堕天使
森の中に一軒存在感をだして建つ建物。森の長の家に一人の娘がいることは森中の妖怪達に知れ渡っていた。それを知っていても、襲ってくる妖怪は一匹としていなかった。なんせ妖怪の長の住処なのだ。上級妖怪でも、気軽に踏み入れられる場所ではない。そんな家の中から悲鳴が上がった。清々しい朝の陽に照らされながら、屋根の上に数匹の小鳥がとまっていたが、一斉に飛び去った。周辺の木にいるリスや虫も一斉に逃げて行った。
その家の中では、悲鳴をあげた私ともう一人、男が眠っていた。その男は私悲鳴に驚いたようにぱっちりと目を覚ました。状況を察したのか、男はにっこりと微笑んで「久しぶり。」とだけ言った。
寝癖なのか、銀色の髪があらぬ方にはねている。私の悲鳴でおかしくなったのか、耳をピクピクとさせる彼を私は知っている。
『あ、翠…?』
「やあ。ちゃんと覚えていてくれたんだね。それにしても、あの乙鬼が人間の娘を森で飼うなんて聞いて来てみたら、なるほど。やはり君だったか。」
『なんで、私だと思ったの……?』
「ん?だって君、村で仲良く乙鬼といたじゃないか。」
『は?』
いったいなんの話だと聞こうとしたとき、いつもの如くバンッという音とともにドアが壊れた。この狐の妖怪、翠以外はまともにドアも開けられないのだから呆れたものだ。だが狼が毎日直しにくるのでほかっておいて、壊した本人乙鬼の方を振り返ると、今日はとてもご機嫌ななめのようだ。
「……翠。余計なことを言うな。」
静かに低い声でそう言う乙鬼に、翠はまた微笑んで「成程。わかったよ」と言った。
「いやいや何も納得してない!葵の時もそうだったけど、いったい何を隠してるの?」
「すまない巳弥。さっきの話は忘れてくれ。」
いずれわかることだ、と言ったきり話をすり替えられてしまった。一生分からないわけでもないなら、我慢しようとその場は収まった。
「それより、さっきの悲鳴は何だ。お前がどうしてここにいる。翠……。」
「いや、乙鬼が飼ってる人間とはいったいどんな子なのかと興味が湧いてね」
「え?ちょっと、飼うって何!飼われてないから!ペットじゃない!」
すばやく突っ込んだがそれについての返答は返ってこなかった。一瞬にして二人の空気が変わったからだ。
「……?」
森が荒れている。この場所でない、もっともっと向こうの方で。人間の私でもわかるくらいの寒気すらする殺気に思わず足が震えた。こういうの本当やめてほしい。
乙鬼と翠の見ている方は同じ方角だ。その方向は村のある方。つまり森の入り口付近だ。
「血の匂いが濃い……。」
「……ああ。巳弥、貴様は家に入ってろ。そこから一切出るな。」
言葉を発する前に、二人は一瞬にして森の奥へと消えた。きっと、血の匂いがするその場所へ行ったのだ。もしかしたら、人間かもしれない。
だが、乙鬼は「森に入ってこない限り外の人間は襲わない」確かにそう約束した。だが、全ての妖怪が守るとは限らない。もしかしたら、人間が襲われたのかもしれない。
いてもたってもいれずに、森の入り口へと走る。方向音痴だが、小動物たちが自分とは逆方向に逃げてくる。きっとその方向に乙鬼たちは行った。小動物が来る方を走り続けていると、銀と赤の髪が見えてきた。乙鬼は来るな、と言った。それで私が現れたら怒るに違いない。木の陰に身を潜めて様子をうかがう。
血を流して倒れているのは村の人間のようだ。話したことのない男だった。それでも、首を噛み付かれたのか、大量の血が辺りに飛び散っていた。出血多量で死んだのだと思われる。首を狙うとはいったいどんな妖怪なのかと乙鬼と翠以外の人物を見ると、それは綺麗な女の人だった。思わず見惚れてしまうくらいの綺麗な金色の髪の毛、背中に生えている羽を見た。綺麗な顔立ちだが、口の周りには血がべっとりと付いていた。羽にも男の血がついていた。
天使かと見紛うその女の妖怪は、血に濡れて堕天使にしか見えなかった。
「忘れたか、「森の外にいる人間に手を出すな」そう掟をつくったが。伝わっていなかったのか。」
乙鬼の低い声に、堕天使のような女性は静かに答えた。
「違います。乙鬼様、この人間が森に入ってきたのです。その証拠に私の大切な子鳥が、殺られました。」
死んだ男の方を見ると、その手には矢で射ぬかれたような傷跡をつけた金色の小鳥が男に掴まれていた。
この女性が村人を襲ってきたのではなく、森の外から金の鳥を見つけたこの村人が矢を射て持って帰ろうと森の中に入ってきたんだ。
森の中に入ってきた人間は殺してもいいというルールだった。だからこの男の自業自得というやつだ。
動かない金の小鳥は、この女性のもの。つまり、自分の子のようなものなのだろう。この女性は、鳥の妖怪なのだと分かった。
私は隠れるのを止めて、その現場に姿を現した。当然二人は驚いて、乙鬼はぎろりと痛いくらいの視線を浴びせてきた。向かったのは死んだ男性の所。左手に握られている小鳥を優しく拾い上げて、傷を確認した。
『ねえ、鳥の妖怪さん。この小鳥、まだ助かるかも知れないよ。』
「え……」
ぱっと顔をあげた鳥さんを余所に、乙鬼は私達の間に割り込んできた。
「おい、来るな。と言わなかったか。」
『それは、その……すんません。』
すると、ふわりと自分の足が地面から浮いた。いったい何が起きたのかと状況を確認すると、乙鬼に俵担ぎをされていることに気が付く。
「帰るぞ」
『うええッ…ちょっと!物みたいに担がないでよっ。あ、鳥さん、この小鳥さん助かると思うから!治療して今度返すね!』
ゆさゆさと俵のように背負われる私を、茫然と見る鳥の妖怪と、クスクスと堪えることもせず笑っている翠に見送られながら乙鬼によって強制送還されてしまった。




