空気は読みません
大分この時代の暮らしにも慣れてきた。ミツさんが、あらかじめ村の人達に私のことを話してくれたので、外に出て散歩すると珍しいものを見る目つきで見てくる人たちが沢山いる。
ミツさん一人の言葉で、私のことを疑う人が全くいなくなるとは、よほど彼女は周りから信頼されているのだと分かった。
初めは、なかなか信じてもらえなかったが、大分信用されてきたみたいだ。彼女を騙していたらただじゃおかない、と怒鳴ってきたおじいさんも今では打ち解けてきている。
ここにきて早くも一か月が過ぎた。だんだん此処の人が私を仲間として迎えてくれてきていることに幸せを感じた。
危ないから夜は出歩くなと言われていたけれど、朝昼は問題ないそうで何か出来ることはないか聞いたら、都へ買い物を頼まれた。すこし遠いところだが、暗くなる前には戻れそうだ。道もずっと真っ直ぐに行けば都へ着く。
静かでのどかな村と違い、人も沢山いて楽しいところだと言っていたが、森は広く、都へ着いても続いている。妖怪はそこにも出没することがあるそうだ。治安が悪すぎる。
しばらくして都へ着くと、たくさんの人混みをかき分けて頼まれたものを買いに行く。
『ほ、本当ににぎやかな所だな~。』
こんなに人がいれば、妖も簡単に人を襲えないだろう。だから人もあまりいない静かな村を狙うのだろうか。そもそもなんで人を襲う必要があるのか。
きっと妖怪なりに理由があるのかもしれない。と、目的地に着いたため簡単に結論付けて頼まれていた野菜や果物を買い始める。
すると、近くが少しさわがしくなった。男の怒鳴る声が聞こえたので見てみると、店の男が小さな子供の手をひねりあげて怒鳴っていた。あんなムキムキ大男が、リンゴ売ってるなんて何か似合わない……。じゃなくて、そんな奴に手首を力いっぱい掴まれてるのに全く微動だにしない少年、なかなかやるなあいつ。と思わず感心してしまった。
見たところこの少年がリンゴを盗もうとしたところを、この店の大男に見つかったんだろう。周りで見ている人たちも、何とか助けてあげたいけど、このムキムキ相手はちょっと……というような表情だ。かくいう私は、涼しい顔をした少年の漢気に釘付けだった。
『ああ、そういえばリンゴも頼まれてたんだった。でも他にも買わなきゃだし。時間もないし道も分からないし…というか帰り道どっちだっけ。』
周りの野次馬に混ざって、様子を窺っていると、その少年を見る限り生活に困っている感じはしなかった。ボロボロの服をきているということもなくむしろ貴族のような暮らしをしてそうだ。身に着けているものすべてがこの時代では上等な物だと思う。なんでリンゴくらい買わなかったんだろう。
そういえばリンゴも買い物リストに確か含まれている。辺りを見回しても此処にしか売ってなさそうだ。出来ればもっとリンゴの似合いそうな人のところで買いたかった。いやまあ、このおっさんも似合ってるというか…リンゴに似てるというか。ほら頭の部分とかつるつるで艶があるところがそっくり。
じゃあ、もうここでいいか。
そんなことを思いながら見ていたら、ついに怒鳴っているおじさんが少年の胸倉をつかみあげて今にも殴りかかろうとしていた。周りは止めることもできずに「きゃあっ」という小さな悲鳴をあげる人や、グッと目を瞑る人もいた。
ワッと周囲に緊張が走った時、私の足は動いていた。
「おじさん、リンゴ1つください。」
「「 は? 」」
もう殴られるという寸前で、どこからか気の抜けた声が野次馬の中から発せられた。そこにいた一同は皆、声を合わせて私に視線を向ける。なんで私をみるの?
シーンと今までにない静寂が訪れたが、逆に別の緊張感がやどり、どこか妙な空気だった。
「リンゴください」と言っただけなのに、と不思議に思いながら手に持ったリンゴをしゃくしゃくと食べてみた。あ、これ美味しいわ。
(あ、おじさんの手ぷるぷる震えてる。ガキンチョ、そこまで力入れられてるのに涼しい顔して、なんてガッツのある子なの。)
まだ買ってないのにリンゴを食べるのはまずかったのかな。でもしょうがない。常識がないのは分かっているがこの子が殴られてしまわないように時間稼ぎをしたいという気持ちもあったから。
でもこのガキンチョから私へと矛先が変わろうとしているだなんて、この時は全然気づかなかった。
だって手首を掴まれている少年に釘づけだったから。
そして少年は少年で、ただ無表情に私を凝視していた。周りの人々はどんどん表情が歪んでいった。
リンゴ屋のおじさんが、いつ爆発するのかと、すぐ逃げ出したいのに恐ろしくて動けない。とでもいうような顔。
そんなにいけないことしたのか、と反省した私は、お詫びもかねて追加で頼んであげることにした。
「………おじさん、あの…やっぱ2個追加してもいいですか。」
少し遠慮がちにリンゴの追加をお願いしてみる。
「お前が遠慮すべきはそこじゃない。」
誰かが口を開いた。
何故か傍観している何人かは自らの口を押さえた。
何だその「あれ?思ってること口に出ちゃってた!?」みたいな反応は。皆して打ち合わせでもしていたのかと思うほど息ピッタリだ。
誰が皆の思考を代弁してくれたのかと再び緊張が走った後、少年の方へ皆の視線が戻っていた。つまりこの少年が、私にツッコミをいれたらしい。
それにしても代金を払わずリンゴを食べてしまったとはいえ、リンゴを盗んだ少年がツッコみを入れてくるなんて変な話だ。
「お前にだけは言われたくないだろう」と周囲が私に同情してくれたことも、この時の私は知らないのであった。
『おおお……!なんてキレのあるツッコミ……きたこれ!』
また予想外の反応がきた。このガキ共だめだこりゃ!と何人かが首を横にふっている。実際口に出す者もいた。周りはいろいろと諦めていた。
しかし、素知らぬふりして逃げるタイミングをなくしたのか、周囲の人々はただじっとその動向を見守ることしかできなかった。
「こんの…っクソガキ共があああーーー!!!!」
「「「 !!! 」」」
ついに我慢の限界に達したリンゴ屋は、私と少年の胸倉を片手でまとめて掴み持ち上げると、そのまま二人まとめて殴ろうと拳を振り上げた時だった。
次の瞬間、周囲は異様な光景を目にしたことだろう。胸倉を掴まれて軽々と持ち上げられてしまった私は、カッと目を見開き、左手に持っていた食べかけのリンゴをそれはもう全力で真横にいるガキンチョに向けて高速パスをした。
突然のパスにもかかわらず無表情で難なくキャッチしたガキンチョ。私は、すぐさま新しいリンゴを1つ掴むと、ガキンチョと同時に大男の口にリンゴを勢いよく押し込んだ。
リンゴが2つ、大男の口の中にめりこんでしまった。当然男は、ぐらりと倒れ気絶する。胸倉を掴まれる手が離され、私達はストンと地面に着地した。
もう何度目かの沈黙があたりを包み込む。勢いでやったこととはいえ、まさかこの子とこんなに息ぴったりになるとは思っていなかった。周囲は思わず拍手しそうになっていたことを私は見逃さなかった。
しかし困ったことに、ガキンチョはリンゴを盗んだけれど、私もこのままではただ食いになってしまう。さりげなくチャリンと代金を置いておいた。このおじさんは言うなれば、何も悪くはなかった。なんだか申し訳ない気持ちになるけども私だって殴られたくはない。
そしてずっと黙り込んだまま見世物状態になっているこの状況をどうにかしなければ。この少年は誰も止めないのをいいことにまたリンゴを食べている。利害が一致しただけで決して私はこの子の仲間ではない。どちらかというと被害者だ。そう、今倒れているこのおじさんと同じだ。
焦る心を落ち着けた後、私はキリッと顔に力をいれる。何か話さなければ。そう意気込んだ時、周囲も緊張が伝わったのかごくりと唾を飲む。
『リ……リンゴいかかですか』
「………………。」
ばっちり周囲に一部始終を見られていたのは分かっているけど、私もこの事態をどう収拾すればいいのか分からなかった。短い時間で考え抜いて出した結論。この倒れているおじさんの代わりに店員をやればいいんだわ。さすが私。
周りは言葉を失っていた。その隙を狙ったように、少年は人間業とは思えない速さでその場を去った。
もちろん私は店員として、盗人を逃がすわけにはいかない。
そういうわけで、少年の腕を引っ掴んで共に逃亡したのでした。めでたし。
―――・―――・――――・―――・―
『飛んでた、もはや空飛んでた絶対おかしいあんた何者よ…うっ吐くこれ絶対吐くやつ。』
なんとか逃げ切れたみたいだ。少年が逃げたので、すかさず私はその腕を掴んだはものの、半ば風に吹っ飛ばされるような感覚で逃げ延びた。今私は激しく酔っている。
まさか引っ付いてついてくるとは思わなかったらしく、ガキンチョは少しだけ目を見開いている。あ、そんな顔もできるんだ。
ほっとしたら足の力がぬけてその場座り込む。男の子を見ると、息切れひとつせずに立ち私に向き直る。
『ありがとう。こんなに俊足逃亡とは思わなかったけど、助かったよ。』
「おい、なんでついてきた。」
驚いていたガキンチョは、すぐに不機嫌な顔になってしまった。あの時は、あんなに息ぴったりだったのに、と私は少しだけ悲しくなった。
『君を助けようと勇気振り絞っておっさんに話しかけたのに…』
めそめそと泣いてみせると、少年は2度目の驚いた顔をしてみせた。それはもう雷が落ちたかのような顔をしている。
「まさか、あれで助けようとしていたつもりか?堂々とリンゴを注文して、金を払わず食べて、あげくに追加までしていたおまえが?」
な、なんなんだろう。すごくバカにされている感じがする。確かにこのガキンチョ助けるよりもリンゴ優先だったのは認める。だって、ガキンチョ……漢気マックスで余裕そうだったし。
今だって、この偉そうな態度は「か弱い男の子」なんてものには到底みえない。
「だが、俺が逃げるとわかった瞬間、即座に腕を掴んできたその素早さはほめてやる。」
『私、逃げることだけは素早いんです。』
でも早起きは苦手です。と自己紹介変わりに付け加えておいた。ガキンチョは「救いようのない阿呆だな。」と失礼なことを言ってけど、優しい心で受け止める。私はお姉さんだからね。
ただここは、数百年前なので、現代の私からしたら彼は数百歳だろうけど、この時代に来たからには私の方が年上だ。
この少年の上から目線は、きっと相当大金持ちのおぼっちゃんなのだろう。
『ねぇなんでリンゴ盗もうとしたの?君ならあんなの普通に買えるでしょう?』
「まあな。」
少しイラっとしたのは内緒だ。
『そ、そう…。まぁいいや、ほしかったんでしょ?私はさっきリンゴ買ったの。あげる』
はい、と警戒心を緩めさせよう作戦で無駄にキラキラとした笑顔で私はリンゴを手渡した。しかし少年は黙って受取無言で食べ始める。
(おぼっちゃんのわりには行儀が悪い食べ方するな…まあいいか。)
「うまいな。これ」
『でしょ!…て私が栽培したわけじゃないけどね。もう盗んじゃ駄目よ。生意気な坊や!』
「……なら、小娘。貴様が俺のところに持って来い。」
『は?』
「出なければまたあのじじいを弄ってくる。」
開いた口がふさがらなかった。何なんだこの俺様のガキは!王様みたいだなおい!!勝手にしろよ!と叫んでやりたいが、こんな小さな子を見捨てるわけにもいかない。それに、これ以上いじめられたらあのおじさんかわいそう。
なんで私が?と聞くと、つまらなさそうに「暇つぶしだ」と言う。
腹立たしいけれど、正直この時代にきてやることが特にないため、付き合ってあげることにした。
『ハァ…まあ私も暇だし付き合ってあげるわ。毎日?でも夜は駄目よこの辺りは危ないんだから。』
「……ああ。明日の昼持って来い。待っててやる」
『……はいはい生意気なガキンチョ。わたくしは心が広いから、そのムカつく態度も受け入れてあげるわ。これぞ器が広い女の子!』
「悲しい頭だ。同情してやる。」
『もおおお怒った!私を何歳だと思ってるの!?18歳よ!高校生なんだから!春が来たらもう大学生なのに!』
「こうこうせー?だいが…?何語だ?日本語を話せ。それに18はまだまだガキだな。」
そうだった。この時代にはない言葉だった。とりあえず、こっちの話といって聞かなかったことにしてもらった。しかし聞き捨てならぬことがる。
『はあ!?少なくともあんたよりは大人じゃない!このチビッ子!そういうあんたはいくつなのよ!』
「忘れた。」
『はああ!?』
そういうものなのか?この時代では歳などいちいち数えてないのだろうか。それなら仕方ないかと半ば諦めた。
『なら、あんたはその身長的には8歳くらいね!ほら、私と10歳も違う!お姉さんと呼びなさいよ』
「っは。ほざけ。」
だめだ。このガキンチョといると疲れる…。でも久々にたくさん話したなあ。なんだかんだ楽しかった。これからこのガキンチョが飽きるまでリンゴを届けてあげるのだと思うと、疲れるけれど楽しそうなのも事実。
『あ、もう日が沈んできてる!ガキンチョ、早く帰りなさい。送ってあげるから。』
しかし、このガキンチョは必要ない、といって歩き出した。
「ガキンチョとはなんだ。その呼び方はやめろ」
今更そんなことを言われても困る。
「じゃ、名前は?私は巳弥。」
「……巳弥か。」といって再び歩き出した。え、名乗ったの私だけ?
「ちょっとガキンチョ!あんたの名前!!」
「ガキンチョでいい」
気分屋なんだろうか、全くわけがわからない。
1人で歩き出すガキンチョの背を見送った。まあこの時間だから、妖怪に襲われることはないだろう。私は帰るまで少々時間がかかるため速足で村へ戻った。
村へ着くと外はすっかりオレンジ色の光に照らされていた。きれいな夕日がもうすぐ沈んでしまいそうだ。ミツさんはすごく心配して帰りを待ってくれていた。普通に買いものを済ませればこんなに時間はかからない。あのガキンチョと話していたからだろう。ミツさんに怒られてしまった。でもまた都には行かせてくれるそうだ。
ミツさんに今日会ったガキンチョのことを話した。楽しそうに聞いてくれた。ミツさんはすっかり私の母親みたいな存在になっている。
「でもな巳弥。都は人が沢山いるから、簡単に妖怪は来ないが都で祭りがある日なんかは妖もたまに人にまぎれていることもあるんだ。安全ではないよ。妖怪は、妖力が強いものほど、その力を抑えるために本来の姿を中におさめているらしい。」
『本来の姿?どうやって抑えるんだろう』
「妖力が高い上級妖怪は人の形をして本来の姿を抑える。」
『じゃあ、妖力が強い妖は、人と全く変わらない姿をしているってことですか?でもなんでわざわざ人の姿になるんだろう…』
「そりゃ、人の姿になれば人間に怖がられることもなく、惑わすこともできる。それこそ変化に長けた妖怪もいるだろうね。」
「な、なるほど!なら、案外私が会ったガキンチョも妖怪だったりして!」
その言葉に、ミツさんも笑い出した。
でも、確かに生意気だけど、それはないと思う。だって、あの子が妖怪だったら私今頃殺されてる。いちいち人間に会う約束もしないだろうし。
それに万一妖怪だとしても、あの姿が固定なわけで、きっと妖力は強くてもあの身長だし、まだ小さい妖怪なんだ。きっとウサギとかだ。害はないんだろうと妄想を膨らませてみたがどうせただの貴族のおぼっちゃんだ。
リンゴを栽培している隣に住んでいる人からリンゴをもらい、明日のために早く寝るとにした。