乙鬼
誰もいない森をひたすら歩く。どこに妖怪の長「乙鬼」がいるのか分からないのに、歩くことは止めない。言葉の通じる妖怪に会わないといけない。殺されてしまうかもしれないが、運が良ければ乙鬼のところに通してくれるかもしれない。いつその妖怪が現れるかドキドキしながら暗い森の中を歩き続けた。
どこからか、視線を感じる。纏わりつくような気味の悪い視線は入った瞬間から感じていた。この時代に来たとき、人間が入れば上級の妖怪にはわかる。と翠が言っていたのを思い出す。
そういう意味では、妖怪に見ようと思えばそう見える、その程度だった。
すると、ずっと纏わりつくような視線が消えたと思ったら、進行方向に何かが立っていた。さっきからずっと見ていたのはこの妖怪だろうか。ガサガサっと木の葉の中から真っ黒な羽を生やして降りてきた。嘴と羽、鳥の妖怪だ。どうやら上級妖怪ではないらしい。ということは、人の言葉は通じないかもしれない。じりっと後ろに一歩下がった時、バサバサと羽を広げた。
「……?人間のにおいがしますよ、乙鬼様。またそんな恰好で人間の世に紛れてきたのですか?人間のにおいが今日は一段とお強いですね。」
お戯れを…と困ったような顔で言うこの鳥は言葉は話せるようだが、いったい何を言っているのか。
私が乙鬼?何故…?人間の匂いがすると言った。しかし、この鳥は私のことを妖怪の長である乙鬼だといった。もしかしたら、自分から乙鬼の匂いがするのだろうか。
クンクンと綺麗な着物の匂いを嗅ぐしぐさをするが、乙鬼の匂いなど全然分からないし、会ったこともない。でも、人間だとバレたら殺されるかもしれない。ならばこの状況は案外使える。
「さあ、乙鬼様。帰りましょう」
踵を返し、歩き出す鳥に黙ってついていくことにした。私を乙鬼と勘違いしているためそのまま乙鬼がいつもいる所に連れて行ってくれるようだ。獣の格好をしているのに言葉が話せるので下級妖怪ではないのだと感じた。
三十分くらい歩いた時、ある建物が見えた。森に建つ家で、空き巣という感じはせず少し古くなってはいるが都に建っている家のようだ。妖怪が建てたのだろうか。この鳥はそこに向かって歩いている。その家の目前まで来たとき、その扉が開かれた。
「…んん?誰か入っていたのか…?乙鬼様、今見て参ります。」
鳥が立ち止まって、呟いた。もしかしたら、この家は乙鬼の住処なのかもしれない。この鳥は私が乙鬼だと思っているため、その乙鬼の家から誰かが出てきたことに疑問を抱いたのだろう。しかし出てきた人物を見て吃驚していた。
「…乙鬼様…!?」
鳥の声に気が付いたのか、乙鬼という人物はこちらに冷たい視線を向けた。
自分と同じ赤い着物、そして黒の袴。金の模様が入った黒い羽織を着た妖怪と目が合う。上級妖怪と呼ばれるような蛇や妖狐の翠とは会っているが、比べものにならないくらいの威圧感。この森を統べる妖怪の長というだけはある。覚悟はしていたものの、あまりの殺気と威圧感に足が震えてきてしまった。
「お前は、乙鬼様ではない…!?だとすると、人の子か…!!」
鳥はすぐにこちらを向き、バサッと大きな羽を広げて私から距離をとる。そして乙鬼の所まで飛んだ。
あっけなくバレてしまった。だが、本来の目的は乙鬼に会うことだったからこれでいい。
「……鳥。……あれは何だ。」
静かに鳥の妖怪に呟いた乙鬼の声に思わず耳の奥が震えるような感覚に襲われた。
「人間の娘ですかね…でも妖怪の匂いもする…。あの女は…妖怪でしょうか…」
鳥の言葉に、乙鬼は目を細め、私を食い入るように見つめた。しかし、何かを納得したようにその口が弧を描いた。
「かまわん。おそらく奴は人間の村娘。殺せ。」
なぜ、分かったのだろう。「村」の娘だということまで確信的で自信満々に言うこの乙鬼という妖怪が怖くなってきた。
私はやはり殺されるのだ。でもその前に聞いてもらわねばならないことがある。
「はっ!!どうかお許しください。この娘からかすかに乙鬼様の匂いがして、いつものように乙鬼様が、翠様の妖術で人に化けていたのかと思ってしまったのです。」
ひれ伏し謝罪の言葉を口にする鳥から目を離し、その赤い瞳がこちらを見たかと思うと、その場所から乙鬼は消えた。それは一瞬で、次の瞬間には身体が触れ合うくらいの距離になっていた。
瞬間移動…!!!!!
目の前に乙鬼の胸板が広がった。少し上を見上げると、赤く長い髪が風に揺れているのが見えた。額から角が生え、間近で鋭い深紅の眼光に捕らえられた。
金縛りがあったように動くことが出来ない。それでも逃げなければという思いで足が動いたがそこから下がることが出来ずに腰から崩れ落ちた。地面にへたりこんだ私に、彼はしゃがみこんで私の顎をつかんで顔を凝視していた。
「お前が伝説と言われる女か。どんな人間が来るかと思ったが、妖怪に変装するとは面白い。騙せると思っていたとは…実に愚かだな。」
クツクツと怪しげに笑っている。騙すのは乙鬼に会うためのもの。愚かだろうが、私の第一の目的は達した。
『……!』
どうして森の長が伝説を知っているのだろう。聞きたいけれど、気分屋といわれる彼がいつこの首を切ってくるか分からず口を開くことが出来なかった。
「確実にその息の根を止めようと思っていたが…。その根性、殺すには惜しい。貴様が永遠にこの森に残るというのなら、ここに来た理由を聞いてやる。」
生きるか死ぬか、選べ。という彼の血のような赤の瞳に射ぬかれそうになりながらも、目を離せない。離したら殺されそうな気がした。
『分かった。死ぬまで此処に残る。村には一切手を出さないで。都にも。妖怪が人を襲うのを止めさせてくれるなら。』
力強く言い切った巳弥を黙って一瞥した後、今だひれ伏したままの鳥の所に戻って行った。
「いいだろう…その約束は守ってやる。しかし、人間がこの森に入った場合はそいつの命の保証はないと思え。同じく、人間が仕掛けた場合はそいつらの命はない。そして、……お前が逃げたと分かった時はすぐに殺してやる。そしてお前の村を滅ぼす。いいな」
「わかった…。」
妖怪の長に話が通じた。響くように耳に残る乙鬼の最後の言葉。
私が逃げたときは村を滅ぼす、確かにそういった。今ここにいるのが雪乃ちゃんだったら、伝説通りなら彼女は殺されてしまう。ガキンチョは自作自演とか言っていたけど、そんなことをするような子ではない。此処にいるのは雪乃ちゃんではない。未来は少なからず変わったのだと信じたい。
「鳥…森の妖怪達全員に伝えろ。人間の娘が一人来た。だが、この娘が逃げようとしない限り「殺すな」とな。人間が入ってこない限りは森から出て襲うことを禁ずる。」
「…!仰せのままに。」
バサッと大きな羽を広げ、広い森の中を飛び立っていった。これで、そこいらの妖怪に殺されずにすむ。ふうっと一息つくと、いつの間にか再び目の前にいた。次は何だと、乙鬼をじっと見る。今だ座り込んだ私を見下すように見る彼は、吃驚したように私の後頭部をみていた。
私の髪には桜の簪しかささってないはず。何がそんなに気になったのだろうと、乙鬼が話はじめるのを待つ。
「……その簪、もらった物か」
「……?自分で買った。私の簪だけど…、」
緊張でうまく言葉が出せずにとぎれとぎれに答えた。だが私の言葉に何やら焦りのような、驚きのどちらもまざりあったような感情が彼の瞳から感じられた。も、もしかしてこの簪…ほしいのかな。あげなきゃ、だめかも…?この桜の装飾がされた簪は、ガキンチョが選んだものだ。妖怪は桜が好きなのかな。
こんな時にふと考えてしまう自分がいる。すると、突然しゃがみこんで、私の顔を凝視してきた。目や鼻、口、輪郭、ひとつひとつを確かめるように見てきた。すると、「まさか。」と、彼の口が微かにそう動いた気がした。
「――――お前、名は何という。」
「巳弥。」
今まで見たことのないくらい真っ赤な瞳が見開かれた。真っ暗の空に満月が、この森にただ二人だけを照らしているようだった。




