初雪
葵に風邪をうつされて数日がたった。その日は空気に刺されるような冷気に目を覚まし、ぶるりと震える身体を自分の腕で抱きしめながらもしかしたらとゆっくり戸をあけた。辺りはいつもより冷気に包まれた静寂に満ちていた。
「なんだ、……雪降ってるかと思ったのに。寒くなったな…」
朝の光をさらっと浴びたところで、すぐに戸を閉めて中に入った。布にもぞもぞと入り芋虫のようにまるまった。
普通なら寒さでもぐっすり寝ていられる巳弥でも、この時間は葵がちょっかいをかけにくる時間。すっかり癖がついて目が覚めてしまうようになった。といっても、起こされると逆に寝ていたいもので、目が覚めても再び二度寝するだけ。
葵の声もうるさいアラームだと思えば気にせず寝ていられた。しかしその葵が来ないので巳弥は自分から起き上がって外に出てみたのだった。夜に雪でも降ったのかと思わせるほどの急激な気温の変化に身体が静かに震える。
巳弥がすぐに部屋の中に入って布をぐるぐると身体に巻き付けて寝転がった時、毎朝豪快に登場し、眠りを妨げる「アラーム」は、音量を大きくし忘れた携帯のように、静かに表れた。
「おい、簀巻きになってるところ悪いが、凍え死にたくなかったら今日はおとなしくしとけよ。」
「……ん、葵?おはよう。んで、なんで?」
「雪が来る。」
「……来る?降るの間違いでしょー」
「正確には「雪」という名の雪女だ。この冷気といい妖気…間違いない。」
布団に包まった簀巻き状態の体を、葵が開けた戸の所までゴロゴロと転がって行く。その姿を葵は顔を引きつらせたまま眺めていた。
戸の隙間から顔を覗かせてはみるが、何を言っているのかいまいち理解できないと巳弥は首を傾げるも、徐々に空気そのものが凍りつくような感覚と、吸うたびに口内に冷たい空気が肺の中へと入り込むようだった。
やがてフッと白い雪が、唯一布団から出ている巳弥の顔を掠めると、一瞬のうちに扉の開いた隙間に入り込んできた。
もう来たのか、と舌打ちをしながら独り言のように呟く葵は、ここにいろよとだけ言い残し戸をしっかりと閉めるとどこかへ行ってしまった。
「寒い寒い寒い寒い凍る絶対凍る。こんな布きれ一枚じゃ…!!」
芋虫のように布団に包まれてはいるものの身体はガタガタと震えるばかりで、葵も乙気もどこかへ行ってしまった。ほかにも客人なんて来そうにないほどの静けさなので、どうにかしないと凍えてしまう。
何か布団代わりになるものはないかと周囲を見回してみたが、何も置いていないのであるはずがない。
「いや、一つだけあった。」
普段から寝心地は悪いが昼寝の場所としては快適で安らぎの場所、桜の木があった。しかし、そこは近寄るなと言われてしまい行くことが出来なかった。
桜の木は乙気の妖気でできているし、妖怪が寄ってくることもなく、桃色より濃いめのものが木を守るように花弁を覆っている。それはいわば木は結界のようなものだ。
「むしろ此処より安心安全だよね。てなわけで、いざ出陣~!」
もぞもぞと布団から脱皮すると肩にかけて外に出る。ほんの1・2分部屋の中に籠っていただけなのに先ほど覗いた情景とはまるで違っていた。
「え、雪…?え、この数分で積もった……?え、え」
そういえばすぐに「雪」が来ると言っていた。それはこの積雪と共に現れる雪女のことでくわしくは聞いていないが、絶対外出するなと言われているだけあって油断できない妖なのかもしれない。
足首のあたりまで一瞬のうちに積もった雪の上を歩きながら、周囲をキョロキョロと見回す。
普段からこのあたりは妖が突然現れたりするところではないので比較的静寂だ。しかし、小動物たちが自分とは反対方向に群れを成して逃げていた。
「逃げてる?もしかしてこっちに雪女いたとか?うーん危険人物なのかな。」
いつものことなのに雪が降っている現象のせいで普段と違う感覚に不快感を覚えた。
しかしやはり雪の上に仰向けに大の字で倒れている普段見ない人物がいたことに気が付く。進行方向に妨害するかのように存在するものは、人なのか妖怪なのかは分からない。
見た目は16才ほどの少女だった。腰までありそうな長い黒髪を雪の上に無造作に放り出して、生気のない真っ白な肌は、雪と同化していた。
鮮血と間違えるほどの鮮やかな赤い和装の上には雪がぱらぱらと降り落ちて白に染められていくようだった。
「え、誰だろう。死んでるの?あの…。生きてますか?」
その少女の頭上で腰をおろし、首元に手を当てて脈を確認する。が、あまりの冷たさにパッと手を放した。
「し、…死んでる!!冷たい!!」
「―――死んでない…。」
雪を触っているのと変わらない少女の体温に、きっと凍え死んだのかもと思った直後に、冷たい少女は言葉を発した。
ゆっくりと開いた瞳は銀色で、目が合っただけで凍りつきそうだった。黒く長い髪に真っ白な肌、赤い着物に、冷たい身体。どこからどうみても妖怪というか「幽霊」だった。
「あ、えっと…大丈夫?かなり冷たいけど、もはや寒さ感じないくらい危険な状態?それとももう死んでる人?」
「……寒くない。……生きてる」
「そかそか、良かった。幽霊だったら全力で逃げなきゃいけないとこだった。」
「……。」
ふと雪女の存在を思い出した。見ない少女だったのできっとずっと山の向こうの方から降りてきたのかと思ったものの、さすがに妖怪でもこの寒さで雪に埋もれていたのなっては死んでしまうのではないかと感じた。
桜の木はすぐそばにある。あの結界の中はきっと寒さや暑さなど関係ないので、凍え死ぬこともないけれど、妖怪はあの中に入ると悪くて消滅するほどの妖力らしいから連れてはいけない。
そこで、巳弥の唯一の防寒着にしている比較的暖かい布切れを、ブランケットのように少女に羽織らせて胸元で簡単に結んだ。
「はい、これで少しは寒くないと思うんだけど。なんか雪女が現れたんだよね?動物逃げてたけど。雪女って危ないの?」
「……さあ。ただ、雪女は気に入ったものを連れて帰るから。それで関わらないようにしてるのかもね。」
「え?それって誘拐じゃん。コレクションにするとか?」
「これくしょん…?」
「あ、えっと、お宝…みたいな?」
「……そうね。間違いではないわ」
「え…じゃ、気に入られなきゃいいだけじゃんね」
「…そうね。それより、こんな布きれでも身に着けてなきゃあなたの方が死ぬんじゃないの?人間の臭いがするもの。」
「あ、私は大丈夫!ほら。すぐそこに季節外れの桜の木あるでしょ。あそこにいけば寒くないし(多分)だから大丈夫大丈夫!」
「……そう。ありがとう。必ず、返しにいくわ」
あまり笑ったことがないのか、どこか複雑そうに微笑むと、まるで独り言のように呟いた彼女は、布をぎゅっと握りしめた。
それ以上少女が何を言う事もなく、立ち上がって巳弥をじっと見ていた。ばいばいっと一言いって歩き出すと、少女は巳弥が見えなくなるまでずっとそちらを見つめていた。




