宿
すっかり空も暗くなった道をあてもなく歩いていた。そう、確かに家に帰るはずだった。
しかし森から出た瞬間から自分が知っているはずの町ではなかった。その森を出てから三時間は歩き続けている。何度も通った道をぐるぐる周るように、どこを探しても自分の家がない。あるはずがないのだ。そもそもここは自分がいた場所と違うどころか、時代そのものが違っているようにみえる。私は確信的にそう感じた。
建っている家の造り、今まさに歩いているこの道もコンクリートがない。いつもはこんなに暗くても、照らしてくれる灯りが沢山あったはずなのだ。ずっと背中に背負っていた学校の鞄をあさり、スマホを取り出した。見てみると、やはり圏外。いくらど田舎でも電波は普通にあった。でもここには当然電波なるものはないだろう。電柱も何もない。
おそらくここでは電気は使えない。もしこれが夢でないなら、ずっと昔にタイプスリップしたとしか思い浮かばない。ありえないことだけれど、視覚から入ってくる情報がそもそもありえないのだから仕方がない。幸いこの時代に来てから季節が夏になっている。寒さで凍え死ぬことはないけれど、どこかに泊めてもらわないといけない。
『…その辺の家に手当たり次第あたってみよう…。』
近くの古い小さな家の前で扉をノックした。しばらくして木製のボロくなったドアが開かれ、中からおばあさんが出てきた。
「はいはい、なんの用だい。……!?うわあああ!!妖怪だあっ!」
ドアを開けたままその老人の女性は、一目散に家の中に戻った。再び戻ってきたかと思うと、短刀を握りしめながらこちらと少しだけ距離をとり構えている。出ていけ、と今にも攻撃してきそうだった。
『よ、妖怪?私が!?ち、違います!れっきとした人間です!』
いきなりきたという事もそうだが、私が妖怪に見られたのはおそらくこの制服のせいだろう。この老人の服装は完全に和服。きっとこんな制服という服すらみたことないのだと感じた。彼女の私を見る目は完全に服装にいっていたから。
「それでも、お願いします…。私、家がないんです。妖怪だからではなくて多分、未来から…来たというか。本当信じてもらえないと思うんですけど、一晩だけでもいいので泊めてくれませんか…!!」
老人は必死に言う私を黙って聞き少しの沈黙の後、疑いのまなざしで見つめ、やがて口を開いた。
「では、この短刀でお前さんの手のひらを切ってごらん。妖怪は傷がすぐに治る。お前さんが本当に人間ならすぐには消えないだろう。」
どうする?という老人の問いに私は迷わず答えた。
「やります!!」
短刀を受け取り、手の平をツウッと切った。プツリと切れたその掌から鮮やかな赤が流れ出る。腕を伝って制服の袖にシミをつくった。ちょっと深くいきすぎたかもしれない。
ポタポタと地面に落ちるのをじっとみていた老人は、やがて納得したように部屋から包帯を持ってきて私の手を巻き始めた。
『あ、あの…?』
「ひとまずは信じることにするよ。泊まっておいき。家がないんだろう?外にいるのは危ない。ここにいればいい。」
『え…。あ、…ありがとうございます…っ』
これだけで信じてもらえるとは思っていなかったけど、良い人で良かった。こんな妖怪がふつうに出てくるであろう時代に、私のようなみるからに怪しい女を信じてくれた。そして暖かいご飯と寝床を用意してくれた。彼女はミツさんというらしい。家が見つかるまで、という話だったが私に家などないこと分かっていながら泊めてくれている。何か手伝えることを探そう。そう決意して、ごろんと横になった。
―――――――――
疲れて一瞬で眠ってしまった。まだ重たい瞼を開き、部屋をぐるりと見渡して昨日の出来事は夢ではなかったと落胆する。ギギッとドアを開ける音がした。空気がこもって暑苦しい部屋の中に、開いたところから外の新しい空気が入り込む。開いたドアから太陽の光が差し込んで自身の顔を照らした。何時かは分からないけれど、朝がきたらしい。私を泊めてくれた人は、ミツさんと名乗った。
彼女は既に起きているようで、洗濯をしに外に出たようだ。乱れた服を直してから、ミツさんのところまで向かった。
『あの、おはようございます。昨夜は突然すみませんでした!しばらくの間よろしくお願いします!』
「あぁ。ふふっなんだか娘が出来たみたいだねぇ」
昨日の凶器を持って立っていたミツさんとはうって変わって優しい笑顔をしている。私を歓迎してくれている笑顔だ。この小さな家にはミツさんしかいない。きっと寂しかったのかもしれない。
「あんたのことは、あたしが村人達に言っておいてあげるよ。その…せいふく?とかいう格好でこの村で歩かれちゃ、大騒ぎになるからねぇ。あたしのを貸してやる。それでも着ているといい。」
『何から何まで…本当ありがとうございます…!』
そう言うとミツさんは再び、太陽みたいに笑った。
ああ、そうだ。と真剣な表情でミツさんは付け加えて言った。
「今朝、仲間がまた妖怪に殺られた。森に少し離れた所で発見されたそうだよ。
村長が発見したときには、既に花が置かれておったらしい。ここでは日常茶飯事だが、見つけた者はすぐに村長に言う決まりだ。ひょっとして、最初に見つけたのはお前さんかい?」
落ち着いた声で問う彼女の表情は真剣ではあったが、優しい眼差しで私を見つめる。まだまだ疑わしいところはあるだろうに信じることにしてくれたミツさん。第一発見者が私だと言うと、また怪しいと思われないだろうかと不安だったが、正直に言った。
『…はい、私です。ちなみに誰かの敷地内から引っこ抜いた花です。すみません…。』
「あっはっは!大丈夫さ、…あれは当の本人が育てていた花さ。じいさんはずっと大事に育てていた。その花をお前さんは手に持たせてあげた。きっと安らかに逝ったことだろうよ」
『そうだと、いいですね…。』
この村の人達は穏やかに暮らしている。しかし、死がこんなにも目の前にある。別れがこんなにも簡単に訪れる。小さなこの村では、皆が家族のようなものだ。それが1人また1人と欠けてゆく。何も出来ないもどかしさ、どうしようもない苛立ち、恐怖を抱えて生きていかなければならない。この苦痛を背負ってミツさんたちは生きてきたのだ。
『なんて残酷…』
「ん?なんか言ったかい?」
『あ、いやなんでもないです。それより、お手伝いさせてください!』
ミツさんの洗濯をお手伝いした後は、とくにやることもなくミツさんの家に帰り、そのままごろんと横になった。ミツさんは、柔らかい布をかけてくれた。真夏だから布団なしでもいけるけれど、その温かさに少し心が安らいで私は再び眠りについた。