雨
西の空が黒い雲で覆われている。嵐がくる前兆のようで、じきにあの雲がここら都を覆い尽くすだろう。
それを皆もわかっているのかいつもにぎわった都はすっかり人通りが少なかった。もうすぐあの女がくる時間だが、夕方になるころには嵐が来ているに違いない。
あの小娘が住む村の人間もそれはわかっているだろうから、今日はあの娘は来ないかもしれない。いや、逆に来たらただの馬鹿だ。にもかかわらずなぜ俺はいつものようにここであいつを待っているんだ?
いや、ただの暇つぶしだ。特にすることもないしせっかく此処に来たのだから時間がくるまでここで来ない奴を待つのもいいかもしれない。
風向きでゆっくりゆっくりと迫ってくる黒い雲をただぼうっと眺めていると、通りすがる人間が迷子だとおもったのか話かけてくる。
子供は早く帰れだの、今日は家に戻りなさいだの、話しかけられるのが耳障りになった。これ以上はごめんなので、待ち合わせ場所の横に建っている店の屋根の上にのぼった。
仰向けに寝ると曇った空が広がる。すると、唇にポツッと水滴が落ちてきた。
「雨か…」
口についた水滴を舌で舐めとると、ポツポツと降ってきていた雨はすぐに大降りになってきた。
屋根の下で雨宿りをするやつ、もっと天気はひどくなると勘付いて濡れながら走って帰るやつ、いろいろいたが俺は堂々と屋根の上で濡れていた。秋とはいえ濡れると肌寒くなってきた。
何も考えずに目をつぶっていたとき、人もすっかりいなくなったこの道にバシャバシャと走ってくる音が聞こえた。
気にせずに目を閉じていたら、自分が寝ている屋根にドン…という小さな振動があった。何だと思って目を開けて起き上がった。
『ん、よっ!ふんっ…と!』
聞き覚えのある声の主が、自分のいる屋根まで上がってこようとしているようだった。俺はその人物に手を伸ばした。すると、びしょ濡れのそいつは満面の笑みで俺の手を取りそのまま引き上げてやった。
「お前は嵐が来ると分かってここまで来たわけではないだろうな。」
『嵐くるの?』
「……。」
こいつの脳みそは快晴だったらしい。
馬鹿だな、と言ってやろうと思ったが人のことを言える立場でもなさそうだ。なんとなくこいつは来るような気がしていた。だから待っていたのかもしれない。
がっこうのかばん、とやらから布をとりだしてわしゃわしゃと俺の髪をふきはじめた。叩きつけるような雨が降っているのに布一枚で髪をふいたところで意味をなさない。
そのままこの女のすることを黙って観察していると、屋根から降りて少し歩いたところにある宿を借りていた。さすがに此処へきて村に帰るまでには大荒れの空になる。
今日は宿屋で泊まっていくらしい。二人分をとったのか、借りた宿の中に俺も入る。
「一応二人分とったけど、家に帰りたかったら帰ってもいいよ。あ、でもとりあえず拭こう」
再び布で俺の頭をふこうとするのを止めた。
「俺はいい。おまえが拭け。人間は弱いから風邪をひかれては困る。」
そういうと、自分の髪をふきはじめた。お互いの着物はすっかりびしょ濡れで、絞ったらこの床は水浸しになりそうだ。
「わぁ…着物が重いぃぃ…びしょびしょじゃん。ガキンチョ、その着物脱いで。干してくる」
そのままびしょ濡れの着物を俺が居ながらいそいそと脱ぎ始めた。この馬鹿女は学習能力がないらしい。
頭にきた俺は、小娘の持ってきたという学校鞄を、堂々と着物を脱ぎ始めたバカ女目掛けて投げてやった。
中に何が入っていたのか知らないが、頭に直撃したようでゴンッという鈍い音がした。
「いたあああい!!」
「…俺は以前言ったはずだが?」
温泉に行った時の出来事を思い出したのか、痛む頭をさすりながら顔が真っ赤になっていた。そのまますぐに濡れた着物を着なおして、別の部屋へ移動した。宿においてある長着を着て出てきた。
「はいこれ、ガキンチョが着るやつ持ってきたから着替えてね。それで、今着てる着物は干すから着替えたら言って~」
そのまま別室に入りパタンっとしまったのを確認すると、着替え始める。
それにしてもさっき投げたあの女の私物の鞄とやらにはいったい何が入っていたのだろう。あの女が石頭だからあんな音がしたのかと疑問に思いそのかばんを開けてみた。
中には6個ものリンゴが入っていた。そういえば、ここ最近あの女からリンゴをもらうのを忘れていた。あの女と会う理由もリンゴをもらうためだったはずなのに、今ではもらうこともなくすっかり日課となってしまっていたようだ。そんなことを考えていたら、別室から女が出てきた。
「着替えたー?なら、着物ちょうだい干してくる。……あ。それガキンチョのだよ。久しぶりにリンゴ持ってきてあげたから、食べていいよー」
俺の着物を持ってその場を後にした。ボロい宿のためかみしみしと軋む音がする。外は真っ暗で嵐が来たようだ。この宿は大丈夫なのかと一瞬思うがそこまで古いというわけでもないのでほかっておくことにした。リンゴもこれだけあるから今日はこいつと一緒に泊まってやるか。
横になって二人で寝そべっていた時、女はふいに立ち上がって外の様子を見ていた。
開いたドアから見える外の様子を俺も見てみると、空を斬ったような稲妻が眩しい閃光をあげていた。少し遅れてバリバリと落雷の音がした。
『うわー落ちたな~。いや、でも今のはなかなかの音だった。』
ドアを開けながら愉快そうに荒れた空を見ている。
「雨が入る。そろそろ閉めろ」
『はいはい~』
パタンとドアを閉めると、思いついたようにこちらを振り返った。
『そういえば、この宿半額にしてもらってるから日が昇る少し前くらいには出て行かないといけないから、起こしてねー!』
というわけでーおやすみ!という言葉を最後にすやすやと眠りについた。とくにまだ眠くもない俺は、あっという間に寝てしまったこの女の隣で横になった。
まだ残っているリンゴをかじりながら眠気がくるまでぼうっとすることにした。
横になってしばらくすると、自分の腹部にのっしりと重みがあった。寝相の悪い女だ。片足が俺の腹に乗っかってるため、裾が捲れあがり実に無防備だ。胸もともすっかりはだけて、着ている意味があるのかと疑問になる。
この身なりだからなのか、温泉の時といい俺は男と見られていないらしい。そう思うとイライラして、思いしらせてやろうかと思ったがイビキをかいて、ぐーすか寝てるこいつを見るとそれも冷めてきた。
乗っかっている足を元にもどし、ついでにこいつの乱れた着物も戻してやった。
やっときた眠気に逆らうことなく、静かに眠りについた。
何度も隣にいる女の足や手が俺に乗っかってきたのは言うまでもない。
なかなか安眠出来なかったにもかかわらず叩き起こされ、あげく早朝に宿から追い出された。実に不愉快だった。