敵打ち
だんだん寒くなってきてはいるものの、昼は比較的暖かい。学校というものがない巳弥は、桜の木で昼寝をするのが日課となっていた。乙鬼のおかげで妖怪に襲われることもなく怯えることもない。ましてや恐ろしい妖力を持つこの桜の木に好んで近づこうという輩はいないため、優雅に昼寝が出来るのでお気に入りの場所だ。いつものようにぐっすり夢の中に入ってる時、頭上から自分の名を呼ぶ声がした。
「んー……葵、まだお迎えには早いよまだ日暮れてないじゃん……。」
「葵……?あいつはお前の子守り役になったのか?」
「……!」
普段みたく葵が迎えに来たのかと思っていたが、透き通るような美しい女性の声だったことに驚いて目を覚ますと、巳弥を見下ろすように枝の上に座っている人物と目があった。目を覚ましたばかりで覚醒しておらず、天使に出会ったかと錯覚した時、見上げる自分の頬に金の羽がふわりと落ちてきたのを見て、鳥の妖怪で巳弥が出会った唯一の女の妖怪だった。
「チセさん!突然こんな所に来てどうしたんですか?」
「乙鬼様の妖力でできている妖木とやらを見に来たのさ。ついでにそんな膨大な力で消し炭にされる妖怪もいる危険な木を好んで眠り場所にする人間の娘がいると聞いたのでね。」
「わあ、私有名人みたいですね。」
「ああ、ある意味私達からすれば化け物だからね。」
「へへっそれほどでも!」
「これっぽっちも褒めたつもりないんだけど。」
呆れた顔と、どこか居心地が悪いのか顔色が悪く、背中の翼もたれてしまっている。息苦しそうな表情をしながらため息をつく千世は早々に枝から飛び降りて今度は下から巳弥を見上げた。桜の木の妖気から出たからかすぐに顔色が良くなっていた。上級妖怪にすら此処は危険な場所なのに平然としていられるなんてちょっと不思議な気分になった。
「そういえばこの森で女の人、まだチセさんにしか会ったことないんですけど、この森で女性はチセさんだけなんですか?」
「居るわよ。でもこの山の裏にいる。結構時間がかかるんだけどね。まあ……いろいろと事情はあるが……。」
とても言いづらそうに目線を右下に逸らした千世に、聞いていいのか分からなかったが気になって仕方なかった巳弥は、聞くことにした。すると、千世はしぶしぶ話し始めた。
時は遡ること約5年前。人間にとってはまあそこそこ時間が経っているように見えるが、妖怪にとって瞬きをするような時間。ここ最近のことだと千世は言った。
この森は、5年前までは普通に男女が共に共存していた。ある時、アサギという1人の女が森を出て人間の友をつくった。青年だったらしいが恋仲という関係ではなく、普通の友人で、アサギが妖怪だと知りながらも関わろうとする変わった男だった。
ある日アサギは、森の中に男を迎えた。自分が招いたのだから他の妖怪も男に攻撃はしないだろうと考えていた。しかし実際は逆だった。男は、3匹の獣の妖怪を見つけると隠し持っていた短刀で切り殺した。アサギは突然の事に思考がついて行かず動けなかった。
男も獣の妖怪を見て恐ろしさに我を失ってしまったのだとアサギは思った。人間が妖怪を殺した事実が他の妖に知られればとんでもないことになると急いで男を森から出そうとしたが、この森を支配する長、乙鬼が血の匂いに反応しすぐに見つかってしまった。
ましてや長に見つかるとは、っとアサギは腰を抜かしてしまった。だが、男は違っていた。血に濡れた短刀を乙鬼に向けて彼の方へ走っていった。
「行っちゃだめ……!!!!」
アサギの絞ったような叫びは届くことなく、乙鬼に刃向かった男は切り裂かれてその場で倒れた。へたりこんで震えているアサギを一瞥すると、男の返り血がついた手を舐めとりながら、ゆっくり近づいてきた。恐怖と怒りが彼女を襲った。
「人間が森に入ってはならぬという決まりはないが、入っていいと言った覚えもない。覚えておけ。この男はそれだけでなく此処の妖を殺した。死んで当然だ。」
「……。」
息絶えた男は、乙鬼がとどめをさしたわけではなかったので、かろうじて生きていた。最期の力で森を抜け、村人たちに森の長の事を話す。その後まもなく力尽きた彼が乙鬼を見て森を抜けられた唯一の人間だった。森の長の話は村中に広まり、ますます人と妖怪の争いは激しくなっていった。
しかしアサギは乙鬼を許せなかった。恐怖で何も言えなかった彼女も、村へ逃げ切ったであろう彼が死んだという話を聞いた時から乙鬼に憎しみを抱くようになった。そして、男の敵打ちをしようとした。
もちろん、乙鬼に敵うはずもなく、アサギは容赦なく殺されてしまった。それから、女子供にも容赦しない森の長は一層恐れられ、森に住む女子供全て、乙鬼から遠く離れたところで暮らすことにした。森から出て別の山へ行ったものもいる。
「まあ、たったそれだけでって思うかもしれないが、あの頃は結構大きな事件だったんだ。だから女は此処にはいない。ほとんどが隣の山にいる。……ほとんど、といっても上級妖怪はそんなに存在しないから、10人ほどしかいないがね。」
「チセさんはこの森にふつうにいますけど、怖くないんですか」
「ああ。殺されるようなことをしなければ良いだけだし。それに……お前も女じゃないの。しかも人間の娘。何の気まぐれかは知らないけど、あのお方は一体どうして嫌いな人間をわざわざ飼ってるのかしらね。」
「え?私……貶されてる?それとも褒めてられる?」
「……どうみても前者ね。」
乙鬼が女子供も容赦なく殺すという事は、会ったことはなくても村にいた時ミツさんや村の人たちから何度も聞いていた。だから、驚きはしないがチセさんの言う通り、何故自分は生かされて、しかも平凡にまったりと過ごせるのか疑問が出てきた。
それでも森の中は、獣か、ただの動物か、上級妖怪の男しかいない。チセさんみたいな綺麗な人みて癒されたい!ならもうその山に行くしかないじゃない!乙鬼に怒られるかもだけど、知ったこっちゃない!むさくるしい男達に囲まれて過ごすよりやっぱり女の人だよね!いざいざ!
「……心の声が聞こえてるわよ。」
「えっ」
呆れた顔をされたけれど、チセさんは何とか頷いてくれて連れて行ってくれることになった。この森の裏にある隣の山だそうだが、やはり一日じゃ着かないのでチセさんは私を抱きかかえて金色の翼を大きく広げて飛んで行ってくれた。おかげでまだ日は暮れていない。
自分も羽があれば、道に迷うこともなく森中を探検できるのに。上からみる森はいつもと違っていて乙鬼の家が見えた。涼しい風と、チセさんに身を任せて飛んでいくと早くも着いたようだった。もっと飛んでいたかったと一瞬のことのように思いながら案内されて歩いて行くと、五人の女性群が楽しそうに話していた。
「う、美しい……!お姫様達……!」
「巳、巳弥……ヨダレがでてる……。」
「えっ」
この山に入ってきてしまった人間は、まさかここにも妖怪がいるなんて思わないだろうから、こんな綺麗な女の人達に会ったらだまされてしまう。と独り言を呟いた。
「大丈夫さ。山には必ず妖怪がいるということは人間は知っているから近づかないし、私たちのような派手な格好をしている奴は皆妖怪だということも人間は知っている。」
「あ、ああ。なるほど……。」
そういえば、見るからに高価な着物や人間とは思えない髪の色や瞳の色、千世さんには背中に羽があるし、乙鬼も角がある。翠には狐の耳や尻尾。皆何かしら人にはないものがある。
「そうだ。あの5人の中に長い黒髪の女がいるだろう?飛鼠というんだ。彼女が、アサギの一番の友人だった。アサギが死んでから彼女も乙鬼に復讐しようとしたんだ。それを私たちが全力で止めた。やっとああやって皆と笑いあうようになったんだ。」
「ヒソさんっていうんだ。復讐するような人には見えないけどなあ。」
「いや、もしかしたら、まだ……」
暗い顔をしてポツリとチセさんが呟いた時、2人で話をしていた張本人、ヒソさんがこちらに気がついた。チセの方を向いて手を振っていたが、見知らぬ顔があることに気がついて5人の輪から抜けてこちらに歩いてきた。見知らぬ顔というのはもちろん私のことだ。チセさんが、私の事を紹介してくれたが、人間が森に、しかもあの乙鬼の住みかで住んでいるということを言っていたがヒソさんは驚いた表情は見せていなかった。もしかしたら、この山にも「人間の娘が森に住んでいる」という話は広まっていたのかもしれない。すぐに納得したヒソさんは、一瞬目を細めて私を見つめると二コリと笑顔になり「よろしくね」と言った。一瞬、暗い何かを感じた気がした。
「ああ、はい。巳弥です」
紹介が終わると、5人の輪に入り仲良く話していた。少し経ってから、チセさんは乙鬼に私が此処にいることを一応報告してくると言って森へ戻ってしまった。それから5人の空気が一瞬にして変わってしまったのだ。
いったい何が起きたのか分からなかった。気のせいかと思ったが、全員が黙り込んで自分の方を向いて無表情で見つめられた。
「千世は行ったようね。」
「ええ、良い物を連れてきてくれたじゃないの。」
「ようやく、あいつに……思い知らせてやる。」
5人が同時に殺気を放つ。何が何だか分からなくて立ち上がろうとしたら、女性とは思えないほどの力で抑えつけられた。
「な、にするつもり……っ!?」
「巳弥と言ったわね。お前は、あの乙鬼が飼っているお気に入りだと聞いた。私の大切な友人を殺したあいつに、思い知らせてやるの。そのために、死んでもらうわ。」
そう言うヒソの口元から牙が出てきて背中からボキッボキッと背中を突き破る鈍い音とともに黒い翼が出てきた。飛膜と呼ばれる伸縮性のある膜で出来た翼を見た時、巳弥は彼女が何の妖怪なのかを知った。
「蝙蝠……っ」
言われてみれば、飛鼠という名前も蝙蝠の別名だった。と出来る限り暴れると、周りの4人も同じ翼が現れた。全員蝙蝠だったのだ。千世さんがいなくなったのを良いことに、私を使って乙鬼に復讐をするつもりらしい。千世さんはやっと笑うようになったと言ったが、まだ憎しみは消えてはいなかった。この5人でずっと彼に復讐できる機会をうかがっていたに違いない。確かに、簡単にそれも容赦なく殺しをすることにためらいがない乙鬼は恨まれても仕方ない。
しかし、そのために自分が死んでやる義理はない。チセさんが来るまで時間を稼ぐしかないのか。幸い森の中で生活するにあたって何かがあってもいいように護身用に武器は持っている。うつ伏せにされて頭と左腕を押さえつけられて馬乗りをされていた。空いている右手を何とか懐に忍ばせて短刀を馬乗りになっているヒソめがけて腕を振り回した。
「ッああああ!!!!……こいつ……ッ!!!」
巳弥の頬にポタリと何かが落ちてきた。血だ。ヒソのどこかに掠ったようで、悲鳴をあげている。力が緩んだ瞬間に押しのけてヒソから抜け出した。そのまま振り返る余裕もなく走りだしたが、5人が叫び羽を広げて追ってきた。
飛びながら追ってくる蝙蝠の速さに敵うはずもなく、横腹を咬みつかれてしまう。
「……うッ…ァ!!」
その場に倒れこみ再び馬乗りになって押さえつけられ、4人に囲まれた。乗っかっているヒソの口元は巳弥の横腹を咬みちぎったためべっとりと血がついていた。それをおいしそうに舐めとっているのを抑えられながら見るとより恐怖が増した。長い爪で、巳弥の頬に傷をつくる。腹部の痛みの方が深くひどいために頬の痛みがわからなかった。
「ようやくあいつにも同じ気持ちを思い知らせることができる…。悔しがる顔が見れるわアハハハ!!」
「ねえ、ヒソさん。悔しがる顔が見たいんだったら多分無駄だと思うよ。私、気分で生かされただけだもん。それにただの、契約をしただけ。」
「……そんなはずないわ。でも、万一そうだったら、また別の方法を探すから構わない。」
「……っ。」
高い声で愉快に笑うヒソは長い爪を振り上げて、巳弥に振りおろそうとした。身動きも取れない彼女は、なすすべなく目をギュッと閉じた。
「……。」
何かを貫いた音がしたはずなの巳弥に痛みの感覚は襲ってこなかった。もしかしたら痛みは感じないものなのかとも思ったが、顔に生温かい鮮血がかかった。自分のもののはずなのに、痛くない。
「あれ……生きてる…?じゃあ、この血は……え…?」
自分を押さえつけていたヒソは、巳弥が起き上がろうとしたと同時に横に倒れた。周りを見ると、囲んでいた蝙蝠の4人も倒れて血を流していた。
「な、何が、起きたの……。」
1人呆然と座り込んでいると、女人しかいないはずの山に背後から低い声がした。声のする方を向くと、復讐だの敵打ちだのと言われていた本人が立っていた。
「―――――― 乙鬼……。」




