迫る足枷
走って走って、ただひたすらに走りつづけた。追ってくる気配はないが、油断はできない。見つけられないような位置まで走ってやるんだ。
濡れた髪はぐちゃぐちゃで頬に張り付き、髪からの水滴が目に入る。グシグシと乱暴に擦りながら走っている私は今、全裸である。
『うおおぉお!』
此処がもうどこかも分からないけど、見つからなければ大丈夫。帰れなくなる問題はとりあえず後から考える…よし!
しかし、走れば走るほど足場が悪くなってきた。普通にしんどい。
どこか見つからないような場所があればいいんだけど、そう簡単には見つからない。
『わあ、大っきい…もうあそこでいいか。というか他にない。』
どんどん進んでいくと、ひときわ重圧感のある巨樹を見つけた。
うねるような根は露出しており、大きく太い幹をしっかり支えている。幹からのびる枝すらもそこらの木よりずっと太い。
乙鬼が来ても、守ってくれそうな木だ。
『はあ、なんで乙鬼から逃げることになってるの…』
幹に背をあずけ、露出した根に腰掛けた。先ほど掴まれた首の痛みより心が痛かった。
殺されそうなほど怒ってたから、思わず『殺すつもりなのか』と聞いたのだがまさか、そうだと言われるなんて吃驚した。
ふと朱里が言っていたことを思い出す。
凍夜が私から生命ともいえる妖気を奪ってから血を飲ませたように、今度は乙鬼が同じことをしないといけないとなると、確かに私はまた死にかける必要がある。
今のまま生きられるならそれでもいいが、乙鬼の桜の木に触れられないのは悲しい。500年眠っていた場所でもある私の大切な場所なのだ。だから何とか元に戻りたい。
『だから乙鬼は、殺すつもりだって言ったんだ。』
でも痛い思いはしたくない。凍夜みたいな拷問はまっぴらごめんだ。
しかしいつかは見つかってしまう。理想的なのは千世さんが飛んできて助けに来てくれることだ。もちろん何か着るものを持ってきてくれたらもう泣いて喜ぶ。
『それか、ガキンチョ…は…。』
ガキンチョはどこへ行ってしまったんだろう。私を温泉に投げたのは間違いなくガキンチョだったのに、後ろをみたら乙鬼になっていた。
やっと会えた乙鬼が、再会早々あんな怒っているわけがない。
そういえば名前も同じだと言っていた。冷静に考えると、答えは1つしかない。
『…………嘘でしょ。』
つまり、そういうことか。
いやあぁああ!!!嘘だと言って!!
おかしい!!!絶対やばい。どうしよう、無理。語彙力がなくなってきた。
今までそうとは知らずにいろいろガキンチョに言ってきた気がする。
里の時も、乙鬼にバレたらマズいとかいいながら常に一緒にいたとか恐怖だ。どうして許してくれたのか謎だ。
これまでのお祭りも、乙鬼に許可をもらいつつ、ずっと乙鬼と会っていたのか。
ガキンチョに、乙鬼が好きとか本人に向かって言ってしまった。そのくせ本人の前ではまともに告白ができていない。お嫁さんになってほしいと言ってしまった。めちゃくちゃだ。
『ああ、もう…。』
とにもかくにも今問題なのは、乙鬼に言ってはいけないことをガキンチョに言ってしまったことだ。
千世さんにも、朱里にも警告されていたのに。
『完全に誤解されてる…』
凍夜のマントを着て、素っ裸だったせいだ。何かそういう関係になったとか思われてたらどうしよう。
適当なこといってごまかしておけばよかったけど、そんなこと言ったところで聞いてくれそうな状況ではなかった。それで誤解を肯定したと思われている。
千世さんがいなくなったのも、ガキンチョが乙鬼だと知っていたと思えば納得できる。ということは、助けに来てくれるというのは絶望的。
ーーージャラ…
『何の音?』
頭の中が大パニックになっていて気づかなかったが、何かジャラジャラと音がする。地面を引きずりながらこちらに近づいているように感じる。
音のする方向から隠れるように、木の幹を盾にして息を潜めた。
『……?』
全身が火傷のようにヒリヒリして痛かったため気にしていなかったが、やけに右足首が痛む。走りすぎて挫いたのか?
優しく足首に触れた時、まるで蜘蛛の糸にかかったかのような感覚があった。
『何か足首にかかってる。しかもちょっと熱を帯びてる?』
熱となると犯人は1人だけ。乙鬼が目に見えない何かで足首を繋いでいる。
そうすると、先ほどのジャラジャラした音は、この繋がれた“糸”を辿ってこちらに向かって来ているということ。
私にバレないように足枷を見えないものに変えて、それを乙鬼の武器の鎖と繋いでいるとか。
ならば、もうどこに隠れようと意味がない。むしろ、今思いっきり引っ張られたらそのまま、ズザザーッとご対面する事になる。
ーーーージャラ…
足音まで聞こえてきた。
『ひいぃ…近づいてくる!!』
非常に困った。捕まったら何されるんだろう。考えたくない。でも死にかけなければ乙鬼に治してもらえない。乙鬼は私を治すために、ここに向かって来ているのは分かるが痛いのは嫌だ。
『あああ困った…。困った?』
ふと朱里の言ったことを思い出した。困ったら飲めと言っていた実のことだ。だがそんなもの暴れた拍子に温泉の底にポチャンしたに決まってる。
『え…うそ、あった。』
持ってはいなかったが、暴れた時に握りしめて潰してしまったのか、赤い汁が出て潰れた実が手のひらにくっついていたのだ。
『潰れてくっついてた…!!』
朱里は困ったら飲めと言っていた。今がその時だ。危ない実なのは分かっているが考えてる暇はない。やらなくても死ぬような目に合うのなら。
思いっきり足が、クンッと引っ張られたのと、私が赤い実を舐めとり飲み込んだのはほぼ同時。
『っま、間に合っ…。』
それから先のことは分からない。きっと目が覚めて、そしたら全部終わっていることを願い視界は暗転した。