距離
「――――血臭だ。」
「血?」
帰ろうか。という落ち着いた翠の声に、私は顔を上げて彼の方を見る。何故血の臭いがしたら森に戻るんだと問いたかったけれど、だいたいは予想できたので聞かなかった。
どうせ、例の暴れ出した妖怪の群れを乙鬼が始末して、はい終わりー。なんでしょうけど。森の人口減るんじゃないの?まあ快適になるからいいけどね。
散歩と聞かされていたけれど、一日もただぶらぶらと都の周辺を歩き回り尚且つ人目につかない場所を歩くのは退屈だった。
村にいたときに親しくなった、宿のおばさんは数か月ぶりだけど覚えていてくれて半額で泊めさせてくれた。もちろん、早朝に出ていくという条件は変わらない。
翠は、私が泊まった宿の屋根で寝るといったので宿代は私一人ですんだ。久しぶりに森以外で寝た。でも、ベッドがあるわけでもないし生活感は言うほど変わらない。
陽が短いこの季節、夏場ならもう陽が昇っている時間に目を覚ますが、外はまだ暗い。しかし、もうこの宿から出て行かなければならない。
目を擦りながら両手を上げて大きな欠伸をした時、天井から物音がした。
翠も起きたのかと外へ出るなり突然「帰ろうか」と言ってきた。
「良かった。もうちょっと長引くかと思ったから。」
「もういいのかい。別にもう少しいてもいいけど?」
「いいや。堂々と歩けないし、人目避けて隠れるとか面倒くさいし…。森にいた方が楽かも。」
「そうだね。じゃ、行こうか」
血の臭いがする。と翠がついさっき言ったということは、まだ終わったばかり。災厄たる妖怪は消えたとしても辺りは未だに重苦しい空気だった。
血塗れた現場を見たくはなかったので、行きと同じく翠に担いで飛んでいってほしかったが、この原因不明の左腕の呪い(まじない)があるのでお互いが触れないようにしている。
これくらいの山登りならすっかり慣れたので、しぶしぶ乙鬼の元まで2人で歩いて帰った。
「う…くっさい。」
いつもの澄んだ冷たい空気は、禍々しい妖気となって辺りに充満していた。予想通り、辺りには倒れて血を流す中級妖怪。
首と身体が離れたりしていなくてよかったと、ホッと息をついた。
木の枝や細い幹を掴んだりして器用に上へ登って行くが、木にもしっかりと血がべっとりとついていた。
手についたその血に顔を歪ませて、近くに流れる川で手を洗って、何とか乙鬼の家まで到着した。
壊れえた戸から顔を覗かせると、返り血を浴びた乙鬼が壁にもたれ、足を伸ばして交差させ、手を組み座っている姿をみつけた。相変わらず目を閉じたまま動かない。
疲れて眠ってるのかな。いや、いつもこんなんだしなー
普段はこんなにも血まみれではないけど。
「乙鬼、ただいま。えっと…あのね、話すと長いんだけど……。」
祓い屋に呪いかけられちゃったみたい。
起きてるのか寝てるのか分からない黙ったままの彼に、ぽつりと話す。
すると、パチッと開いた乙鬼の双眸と目が合った。なんだ、起きてたのか。
「呪い……だと?」
「う、うん。波紋とかっていう祓い屋みたい。だから、乙鬼でも危ない?かもしれない。」
「見せろ。」
言われた通り、乙鬼のそばに行き右腕を見せた。彼は触ることはせず、ただじっと右腕の呪いを凝視していた。
「波紋ってやっぱり強い?」
「さあな。聞いたことがあるだけだからな。」
「そうだね、波紋なら、もしかすると乙鬼と対等に戦えるかもしれないね。」
私の質問に翠がにっこりと答える。全然笑顔で言うセリフではない。
「手はそのまま動かすな。」
「え、わっわかった!」
ずっと右腕を睨んでいた乙鬼が突然、私の腕に触れそうになる辺りまで手をかざし始めた。
何をする気だろう。
じっと彼の動作を黙って見ていると、徐々に右腕が熱くなっていく感覚を覚えた。心なしか、祓い屋に描かれた文字も鏝で焼いたような痛みがチリチリとはしった。
「……っ」
それでも腕は動かすなと言われているので、若干の痛みを耐えながら様子をみていると、彼の手から、私の腕へと桃色のオーラのようなものが右腕を包み始めた。
きっとそれは乙鬼自身の妖気。乙鬼がつくった桜の木の妖気と同じものだということが分かる。その妖気は少なからず私の中にもあるらしいので、その気と同化していっているようにも感じる。
腕の文字の痛みはなくなり、生温かい湯をかけられているように温かかった。
そして、桃色のオーラが消えると同時に乙鬼は突然ガシリと右腕を掴み始めたではないか。
「あっ!!!ちょっと、だめ!――――て、あれ?」
何ともない?何も起きない。やっぱりただの落書きみたいなものだったのか。いや、きっと今々彼がしていたことが関係しているはず。封印でもしてくれたの?
「へえ……妖気を呪いの上から張り付けたんだね。考えたな。」
興味津々といった表情で楽しそうに様子を見ていた翠が口をひらいた。
呪いは直接さわらなければ問題ないと乙鬼は考えたのか。そして、自分のオーラを私の右腕に貼り付けた。
「なるほど!!じゃあ、これでふつうに触っても大丈夫なんだよね!」
パッと私の腕から手を放すと、忌々しいといった顔で呪いを再び見て膝を立てると翠の方へと向き直った。
「翠、「外」で何が合ったかくわしく聞かせろ。」
お前がいながら何をやっていた、とでもいいたげに翠を鋭い瞳で睨む。顔面に返り血を浴びた乙鬼の顔は破壊力が増して、しかも機嫌も悪いときた。
その視線にさすがの翠も、冷汗を流しながら、「困ったな」と微笑しながら今日までの出来事を話し始めた。




