ナポリタン
「うん、ナポリタンでいこう。」
私がパスタを初めて食べたのはいつだろうか。小学校入学前には食べていただろうな。そして、初めて食べたパスタは何だったのだろう。思い出すことはできない。パスタの種類は山ほどあるが、ナポリタンは馴染みが深い。
なにより諸説あるが、日本で誕生したといわれるパスタであるからである。パスタはイタリア、トマトケチャップはアメリカだが、ナポリタンは日本である。ナポリタンの要であるトマトは元は観賞用の植物であったという。
植物というものは三大道楽の一つである。園芸、釣り、文芸の一つである。植物を育てるのには時間がかかる、立派に育てるだけでも大変だし、品種改良や希少種を育てるのも難しい。時間や手間がかかれば、お金もかかる。そして、上を目指したら限りがないので、まさに道楽といえよう。近年では多肉植物が何百万で取引されたりしたりしている。また、昔も希少な薔薇を交配させるために植物園などから盗難があるなど、人は植物に魅了されている。日本では贈り物に胡蝶蘭を贈るなど、やはり植物との関わりは深い。手間隙をかけずに、金で植物を買う人がいるので、植物は金になるのである。
野菜も日々品種改良がすすんでいる。歳をとっている人が、久しぶりに野菜を食べたら食べれたという話がある。これはもちろん舌が変化して、野菜が食べれるようになったということと、品種改良されて食べやすくなったからなど多くの要因がある。トマトもフルーツトマトなど甘いトマトも誕生したりしている。
トマトもプチトマトのような小さいものから、ずっしりと重く大きいものもある。形も様々で真ん丸いものから、細長いもの、つるっとしたりゴツゴツした物なんてある。それに色である。野菜は品種改良や知っていないだけでカラフルな色が存在しているので、トマト=赤というのは絶対ではないのである。
なによりトマトは旨味の塊である。日本人が旨味を発見したように、世界各地で旨味の存在をしらなくてもトマトに旨味があることを世界中の人が知らずに体感していたのである。トマトの水分だけで料理したり、トマト出汁は万能だし、分子ガストロミーという調理にもトマトは使用されるし、日本からある漬物でも、ある漬物屋さんが漬物の調味液にトマトを落としてしまい、できてから食べたら美味であったなどの話もあるし、トマトは料理の幅が広い。料理の中には、失敗の中から生まれることも多い。
有名なお菓子のタルトタタンなどは、世界最高の失敗作などとよぶ人もいる。他にも尼さんの屁とよばれる、ペドノンヌも失敗から生まれたといえなくもない。料理に限らず実験などの失敗が、世紀の大発見となることも多いのである。こういう、偶然の産物は本当に素晴らしいものである。そもそも調理なんて科学的なところも多いし、それゆえに錬金術は台所から生まれたなんても言われている。なので、錬金術師がパイやらスープなんかを作っても、それはぜんぜん錬金術なのである。
ナポリタンのパスタは太目がいいかな。ロングパスタも太さによってよびかたがかわるがスパゲッティとよばれる1.8mmくらいのものにしようかな。評判をみて、要調整かな。まぁ、普通のパスタではないソフト麺なんかも捨てがたくはあるんだけどね。あれは強力粉にビタミンなんかを添加されてるから栄養もいいしね。本当にスタンダードを作るのは怖いよね。
ケチャップも手作りしてもいいかもしれないが、こういうのは少し野暮ったい方が美味しいと感じてしまうから不思議である。例えば、コンポタージュの美味しいものを飲んでいても、たまにネットカフェなどのちゃっちいコンスープが飲みたくなるようなものであろうか。人間の味覚とは不思議なものである。しかし、正解がないからこそ面白い。料理の失敗が、かならずとも失敗とは限らないのである。そう、杏仁豆腐が固まらなかったから失敗ではなく、むしろ失敗した飲む杏仁にしたほうが人気があったりする。いくら手間をかけても、手間のかかってない料理の方が人気だったりもする。不思議だ。
具材はベーコン、玉ねぎ、ピーマン、トマトかな。さぁ、問題の玉ねぎである。今回は涙がでなかった。しかし、以前のスキルはまだもどっていない。一番わかりやすいのがみじん切りだと思う。今回はみじん切りしていないけれどね。上手いみじん切りだと光って見えるのである。別にゲームなどで具材が光って見えるのはけっして、演出だけとはいえない。本当に上手くきられた具材は光ってみえ、下手なものは暗くみえるのである。それに上手いものは長持ちするし、美味しいのである。下手なものは細胞が潰れ旨味が外に流れ、水がでるので保存もわるくなる、なにより見た目がよくない。厳しいところだと、一目見ただけで、そんなものは使えないと使ってすらもらえないという。まぁ、これがわかるだけでもありがたいが、一流のシェフになると野菜を会話するまでになるらしい。私はまだ、なんとなくでしかわからない。
私は食べるときに煩わしいのが嫌いなので、トマトの皮などがあったらげんなりすので剥いておく。上を軽く切れ目をいれ、フォークでトマトのお尻をぶっさして、火であぶり、氷水につけて皮を剥いておく。野菜のこういった処理は案外多い。まぁ、この後にトマトの種もとりのぞくんだけどね。たしかに、皮も種も食べれるし、グリモアで保存すれば時が経過しないので一応とっておくが活用はちと面倒である。しかし、水分が多く後からでてくると味がぼやけるので、お金をもらって料理を提供する以上プロの仕事をしたいと思う。トマトを半分にきってスプーンの裏で種を穿る。
似た作業にはもやしなんかがある。もやしの上には芽、下には根がある。それらをいちいち取り除いて食べる人がいる。もちろん両方食べれる部分ではある。世の中には根きりもやしなんてのも販売されている。しかし、単価が安いもやしに、それたの手間はものすごく高つく。しかし、私は味は良くなると思う。これも好みである、芽と根がついていたほうが美味しいという人もいるだろう。そこが料理の面白さでもある。丁寧に処理されたもやしには、別名がついたりもする。ただのもやしが一手まで、一つでも二つでも上のステージにあがれる可能性がでてくるのである。
また、種をとるのではきゅうりなんてのもそうである。私はきゅうりが好きなのできゅうりが嫌いな人の気持ちはわからないが。きゅうりの種をとっているときに、もったいないから食べたらあお臭いと思ったので、きゅうり好きできゅうりの嫌いな人の気持ちがわからないければ、一度種だけど食べると気持ちがわかるかもしれない。あと、料理をするひとで嫌いなものがあるのは弱点でもあるが強みでもあるといえる。なぜなら、嫌いなものを自分が食べれるように調理すれば、他の苦手な人が食べれる可能性を知ることができるからである。何が苦手で、それをどう調理するかは好物の人よりも嫌いな人の方が気持ちがわかるかもしれない。