悪女と呼ばれた令嬢と情けない王子様の話
色々と粗い部分はありますが、どうかご一読いただければ有難く存じます。
その日、アンナ・サザオールはあるサロンへと呼び出されていた。本来なら、公爵令嬢である彼女は相手を招待をする側であって、その逆では決してない。なのに、彼女がわざわざ招待に応じ、サロンに赴いているのは如何な理由によるものか。
答えは簡単である。
アンナを呼び出した相手が彼女より上位の存在、即ちこの国の王太子にして婚約者であるエドワード・オルドリッジであるからだ。それだけなら、まあ喜ばしいことなのだろうが、彼女の顔色は優れなかった。
――きっと、婚約破棄を言い渡されるのね。
最近学園ではある噂がまことしやかに囁かれていた。曰く、アンナとエドワードはあまり上手く行っておらず、近いうちに婚約が破棄されるであろう、と。そして彼女にとって誠に遺憾なことながら、それを裏付ける証拠がいくつかあがってきているのだ。
例えば、最近エドワードから露骨に距離を置かれていたり、話しかけようとしても彼の友人が間に挟まって顔を合わせることすらできない。
それだけでもアンナの気持ちは深く沈んでいくのだが、さらに悪い事実がもう一つあった。
彼女の親友、エレインがエドワードと仲睦まじい様子で談笑しているのを見てしまったのだ。正直なところ、エドワードはそういうことをする勇気がない、もっと言ってしまえばヘタレな部分があると思っていただけにアンナは動揺を隠しえなかった。
動揺?
いや、違うだろう。彼女の心は驚きだけでなく、締め付けられるような痛みを覚えていた。
――存外、私もあれで殿下のことを好きだったということかしら。
真に嫌いであるならば、寧ろ喜びを感じたであろうし、無関心ならば驚きは感じるだろうが、それだけであっただろう。
ならば、この感情は、そう、きっと悲嘆と呼ぶのだろう。
ドアが三回ノックされる。
――せめて、元婚約者らしく最後くらいは堂々としていなくては。
居住まいを直し、入ってくるようにと、ドアの向こうの相手に告げる。果たして、そこにはエレインと並んで緊張した面持ちのエドワードがいた。
――殿下がご友人を連れてくることまでは想像していなかったけど。
貴族院議長の長子のダグラス、近衛兵団団長の次子のウィルバーに、王国屈指の商会ハリソン・カンパニーのジョシュア。そうそうたる面子を引き連れての参上だ。その険しい面持ちを見るに、きっと彼らの中ではアンナは極悪非道の女として捉えられているのだろう。
「……さっさと、こんな茶番は終わらせてください、殿下」
ジョシュアが真剣な面持ちで話す。それを聞いて、エドワードはエレインとダグラスをそれぞれ見て、二人がゆっくり頷くのを見て漸く口を開く。
「え、えと。やあ、アンナ。今日は、ちょっと、いや結構大事な話があるんだけど。えっと、その……」
「エドワード、がんばれ!」
ウィルバーがエドワードに応援、というか叱咤激励の言葉をかける。ジョシュアに同意したくはないが、これでは確かに茶番だ。
「婚約破棄ですか?」
「うん、そうそう、その婚約……えっ!」
驚きたいのはこちらだ、という言葉を飲み込んでエドワードを見る。しかし、彼も何も言わずに唖然としている。
――あまり、やりたくないけど。
どこか助けを求めるように、エドワードの友人とそれから元親友のエレインを見る。
が、彼らもウィルバーを除いて、何故か口を開けたまま固まっている。仕方ないので、アンナは彼らの代わりに口を開く。
「ええと、はい。婚約破棄の件は承知しました。ですが、理由を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
本来、こういうのは私が周囲に断罪なり何なりされて話が進んでいくものではないだろうか。少なくとも、こちらが話を進めていくのは何かが違う。
アンナは内心苛立ちながらそう思う。
とはいえ、こんな用件はさっさと終わらせたいのはこちらも同じだし、そもそもここにいることが辛すぎるのだ。
「殿下、あの発言を……」
「え、ええと。お、怒らないで聞いてね」
「ええ」
実際、アンナは怒って無かった。寧ろ、こんな事態に至ってもエドワードがエレインに助けてもらっている惨状を見て呆れかえっているくらいだ。
「ま、まず。僕はアンナ、君が好きだ。愛している。それこそ、何を捨てても惜しくないくらいに」
「……冗談ですよね?」
本当にわけがわからず、思わずエレインを見る。だが、彼女も本当に残念そうな顔で首を横に振るだけだった。
そんな女性たちを無視してエドワードは堰を切ったようにしゃべり続ける。
「愛しすぎていて、ずっと君だけを見つめて餓死するのもやぶさかでないくらいだ」
「はい」
「でも、僕の立場上、君だけを見ていると国を傾けかねないし、そもそも僕は王の器じゃないし、ええと……その……」
「申し訳ございません。簡明に説明してくれませんか」
アンナはしどろもどろになり、何を言っているのかわからないエドワードを叱る。彼は一瞬肩を震わせるが、やがてゆっくりと口を開く。
「君を不幸にしたくないから、婚約破棄をする」
「……他の方、説明してください」
「えっ」
エドワードを差し置いて、ダグラスが前に出る。
「まず、この様な事態を引き起こしたことを陳謝いたします。申し訳ありません」
「謝罪はいいから、事態の説明をお願いいたします」
ダグラスはアンナに頭をもう一度下げてから、説明を始める。
「まず、昨今の我がイルキンティラ王国を取り巻く環境や宮中が殺伐としているのはご存じですね?」
「勿論」
海を挟んだ隣国ファランサとの植民地獲得競争に、閥族派と平民派の党派抗争。学園にいても、宮中の問題を聞かない日はない。
そして――
「エドワード殿下が王の資質に乏しいと言われ、また貴女も、かの伝説の悪女メアリー・エヴァンズに準えられていることも?」
「残念ながら」
メアリー・エヴァンズは当時の王の寵愛を一身に受け、そして贅沢三昧に敵対者への過酷な弾圧によって国を傾けたとされる傾国の美女である。
これをエドワードに当てはめると……。
「周囲からすると殿下は私という悪女に誑かされる愚か者に見える、と」
「ええ。現に第二王子のジェームズ様を中心とする閥族派の間ではそう言った言葉が飛び交っていると聞きますわ」
「そして、残念なことに僕らから見ても殿下はそうした悪評を覆すだけの政治的能力があるとは思えない」
多分、これは誰に聞いても――それこそエドワード自身でも――認めざるを得ない事実だろう。話し方からして彼は余りにも線が細く、また身体もあまり強くない。客観的に見ると、王位に就いた際この難局を乗り切れるかどうかはかなり怪しいと言わざるを得ないだろう。
「でも、アンナ様を思う気持ちだけはホントなんだよな、エドワード?」
「……ああ。こればっかりは嘘はつけないよ。だからこそ、彼女への悪女と言った評価は雪ぎたいし、そんな宮廷闘争に巻き込んで不幸を被らせるわけにはいかない」
エドワードは俯きながら話す。
「それに、僕の能力じゃアンナを幸せにしてあげられないと思う」
「……それで、思いついたのが婚約破棄、だったというわけですか」
突飛なようだが、エドワードなら十分その結論に至るとアンナは思った。小さいころから彼を知っていたが、何というか、彼は些細なことやまだ起こってないことを想像して勝手に不安になり、そして思いつめてしまうのだ。そんな時は常にアンナが厳しく、そして優しく寄り添ってきたのだが、まさかこんな事態になるとは思わなかった。
「後は、殿下がアンナ様と親しい私に相談を持ち掛けてきたり、ジョシュア様に日取りと場所の設定をお願いしたりして」
「今現在に至るってわけだね」
言ってみれば、余りにも下らない話。だが、エドワードとアンナにとってはこの星とその上に生きる全ての存在を合わせたものと比して、なお重い話である。
「正直、僕らは殿下が実行に移したら、諫めるつもりだったし、そもそもそれを本当にやると思ってなかった。だから、ちょっと驚いちゃって……」
「こんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」
エレイン、ダグラス、ジョシュアは一斉に頭を下げる。アンナは茫然とした様子で彼らを見た後、一人手を組んでいるウィルバーに目を移す。
「貴方は、どうするおつもりだったのですか?」
「俺? 俺は頭が悪いから、エドワードが決めたことに従うだけさ。その代わり、こいつがどこに行こうとも絶対に従うし、裏切らないって決めてんだ」
「……承知しました」
最後に、アンナは未だ俯いたままのエドワードに声をかける。
だが、彼は返事をする気配はなく。眼を合わせようともしない。アンナはため息をついて、彼の顎を無理やり持ち上げて目を合わせる。
「な、なんだい」
赤く目を腫らしたエドワードにアンナはさらに顔を近づける。
「婚約破棄の後、どうするつもりだったのですか? 私はともかく、貴方は全ての責任を負うことになるはずです」
「……すよ」
「さっきも話しましたが、大きく口を開けて言ってください」
「ジェームズに王太子の位を譲って、後は勝手に暮らすよ」
「出来るとでも?」
「ああ、出来るさ。元々あいつの方が頭はいいし、喜んで王太子の役割を引き受けるだろうさ!」
エドワードは息を一瞬飲んだ後、目からボロボロと涙をこぼしながら、怒鳴る様にその言葉を口に出した。
アンナはだが、ため息を一つついて話を続ける。
「説教をするつもりはありませんし、もとより私は殿下に説教をする権利はありません。……ですが、周囲の方の被害や私への非礼に対する償いは考えなかったのですか?」
「それは全部僕が持っていく」
「アンナ様! これは我々の責任でもあるのです、だから」
「いや、いい。事の発端は僕なんだ」
エドワードは未だ涙を流しているが、しかし先ほどと違い目に力がこもっている。
それを見て、アンナの眉間の皺が少しだけ和らぐ。
「エレイン。それから、ダグラス様、ウィルバー様にそれからジョシュア様。一つ聞いてもらってもいいでしょうか?」
「……何なりと」
ダグラスを初め、アンナの親友エレインとエドワードの友人たちは一斉に跪く。
「二度と殿下がこのような騒ぎを起こさないように、そして、憂いを抱かないように、ずっと彼についていてください」
アンナは彼らの言葉を聞く代わりに、深々と頭を下げる。彼女はこれで十分だろうと思って、エドワードに改めて向き直る。
「殿下」
「……」
「私を深く思ってくださったことを感謝いたします。その上で、二つ償いをしてほしく存じます」
エドワードとウィルバーたちのやり取りを見ていて、アンナはいくつか確信したことがあった。
それを周りの将来の臣下のため、自分のため、そしてエドワードのために伝えなければならない。
「まず、私が先ほど婚約破棄をすると言ったことを取り消しさせてもらいたく存じます」
「でも……」
「また、私の目の届かない範囲で何かとんでもないことをされたらと思うと、心配で夜も眠れませんし、被害を受けた方に顔向けができませんわ」
思わず、とんでもないことを言ったのに気付いてアンナは顔を赤らめるが、エドワードは気が付く様子はない。
咳ばらいを一つして、二つ目の要望を彼女は出す。
「そして、これが、一番大事なことなのですが……。殿下、どうか王におなりください」
口を開きかけるエドワードをアンナは手で制する。
「確かに貴方自身は王には向いてないかもしれません」
「なら」
「ですが、殿下の周りにはこんなにも下らないことに付き合って貴方を支えてくれる方と」
アンナはエドワードの手を握りしめる。
――この、私がいます。
エドワードは何かに気づいたように、周囲を初めて見回す。エレイン、ダグラス、ウィルバー、ジョシュア、それからアンナ。誰も彼も面倒くさそうな顔はしているものの、心から嫌がっている素振りを見せるものはいない。
ジョシュアが口を開く。
「私たちは殿下の臣下にして友人です。決して見捨てることはありません」
それを聞いて、エドワードはばつが悪そうにアンナにギリギリ聞こえるかどうか位の声量でアンナに話す。
「……アンナ。僕を許してくれるかい?」
「それは殿下のこれからの態度と働き次第ですわね」
ああ、でも、とアンナは何かを思い出したかのように言って、エドワードの耳元に口を近づける。
「殿下、貴方を愛しています。世界の誰よりも」
三年後エドワードの父、リチャード五世が崩御した。それに伴い彼はエドワード七世として王位に就き、アンナも王妃となった。
エドワード七世の42年に渡る治世は決して、順風満帆とは言えなかった。
その初期は王弟ジェームズを戴いた閥族派による反乱、壮年期に入ってからは敵対国ファランサとの長期にわたる戦争など問題は尽きなかった。このような事態に際して、幾度もエドワードは王位を投げだすと叫んだという。
そんな彼を一般政務においては宰相ダグラス・オブライエン、軍事においては海軍提督ウィルバー・ネルソン、経済では財務長官ジョシュア・マーシャルが根気よく支え続けた。彼らの尽力によってイルキンティラ王国の植民地は飛躍的に拡大、経済も発展し、王の資質によらずとも国政が回っていくシステムの基礎が築かれた。
また、エドワードは王位継承問題の回避にも成功した。これはエレイン・カルバート伯爵令嬢による教育の功績が大きかったとされる。
そして、エドワードの側には常にアンナの姿があった。
彼女は政敵やファランサから生涯に渡って悪女として讒言を受け続けた。しかし、それに屈することなくエドワードを陰に陽に支え続け、徐々に国民の支持を獲得、その葬儀には貴賤問わず多くの人が参列したという。
今日ではアンナは王国最大の賢女と呼ばれ、またエドワードとの関係は恋物語の題材として多く取り上げられている。