運動をしていないため若干息が上がっているが、これで準備は完璧だ。


 小雪がドタバタしている間も、大人しく待っていた、というよりは立ち尽くしていたこどもの足元に跪き、玄関に空の段ボールを解体して広げた。

 慌てて解体したせいか、段ボールの端で指を切ってしまった気がしたが今は気にしていられない。


「ここの上に立ってもらってもいいかな?」


 言葉が通じないと分かってはいても、普段の癖で言葉にしてしまうから、もうそちらに関しては気にしないことにした。普段通りに話して、ジェスチャーを併用するという作戦である。


 小雪のジェスチャーが天才的なのか、それともこどもの頭が良いのか、今のところ意思の疎通はできていそうだ。


 こどもがそろりと新聞紙の上に移動するのを、よしよしと横目で見ながら、お湯を張った洗面器に浸して絞ったタオルをこどもに手渡した。

 シャワーに直行させようにも、全ての泥を流し終える前に確実に排水溝が詰まるため、まずはタオルで簡単に泥を落とそうと思ったのである。


「これで身体、拭いてね」


 ほこほこの温かいタオルを前に、こどもは瞳に困惑の色を浮かべたまま受け取ろうとしない。


(意味が伝わらなかったのかも)


 タオルを広げ、小雪よりも少し背の低いこどもの両頬を包み込み、わしわしと、けれども痛くならないように注意しながら泥を拭い取っていく。

 本当に、どうしてそうなったのかと思うほどに泥まみれだ。


 驚きと困惑に染まった瞳は、小雪の行動に異を唱えているようだったけれど、構わずに何度かタオルを取り替えながら泥を落としていく。泥まみれのタオルを洗面器で洗っても、結局その泥水を流した排水溝が詰まってしまうため、使用したタオル達はそのままゴミ袋に入れた。


 何度か繰り返していくうち、温かいタオルが心地よいのか、時折目を細めていたこどもの様子に少しほっとする。やがて、為されるがままになっていたこどもから、手を差し出された。


「?」


 疑問符を浮かべる小雪の、片手に持ったタオルを指差されて納得する。続きは自分でやる、ということなのだろう。

 あとは頼んだ、と片手に持ったタオルをこどもに手渡して、その間に冷めてしまっただろう洗面器の中身を入れ替えるために洗面所へと向かう。ついでに湯船を確認すると、湯を張り終えるまであと少しというところだった。


 ピリリとした痛みを覚えて指先を見ると、先ほど段ボールで切った感覚はやはり間違っていなかったようで、人差し指の切り傷から血が滲み出ていた。思いの外深く切ってしまったようだ。

 けれど普段怪我をしないので絆創膏などは無く、まあ後でいいかとティッシュで簡単に血を拭い、あとは見なかったことにした。


 ザバ、と冷めてしまった洗面器の中身を流し、代わりに蛇口を捻って新しいお湯を流し入れる。ジャバジャバと洗面器に溜まるお湯を眺めながら、玄関に残してきたこどものことを考えた。


(びっくりするほど綺麗な顔だった)


 こびりついた泥が落ちるたびに、そう思った。

 タオルで拭った頬はシミ一つない色白の肌で、泥で見えていなかった造形は、今では驚くほどに整った顔立ちだと分かる。 

 性別だけは未だに分からないが、美少女だと言われてもそうだと思うし、美少年だと言われても納得する。そんな中性的なうつくしさだった。


 タオルで顔を拭う合間に目が合うと、その度にわずかに揺れた琥珀のような瞳を思い出す。


(泣いてしまうのかと、思った)


 実際には出会ってから一度も顔を歪ませることも、ましてや涙を流す姿も見てはいないのだが。

 それでも揺れる瞳の中に、今にも泣き出してしまいそうな、そんなこどもの姿を見た気がした。


 不細工でも美少女でも美少年でも、別に何だって構わない。そんなことよりも、早くあの子の落ち着いた姿を見たいと、心からそう思った。



⬜︎⬜︎



 お湯でたぷたぷになった洗面器をよろよろと玄関に運び込み、こどもを補助しながらひたすら泥を拭う作業を続けて、ようやくこれならシャワーを浴びても排水溝は詰まらないだろうという状態になった。

 

 泥まみれのタオルでいっぱいになったゴミ袋の口を縛って玄関の隅に置いておき、靴を脱がせたこどもの手を引いて浴室へと誘導する。


「脱いだ服はこのカゴの中に入れて、お風呂上がりにはこっちの服を着てね」


 取り急ぎ小雪の部屋着用スウェットを用意してみたが、身長差を考えるとまあ着られるだろうとは思う。


 本当なら怪我を隠していないか確認するため、服を脱がせて身体を見ておきたい気持ちもあるが、流石に初対面の女に裸を見られるのは怖いだろう。

 念のためシャワーの使い方を簡単に説明し、お気に入りの入浴剤を落とした湯船にも、きちんと浸かるよう身振り手振りで伝える。こくり、と小さく頷いたこどもを残して、とりあえず大丈夫そうかなと脱衣所を出た。


「さてと」


 さすがに新品の下着は無いため、こどもの入浴中に最寄りのコンビニまで買いに行かなければならない。コンビニまでは徒歩5分の距離なので、行って戻ってきても十分間に合うだろう。


 足早に自室を出て施錠したあと、これまた足早にコンビニへと向かった。


 下着については女性用と男性用で違いがあるため少し悩んだが、最終的には両方をカゴに入れた。最後の泥を落とす過程で少し見えた身体つきから、小雪の中では男の子なのではないかと思っているが、少し筋肉質な女の子の可能性も捨てきれない。やはり大は小を兼ねるのだ。


 ついでにお弁当、サラダにカット果物、そしてパンなど目についた食料品をカゴに追加していく。

 おでんを食べて少し落ち着いたようには見えたが、やはりあれでは量が足りないように思う。


 使わないかもしれないが、念のためにと最後に歯ブラシをカゴに追加して、レジで手早く会計を済ませた。

 


 歩き慣れた道を足早に進んでアパートの自室に戻ったつもりだったが、スマートフォンの時計を見ると、家を出てから既に20分が経過している。

 やはり下着コーナーの前で悩みすぎていたらしい。

 湯船に浸かっているだろうからぎりぎり間に合うと信じて、レジ袋から下着を取り出し洗面所へと向かう。


 扉を3回ノックして暫く待ち、返答がないことにほっとした。


(よかった、まだ浴室からは出てないみたい)


 ガラリとスライド式の扉を開けて、よし今のうちに下着を置いておこうと浴室横の洗面所に足を踏み入れて。

 そうして、ほこほこと湯気を纏う美しい生き物と、目が合った。

 

 蜂蜜を溶かしたような琥珀色の瞳は、相変わらず宝石のように煌めいていて、そして見たことがないくらいに見開かれている。

 そりゃそうだ。

 全裸で出てきたところでほぼ初対面の女に遭遇すれば、誰だってそうなるだろう。


「ごめ、これ、あの」


 思わず息を止めていたことを自覚して、それでも動かなければと発した言葉は、動揺をそのまま乗せてまるで意味を成さない。

 人間は、突然の出来事に弱いのだ。


 まるで物語におけるお決まりのような展開を、まさか自身で繰り広げることになるとは思わなかった。定番の展開というのは、やはり起こりうるからこその定番なのだろうか。

 とは思ったが、ノックの意味が分からなかったか、こどもが咄嗟に言葉を返せなかった間に小雪が入室してしまったかのどちらかの可能性が高いと考え直す。


 兎にも角にも退出しなければと、視線を泳がせながら手に持っていた下着を「本当にごめんなさい」という言葉と共に、これまた固まってしまったこどもに押し付けた。


 その後過去最速の瞬発力を見せて洗面所からの離脱を決め、そうしてリビングへと走り帰って蹲る。


(びっくりした)


 なんだあのうつくしい生き物は。

 

 顔の造形が整っているのだろうとは思っていたが、入浴後に全ての汚れが取れた姿を見ると、迫力がまるで違う。すごい。顔面が強い。


 まじまじと見ていたわけではないが、テレビの中でもそうそう見ることのないうつくしさが、鮮明に脳裏に蘇る。

 

 泥で汚れていた頃にはよく分からなかったが、本来の髪色は綺麗なミルクティー色だったようだ。牛乳をたっぷり入れたミルクティーのような髪が光を透かし、琥珀のような瞳とも相まって文字通り輝いて見えた。


 また、すぐに目を逸らしたが思いがけず見ることになったその身体は、痩せてはいたが目立つような傷は無かったようだ。よかった。

 

 そしてこんな方法で確認することになるだなんて夢にも思わなかったが、性別は男の子だった。別に性別なんてどちらでも良いし、美醜だって何でも構わないと思っていたが、いざ保護したこどもが特等の美少年だとわかると流石に動揺はする。


 やましい気持ちは微塵も湧かないが、例えるなら天界の妖精さんを小屋に招き入れてしまったような、そんな感じがして落ち着かないのだ。

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