別たれた道
夜明け前。森の妖怪も、動物も全てが眠りについたようなそんな空気。夜中は、ガサガサと微かに葉が擦れる音がしたが、風すらも止まったかのような空気だった。
万一何かが近くにいた場合、走ると足音がしなくても気配を感ずかれ、警戒した妖怪や動物が目を覚ますかもしれない。
走って行きたいところだが、ここは気配を潜めて静かに早歩きした。
「下り道だから、石とかが転がらないように歩いて。なるべく物音控えなきゃ。あと、ちゃんと私の羽織頭から被って匂い消してね。」
「え、ええ……わかった。」
この一本道は一切通らないようにしていた道だったからか、こんなにもこの道は長かったのかと下りながら感じていた。
いつ何がどこから出てくるか予想もつかず、些細な音にも敏感に反応してはいるが、雪乃を守れる自信はどこにもなかった。
ただ、何も現れず村にかえしてあげられることを願うだけだった。
「ねえ巳弥。」
「?」
風が土を撫でたようにかすれた声で、雪乃が口を開く。それに足を止めずに前を向いたまま巳弥は答えた。
「巳弥はずっと此処に残るの?少しだけでも、村に寄れない?」
「うん。約束してるの」
「……村のために?」
「まあ、最初はそうだったし、今もそうなんだけど、少し違う。」
「此処が楽しいのね。」
村の人にとって恐ろしい場所が楽しいだなんて、と思っているに違いないけれど、巳弥にとって楽しいといえる場所が増えて良かったと、雪乃はどこか複雑そうに笑った。
「それにしても、あの桜の木……大きいわね。暗いから一層燃えてるみたいだし、眩しいわ。」
背後にも気をつかうからこそ、遠く離れているはずの桜はあまりの大きさにここからでも頭の方が見えている。
唯一森を照らす月と共鳴するように桜は淡い紅の妖気を発して森を照らした。
「あそこでよく寝るの。時間が止まってるのか知らないけど、花は散らないし冬なのに妖気の中は寒さなんて感じないから快適なんだよ。」
「ず、ずいぶんまったりしてるのね。」
「乙鬼の妖気で出来てるから、そこらの妖怪じゃ入れないし盗難の心配はないよ。」
「へえ、寛いでる様子が想像できるわ……。」
「ふふっでしょ? ―――――あ、着いた!……もっと話してたかったけど、お別れかな。いつか会えるかもしれないけど…先のことはよく分からないし。」
「うん。ありがとう巳弥、あなたが本当の家に帰るまでに一度くらいは逢いたいわね。」
いつ現代に帰れるかなんて全く分からないけど、一生ここで生きることになってしまったらそのときはもしかしたら逢えるかもしれない。
「うん。……さあ!もう行って。森とその外には仕切りがあるわけでもないし、どこからが森の外かは分からないし。この辺なら大丈夫だろうけど……早く村に帰って。」
――――――――――――誰が、帰るんだ?
「「!?」」
突如聞こえた声は、やけに焼け付くように直接頭に入ってくるようだった。ドクンッと思考が理解するより早く、心臓が大きく跳ねた。その振動の波に視界までもが脈打つように揺らいだ気がした。
停止した思考を瞬時に働かせて、その声のするほうをおそるおそる振り返る。その瞬間、巳弥の顔面をスレスレに、背後にいる雪乃めがけて濃赤く光る風のような何かが通り過ぎた。
その何かを追うこともできずに、衝撃音と、雪乃の一瞬の悲鳴だけが耳に届く。
背後で彼女に何が起きたのか、振り返る勇気がなかった。それに加え、悲しいほどに冷たい殺気に体が動かなかった。
立ち尽くす巳弥の正面には、声の主が手の平をこちらに向けた状態で立っていた。月に照らされる長い赤褐色の髪が、その手から放たれた衝撃波で荒々しく揺れる。
真紅の冷たい相貌は、雪乃を一瞥した後、やがて冷ややかに巳弥の方に視線を移動させた。




