白い罪
明日、雪が降るってさ。
朝食のバタートーストをかじりながらそういった彼は今、椅子の上で穏やかな呼吸を繰り返している。ゆっくりと上下するこの胸を、かつてはこれ以上ないというほどにいとおしく思っていた。カーテンを開ける。窓枠で切り取られた濃紺色に染まった世界を、細かく白い粒が漂っている。かちかちと機械的に優しく鼓膜を揺らす時計の秒針。短針が揺れて、長針がそれにつられて動いた。日付をまたぐ。
コーヒーを片付けよう。テーブルに乗ったマグカップをふたつ、手に取った。青いカップと赤いカップ。確か三年前、婚姻届を出したときに買ったものだ。――三年。たった三年なのだ。三年しか、もたなかったのだ。私はふたつのカップを床に叩きつけた。空虚な音がして、残った中身を弾けさせながらカップが砕ける。私の三年間は、実にあっけなく、終わってしまう。当時、私にとって幸せの象徴であったこのカップ。それが私を縛る鎖となったのはいつからだっただろうか。もう忘れてしまった。
目覚めない彼をちらりと見やってテーブルの上の角砂糖を手に取る。シンクの上に置く。手を引こうとして、手前にあった小瓶に手が引っ掛かって落としてしまう。瓶の側面が割れて、拾うと雪のように白い小さな錠剤がこぼれ落ちた。砕けた瓶もカップも放置して、開け放ったままのカーテンの向こうに視線を送る。雪は降り落ちる速度と量を増していき、もうすでに黒い地面を結構な厚みで白く塗りつぶしていた。
セーターの上に、厚いコートを羽織る。マフラーと手袋も着けて、寝息をたてている彼にも同じように衣類を着せてやる。さあ出掛けよう。明日の朝にはすべてが終わる。いつだったかに切った唇を撫でながらそう思った。彼を背負うと、殴られた腹や腰がずきずきと痛んだ。ブーツを履いて、彼にも履かせてやる。家の外に出て、車に乗り込む。
車を走らせて、手頃な位置の道のわきに寝息をたてる彼を投げ捨てた。彼に歩みより、彼の柔らかい頬を撫でた。幾度となくいとおしく思った頬、唇。いつの間にか溢れだした涙は急速に温度を失って、半ば凍りついた状態になる。私はまだ、かれをいとおしいと思っているのだろうか。おかす罪が怖いのか、彼との別れが怖いのか。
雪の中で冷え始めた彼の生暖かい唇にキスをして、彼の体を雪のなかに横たえた。軽く雪を体にかけて、小さく呟いた。
「さよなら」
震える声、また溢れだす涙。でも、今日で私と彼の三年は終わるのだ。幸福と永遠の象徴であったカップは割ってしまった。覆水盆に帰らず。割れてしまったカップがもうもとに戻らないように、壊れてしまった関係はもう二度ともとに戻ることはないのだ。ここまで来てしまったのだから、もうあとに戻ることなど、今こうしていることをなかったことになどできないのだ。私はその場でしばらく嗚咽を漏らしていたが、やがて心を決めて車へと向かった。家へ帰ろう。家へ帰って、入眠剤でぐっすり眠ろう。
この罪が見つかってもいい。見つからなくてもいい。ただ三日後には捜索願いを出そう。
朝には雪に埋もれるこの罪は、果たして私に降り積もるのだろうか。どんな罰も、私は甘んじて受けよう。






