湯
この時代に飛ばされる前に、私を襲った銀の髪できれいな顔立ちをした男が夢に出てきた。私の友人のアキを地面におろして鉈を振り上げる、あの恐ろしい瞬間だった。
その刹那の悲しそうに呟くその男の顔が今でも忘れられない。初めて会ったはずなのにあの妖怪は、私のことを知っていたに違いない。
きっとこの時代で私はいずれあの妖怪に再び会うことになる。だけど、もし出会わずにいられれば、殺されそうになることも、アキがあんな目に合うこともなかったのかもしれない。
だから元の時代に帰るまで、絶対会ってはならない。
記憶通りにその妖怪が持つ鉈が私に振り下ろされたと同時に私は目を覚ました。
「はあ、一番見たくない夢だったかも…」
寝汗をかいてしまったようで、手でぬぐい取り、隣のガキンチョはまだ寝てるのだろうかと見てみたがいなかった。既に起きたのか。
「も、もしかして妖怪に拉致されたんじゃ…!!!」
がきんちょー!!!と叫ぶと山奥は声が響く。きっと今のでガキンチョは戻って来るに違いない。二・三回叫んでいるとガキンチョが現れた。
ーーーバシャッ
「ぶわ!!?」
顔面に水がバシャりとかかった。犯人はガキンチョだ。
「山奥で大声を出すやつがいるか馬鹿。居場所がバレたらどうするつもりだ?」
「ご、ごめんびゃひゃい。へくしょ!!」
制服が濡れてしまったが、どうせ温泉に入って着替えるのでびしょ濡れでも我慢しよう。夏で助かった。
どこに行っていたのかと聞くと、水を川からくんできてくれたらしい。だから私にかけたのかと納得する。お前のせいで、せっかくくんできた水が減ったと嫌味を言われたがとりあえず謝っておいた。
「いくぞ。早くここを離れる。お前が場所を大声で知らせたからな。」
「言い返す言葉もございません…へっくしょ!」
山道も険しくなってきたので、体力を温存のためにあまり話さなくなったころ、白い建物を見つけた。また空き巣かと思ったが人が立っていた。その横に旗が立っている。ただ、湯と書かれた白い旗だ。
「あ、もしかしたらあれ案内人がいるところかもしれない!行ってみよ!!」
「……?」
案内人の人は若い男性で、こんな山奥で働いているくらいだ。危険な場所で雇うところは大抵それなりの額が貰えるはず。ここで働かないと生活できないくらい貧乏なのか。と思っていたが、彼の着ているものはガキンチョには敵わないが上等な着物だった。なんでこんなところにいるんだと聞きたくなった。
その人はこちらに気付くと営業スマイルをして近寄ってくる。しかし自分達を見て突然目を見開いた。
「あ、あなたは…!!乙「温泉はどこだ。」
案内人の彼が何か言いかけたのに、見事に上から言葉をかぶせるガキンチョ。もしかして知り合いなのかもしれない。
「それでしたらこの先を真っ直ぐに進んでいけばあります。しかし…ご存知のは「だそうだ。行くぞ巳弥」
「え?…あ、うん!!」
何が何かわけがわからないが、とりあえず上に真っ直ぐ登ればあるらしい。見つかってよかったが、彼は何だったのだろう。どう見ても知り合いみたいだがガキンチョは私に知られたくないらしい。それなら敢えて聞かないが、ガキンチョ相手に敬語という事はきっとガキンチョの家の執事みたいな者なのかもしれない。隠さなくてもいいのにっと先にどんどん速足で登っていってしまうガキンチョを追いかけた。
「……ていうかあああ!!」
「!?」
私の声に吃驚したのか、隠していることがバレたとでも思ったのか、少し動揺した顔でこちらの次の言葉を待っている。
「さっき、さ…私の名前呼んだよね!?ね!!??」
何だそんなことかくだらない。とでも言うように呆れた表情をされた。でもどこかホッとしているみたいだった。
執事でしょ!!って言っても良かったが隠したいなら、知らないふりをしておいてあげようと決めた。
「でもなんであのタイミングで呼んだの?無意識??」
「ああ。無意識だ。そういえばそんな名だったな。ずっと芋虫だと思っていた。」
さすがに芋虫と呼ぶのはかわいそうだと思ってな。っと最後に付け足してきた。こいつはいつになっても生意気だ。
「……。ついたぞ。」
下を見て転ばないように歩いていたために、前を見ていなかった。ガキンチョの言葉に顔をあげると、そこには確かに湯気がもくもくとたった温泉が湧いていた。
「わあぁ!本当にあったあ!!さあ!入ろう入ろう!!」
といってさっさか脱ぎだす巳弥。その様子にガキンチョは一瞬ぎょっとしてすぐにため息をついた。そのまま岩陰のほうへと歩き出す。
私は、すばやく脱いでタオルを体にまいて湯の温度を手をいれて確認する。そのまま入るかと思いきや、カバンの中からガキンチョが着るサイズの服を出してガキンチョのいる岩の方へ走っていった。にょきりと顔を出せば、岩影に背をあずけて座っているガキンチョが呆れた顔でこちらをみつめた。
「何の用だ」
「一緒に入ろうよ!はいこれ、これ着て入れば問題ないでしょ?ここまで予想してより早く着いたから、一日分余分になったんだ。洗濯できるやつだから、そのままお湯に入って大丈夫だよ。私に脱がしてもらうか自分でこれに着替えるかどっちがいい?」
にっこりと言うと、ガキンチョは、死にそうなくらい虫唾が走る。とでも言いたそうな表情をしたがしぶしぶ着替え始めた。
「お前も一日分余っているのだろう。羽織りを着ろ。」
そしたら、入ってやってもいい。というので、仕方なくカバンに取りに行く。巻いていたバスタオルをとって余った服を着ようとしたら、そのままお尻を蹴られてしまい温泉にドボンと落っこちた。もちろん蹴ったのはガキンチョ
何すんのよー!と怒鳴ろうとお湯から顔をだしたら、次はタオルと、まだ来ていない着物が顔面に激突してきた。むろん投げたのもガキンチョ
「男の前で堂々と脱ぐな馬鹿女。」
「す、ずびません…」
チビッ子だから自分は気にしないが、ガキンチョはそうではなかったらしい。ガキンチョが少しかわいく見えた瞬間だった。でもそんなことを言ったら多分沈められる。この湯の底に。
タオルを巻いてその上に羽織るように着る。それにしても、久しぶりだ。村では湯の風呂に入れないことはないが、面倒だしミツさんを含むこの時代の人は一か月に一度程度でしか入らないので、なかなか入れない。蒸し風呂はお風呂なんかじゃないと思っている私は水で洗うしかない。だから足をのばして泳げる温泉に来られるなんて幸せだ。
泳ごうとしたら、肩をつかまれてそのまま隣に引き寄せられた。じっとしていろということか。
たくさんの湯気でガキンチョの顔が全然見えなかったがここならよく見える。
「そういえば、お前は待ち合わせに来ない日があったな。あの日は何をしていた?寝坊したなどふざけた理由ではあるまいな」
「ああ、あの時ね、人が一人妖怪に襲われちゃって、私と同い年くらいの雪乃ちゃんていう女の子の親だったんだけど…遺された雪乃ちゃんのそばにいてあげたんだ。ちゃんと、おとうさんも弟もいるみたいだから、独りにはならないって聞いて安心した。」
「この時代ではごく普通のことだ。よほど運がなかったのだろう。」
まったく興味がなさそうに言われてしまったが、この世界の人は皆こんな風なのだろうか。大切な人以外は死んでもどうってことないのだろうか。本当に物騒な世の中だ。っと心の中で思った。
そろそろのぼせてきそうたっだので同時にあがった。そしてさっさかタオルを取って着替えの服を取ろうとしたら再び湯の中に逆戻り。またガキンチョに蹴り飛ばされたようだ。なぜまた落とされたのかは自覚がある。
「ごほっげほっ…ごめんびゃい…ゲホッ」
「全く学習しない女だな。それとも何だ襲われたいのか貴様は。」
「め、めっそうもございませんです…はい。」
湯から上がって、ガキンチョが岩の方へ行ったのを確認してから、着替え始めた。今は昼だが、今から帰っても早くても一日かかる。この辺りで降りながら宿を見つけることにした。
来た道をそのまま降りていたが、ガキンチョは案内人のいる方を避けて通っていた。私はそれを後ろから着いていくだけだった。よくよく考えれば、地図を持っていてもガキンチョについて行っただけだった。もともと私は方向音痴だ。ぶっちゃけると地図も読めない。自分より少し先を歩くガキンチョがいなければ温泉にありつけていなかったに違いない。感謝しなくては。
山の真ん中あたりで、宿を見つけ空をみるとまだ空は明るい。少し早いが寝るところを確保し、清潔にしたばかりで汚れたくないため、すぐに布を敷いてその小屋の中で少し遅いお昼ご飯を食べることにした。ガキンチョはリンゴだけでいいといって、リンゴを三つ食べていた。そして外に出たかと思うと鳥を仕留めたらしく、手際よく火をおこして焼き鳥を作っていた。
「なんでお金持ちのおぼっちゃま生活をしてるあんたが、こんなサバイバル生活的なことしてるの…?」
「気にするな。」
そうか、ガキンチョの一家は変わり者ばかりなんだ。ほら、執事?だってこんな山奥で案内人やってるくらいだし!っと自己完結して焼き鳥をふうふうしながら食べる。近くに川もあるので何かと困らない。
温泉にも入れたし、昨夜とは違い、今日はいい夢は見れそうだ。
そうして夜まで私達は、たわいのない話を楽しんだ。しかし、ほぼ自分が一方的にぺらぺら話しているだけだった。