Innocent Maximum Over Drive Of The Satellite
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現在この室内で唯一の光源となっている17インチディスプレイには、今か今かと命令を待ちわびる12ポイントのアンダーバーがチカチカと点滅していた。
すーっと息を吸い込み一呼吸を置く。
抹消される事を己が望んだネットワークシステム『メモリーエクステンダー』通称『メムエックス』。もう一つの世界。僕はこのネットワークに蓄積された全データを消去する為、端末から伸びる入力デバイスのエンターキーに中指を添え、軽く押し込んだ。その瞬間コンソールには目にも留まらぬ速さでパスが列挙され、数秒の間が開く。ディスプレイはプツンと音を立て、光を失った。
・・・
「…よって、量子の反復をビットと見立てるには1つの状態に2つの状態を重ねあわせるわけです。」
世の中に普通なんて無い。どこかの誰かがそう言ったけど、僕の周りには普通しかない。普通の日常、普通の授業、普通の生徒。普通しかないこの世界に『メムエックス』と言われる量子データを扱う技術が浸透したのは、僕が生まれる何十年も前の事。当時は画期的、革命的、常識では考えられない、なんてもてはやされていたのかもしれない。でも僕らからしたら、生まれた時から当たり前にあったソレは、世界を、ひいては人間を構築する一部になっている事も、もはや普通なんだ。
授業の終わりを告げるチャイムがなった。
「おっと、では今日はここまで。」
今日も普通に授業が終わった。さっさと帰ろう。にわかに騒がしくなる廊下を一瞥すると、ツカツカとやや駆け足気味に教室に入ってこようとする人陰が見えた。僕はこのシルエットを見る度アンニュイにさせられる。もし、この世界が物語の一部だったとして、キャラクター不足に頭を抱えているならば、僕は迷わずこの人を推薦しようと思う。つまりそういった部類、いわゆる関わりたくない系キャラクターなのである。
「ナーギーサーくーーーん!」
関わりたくない系キャラクターは教室の入口から僕を呼ぶ。どうにも彼は放課後の僕に話しかける事をここ数日の日課としているようだ。聞こえなかったふりをして帰り支度を始める。僕が聞こえなかったふりをした事をなかった事にして、怒涛の問いかけと共に近づいてくる。
「あれ?髪切った?つーか髪切った?切ったでしょ?やっぱり?なんか、雰囲気変わったもん!いいよ、それ。うん!ってか髪切った?」
鬱陶しい。見当違いの質問を一蹴する。
「切ってませんよ、先生。」
先生。今まで教壇に立っていた人とは違う、先生。しかしこの学校の先生である事は確かなのだ。そして彼、もとい先生が次に発言するであろうセリフを予測し、僕は続ける。
「部活の話なら結構です。」
Buを発音する時の形を保ったまま先生の口元は停止した。どうやら言い当てたようだ。僕が卒業するまで固まったままで居てくれたらどんなにありがたかったか、しかし残念な事に先生はあらためて話し始めた。
「ナギサくん?青春ってなんだろうな、そうそう、ナギサくん、青春って知ってる?」
部活の勧誘に青春なんてキーワードを持ってくるあたり、やや安直すぎではないか。と思ったところで悔い改める。これはいけない、先生の発言に応対するところだった。あくまで取り合う気はない。できるだけ当たり障りなくあしらいたいのだが、いかんせんこうも毎日詰め寄られると…。
「ナギサ、約束!遅れる!」
そんな僕に助け舟をだしてくれる声が教室に響く。先生から目線を外し声の主を確認する。教室の入口で僕の名前を呼ぶ声の主は同級生のミサキだ。
「うん、今行く。」
先生に目線を戻し別れを告げる。
「では、失礼します。」
不満気な表情の先生を無視し、僕達は教室を後にし昇降口へと歩を進める。
「部活、部活ねぇー」
すこし前を歩くミサキがひとりごとを口にする。いや、これは僕に言ってるのかもしれないが、面倒なので特に応答はしない。
「そういえば、先週の歴史の課題っていつまでだっけ?」
今度は確実に話しかけられたようなので返答する。
「…明日、ミサキ、もう終わった?」
ミサキがかぶりを振る。その動作で目についたのかどうかはわからない、ミサキが廊下の壁に貼られた掲示物を見て足を止める。視線の先にはこの学園の年間行事予定が書かれたカレンダーがあった。
「飽きた」
ミサキはカレンダーを見ながら呟いた。その言葉に僕も呼応する。
「そうだね」
―僕達は時間を止めた。