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死魚の眼  作者: 七水 樹
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 主の手伝って欲しい仕事とは、会合で得た資料の分類や整理と、新たに請け負った依頼の確認であった。主ほど名の売れた魔術師ともなれば、ひっきりなしに依頼が届く。それは会合先でも変わらなかったらしい。私を自身の書斎に招いた主は、辟易とした表情で私の前に紙束や手紙などの資料の山を積み上げた。


「会合へ出る前にも、かなり片付けたと思ったんだけどね。会合先でこんなに増えてしまうんだから、もう何のことだかわからないよ」


 重いため息をつく主に、私も苦笑を浮かべる。こうした感情を素直に表した姿は主を年相応の存在に見せた。


 主はいくつかの山に分けられたうちの一つである、私の目の前の資料の山を指差して「そこにあるものを開封してくれるかい。大まかに分けてあるから、依頼書が混ざっていたらこちらに回して。怪しいものは全部回収してみんな塵にしてしまったから、安心していいよ」と私に指示を出した。私ははい、と頷いて作業に取りかかる。


 怪しいもの、と主が言うのは依頼書に見せかけて呪いを送りつけてくる輩のものもあるからであり、魔術師が開封しても普通の人間が開封しても関係なく呪いを発動する危険なものも時折混じっていることがあるからだ。そうしたものはまず主が確認をして封を切る前に燃やしてしまう。他にも呪いのかかったものはあるが、紙そのものに魔術を長期間かけておくことは難しく、大抵は開封時に触れた人間のわずかな魔力を吸収して魔術が発動するので、主は魔力をまったくと言って良いほど持たない私によくこの仕事を手伝うように命じていた。主曰く、私は使用人の中でもっとも魔力値が低いらしい。まさに、平民の中の平民というやつだ。おかげ主に重宝されており、特に困っていることもないので、私はあまり気にはしていなかった。


「あの子はこうした単調な作業が嫌いなようだけど、今度は手伝ってもらおうかな」


 ふと呟かれた主の言葉に、私は顔をあげてそちらを見遣った。主の口から溢れるあの子とは、あれのことで間違いないだろう。


「あれが、役立つのですか?」


 思わず出てしまった私の直球の疑問に、主は笑い声を噛みながら「いや」と首を横に振った。


「あの子に君のような分類や整理といった几帳面な作業はできないだろうね。きっとすぐに嫌になって逃げ出すさ」


 主の言った通り、私にもあれが仕事をする姿など到底想像できなくて、首を傾げた。あれの行動と言えば、いつも主の傍らに控えているか、その腕に抱かれているか、一人眠っているかぐらいのものだ。主もあれを今までそうして使用人のように使っていたことはない。


 主は作業の手を緩めることなく、依頼書の内容を確認しながらあれのことを語り始めた。私も主に倣って、手を止めないまま話を聞く。


「あの子はね、呪いに対して特別な力を持っているんだ。君も、見ただろう。僕が帰ってきた時にあの子がしたことを」


 主の帰宅時に、あれは主の元へと歩み寄り、そして口づけをした。そうすると主は突然血液らしき液体を吐き出して、その後謎の肉塊を吐き捨てたのだ。やはりあの騒動はあれが起因となるものだったのか、と私はまだ記憶に新しい一連の出来事を思い返しながら納得する。


「あれは、解呪の呪いと言ってね。呪いという呪いをすべて解いてしまう呪いなんだ」


 カイジュ、と私は小さく復唱した。呪いを始めとした魔術には詳しい方ではないが、主がそうした呪いによって命を狙われることが多いことから少しずつ魔術の知識などもつけていたが、解呪の呪いなどという呪いの存在は知らなかった。呪いを解く呪いなどという都合の良いものがあったこと自体が驚きであった。


「あの子が僕の元へやってきた時、その呪いをあの子にかける代わりにその力を一生僕のものとするという契約を結んだんだ」


 それを聞いて、私は手を止めた。呪いをかける代わりに主に一生を捧げるというのは、あれに利益が無いように思えたのだ。呪いにかかる上に、主に一生奉公をしなければならない。平民にとっては一生仕える場所があるというのは働き場に困らず助かることかもしれないが、わざわざ呪いにかかってまで得る地位でもないだろう。


 私が疑問を抱くことを見透かしていたらしい主は、何でもあの子にはね、と私の手が止まっていることを咎めることなく話を続けた。


「呪いを解いてやりたい相手がいたんだって。僕がその呪いを解いてあげることもできたんだけどね。あの子は自分の手で呪いを解くことを選んだんだよ」


 変わっているよね、と主は薄く笑った。


「もっとも、僕も丁度解呪の呪いを持つ者が欲しいと思っていたし、何よりあの子は美しかったからね。僕はあの子のことをとても欲しいと思ったし、あの子は僕の呪いにかかりたがっていた。両者の欲求を満たす契約を僕たちは結ぶことができたんだ」


 主の淡々とした口調には何か恐ろしいものと奇妙なものを感じさせるような気がしたが、私は黙っていた。主とあれとの間には、とうの昔に等号関係が結ばれているというのだから、その通りだと私には頷くことしかできない。


「僕の呪いは成功し、あの子は大切な相手とやらの呪いを解くことができた。だからこそ、今あの子は僕の元にいるんだよ」


 主はにこりと笑って、ごめんね、作業を続けて、と私を促した。私は慌てて作業を再開する。しかし気になることがいくつか生まれてしまって、私はしばらくの沈黙の後に主に尋ねた。


「あの……あれが、呪いを解いてやった相手というのは」


 あれが今主とともにあるということは、呪いを解く呪いにかかってまで救ってやりたい相手とは離れてしまっているということだ。その相手は今一体どうしているのだろうかと、私は疑問に思った。主は、ああ、と興味の薄い声を上げてから依頼書を放り投げるように分類しながら答えた。


「死んだよ」


 え、と私は目を丸くさせた。


「死んだ……?」


 急激に話の流れが変わって、私は書類よりも先に自分の頭の中を整理した。あれは主のもとを訪ね、主に頼み込んで呪いに万能である呪いをかけてもらった。そうして呪いにかかった相手を救い、そして主との契約を守るために今は主とともに暮らしている。しかし、救った相手というのはもう死んでしまっているらしい。


 目を白黒させる私に主は「あの子の救いたい相手は、親代わりの老齢な魔術師だったんだよ」と種明かしをした。呪いを解くまでもなく、寿命によりもういつ死んでもおかしくない状態だったのだと言う。それでは呪いにかかってまでその相手を救う必要性は薄れてくるではないか、と私は眉根を寄せた。どうせすぐ死んでしまう相手のために、いくら親代わりであろうとも一生を投げ出せるだろうか。


「変わっているよね」


 主は強調するように、先ほどと同じ言葉を繰り返した。変わっているというか、話を聞くだけではあれの行動の理解ができない。


「主様はあれの救いたい相手のことを知っていて、呪いをかけたのですか」


 主は、うん、そうだけど、と涼しい顔をした。それから私を見て「僕はあの子の親を救いたいという心を利用した、冷徹な魔術師だからね」と笑顔であるのにどこか冷めきった声で主は自虐的な発言をした。私は何と返せばいいかわからず、いいえ、そんな、などと取り繕ったような言葉を並べてはすぐに黙ってしまった。


 たかが一人の人間の子どもであり、身寄りのない貧しい者であったあれに、呪いのよって価値を与えた主。あれが主のそばを離れようとせずに、呪いにかかれば一目散に寄っていき、それを解こうとするのは、あれが主に救ってもらったと思っているからなのだろうか。あの眼に決して主を映すことなく、ひたすら周囲を睨み続けているのは、主を守るためなのだろうか。私にはそれだけではないような、ただの恩や愛では言い切れぬものがあの眼には込められているような気がしてならなかった。


「……主様は、あれを一生そばに置くおつもりですか?」


 ついつい思考にかまけて止まってしまう手をまた動かして、私は小さく主に尋ねた。主は積み上がった依頼書の束を一度整えて、まぁね、と答える。


「少なくとも、あの子の一生は僕とともにあるだろうね」


 どこか含んだ物言いに「……と、言うと?」と私は主の表情を窺った。特に顔色を変えるでもなく、あの子はもう長くないから、と主は平淡に続ける。


「解呪の呪いの影響で、もって後四、五年ってところかな」


 世間話と同じ調子で告げられた衝撃的な内容に、私はただ目を見開くことしかできなかった。あっさりと、とんでもないことを言ってのける。主はてっきりあれを愛しているのだとばかり思っていたが、あれの寿命が短いことを何でもないように語る様子からは、執着や愛情は感じられず、まるで他人事であった。私は混乱する。あれはそのことを知っているのか。知ってなお、主に仕え、主を守るのか。それとも何も知らずに、ただ甘い愛情をひたすら全身に纏う感覚に思考を鈍らせて、目先の快感だけを受けて生きているのか。


 私にはあれのことが何一つわからず、主のこともほとんど理解できず、両者がとても不気味であった。曖昧で儚くも、絶対的な鎖で結ばれた二人の関係が歪に見えて仕方なかった。







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