触れられぬ心
「怪我はないか。」
『うん。ガキンチョが受け止めてくれてからね!』
「そっちじゃない。連れていかれた先で、奴に何をされた?それにお前、腹部を刺されていただろう。平気なのか?」
久しぶりに見る少年は、少し男らしくなったというか、これまでと少し違ってみえた。
かっこよく受け止めてもらったからだろうか。
『ガキンチョ、もしかしてこの数日間でめちゃくちゃ成長した?』
「おい…俺の話を聞いてるか?」
『あはは!聞いてるって!怪我はないよ……って、何これ!?ガキンチョの背中、なんか尖ってるのが入ってる?』
ついさっきまで抱きしめていた時にはなかったはすだ。背中にまわしていた手に違和感を覚え、着物の上から、さすさすと少年の背中を触る。石のように尖った何かが背中についていて、全くびくともしなかった。
背中に何か入れてるのかもしれないが、さっきまではなかったはずだ。
「ああ…一時的に妖力を抑え込んでいる。この身体では無理があるんだろう。翠に頼んだ。」
翠の名前が出てくるとは予想外だったが彼なら何でも出来そうなイメージがあるので何もおかしいとは思わなかった。
『…そういう時期があるの?暴走して、今まさにウニになっちゃいそうなの?』
以前教えてもらったことがある。ガキンチョの正体はウニなのだ。
「なんの話だ。」
『だってこの角みたいなの、トゲトゲでしょ?』
「違う。ただ中途半端に力が暴走してるのは本当だ。そのままお前に会ったら、恐ろしくて逃げ出してしまうからな。」
そう言いながら、ガキンチョは、腰のあたりをトンっと叩く。すると不自然に盛り上がっていた着物は、みるみるうちに普通の見た目になっていた。
『そんなことないよ!ガキンチョが無数のトゲまるけになろうとも、逃げたりしない!目がどこか探すのは大変そうだけど…。』
「誰がトゲまるけだ。」
『失礼だった?じゃあ、ハリネズミみたいなトゲトゲ?』
「意味がわからん。そんなことよりどうして空から落ちてきた?」
『あ……!』
ガキンチョと話し込んでいる場合ではなかった。千世さんに温泉に連れていってもらう予定だったが、ドジって落ちてしまったのだった。
慌てて空を見上げたが、千世さんはもうどこにもいなくなってしまっていた。
『あれっ!?千世さん帰っちゃった!?どうしよう…乙鬼と会う前に温泉行けって言われてたのに。』
「なんで俺…、長に会う前に行かないといけないんだ。」
『ほら、私臭いらしいの。凍夜の血飲んじゃって…そのせいだと思うんだけど。凍夜っていうのは私を攫った龍のことで』
「血を飲んだだと…!?お前…いったい何を」
『だから!温泉行く前に、この桜の妖気の中に入ればいろいろ浄化してくれるかなって!いざ行かん』
久々に見る桜の木は、かなり小さくなっていた。これまでの三分の一くらいの大きさしかなくなっている。
千世さんと空を飛んでいても桜の木に気づくのが遅れたのは、そのせいかもしれない。
桜の木といえど、乙鬼の妖力で作り出しただけの妖気の塊だ。小さくなっているのは、その妖力を自身の回復に使ったのだろう。あの時は乙鬼も刺されていたし、龍の不意打ちをくらって為すすべがなかった。
それでも、1人で敵地に乗り込んで来るくらい強くなっていたことを考えると、木がここまで小さいのも納得である。
美しい柔らかなピンクのオーラを纏っている桜に手をのばす。
「待て!!!」
突然叫ぶガキンチョのほうを向きながら、花びらに触れると、指先から、ジュゥ…っと焼けるような激しい痛みとともに、まるで拒絶反応を起こしたかのごとく桜の木からバチバチと青い閃光が走り、吹き飛ばされた。
目の前で爆発が起きたようだった。すかさずガキンチョが吹っ飛ばされた私を受け止めてくれたみたいだが、勢いがありすぎて一緒に倒れこんでしまった。
一瞬のことすぎていったい何が起きたのか分からず、唖然としていた。
『痛っ…あれは、いつもの木だよね…?乙鬼の、でしょ?』
「……ああ。」
いつも木の上で安眠していたはずなのに、指先が触れただけで吹き飛ばされた。まるで乙鬼に激しく拒絶されてしまった気分だった。
『ーーー指が、黒くなってる…。』
桜に触れた指先が真っ黒く変色していた。感覚もなくなっている。もしこれが全身で桜に触れていたと思うと、恐ろしくて仕方がない。
「お前、いったい何があった。血を飲んだのは何故だ?」
『一度死にかけて、血を飲まされたら傷が全部癒えたの。』
「死にかけたのか。」
『うん。でもこの通り怪我も治ったから。』
ここの桜で定期的に妖気もらわないと死ぬんじゃなかったか。なのに触れないとなるとどうすればいいのだろう。
「長は、お前を助け出すのが遅すぎたのだな。」
『そんなことないよ、助けに来てくれてどんなに嬉しいか!朱里がいち早く来てくれたけど、それでも危うかったからすごく嬉しかったの。』
「無事で良かった。朱里が居場所を知らせてくれたおかげで見つけることが出来た……と聞いた。」
朱里が凍夜のこのマントをちぎって、あらゆる気配を空間ごと消してしまう特殊結界の外に出してくれたおかけだ。
バレてしまったときはもう終わったと思ったが、気づいてくれた乙鬼が来てくれた。
端切れ一枚でよく気づけるなあ、と思ったけれどこのマントも相当匂いや妖気でむんむんなのだろう。なんといっても龍の鱗とかいってたし。
『あぁ、早く乙鬼に会いたい。』
「………。」
そう言うと、暗い顔をしていたガキンチョの表情が少し優しくなった。
『そうだ、私温泉行きたいんだ…。それで千世さんがいないんだった…はあ。』
「負ぶされ、連れて行ってやる。」
『ガキンチョの背中に?……突然トゲトゲ生えてこない?』
「………まあ努力はする。」
しゃがんだガキンチョの背中に負ぶさると、軽やかに走り始めた。身長は私のほうがだいぶ大きいのに、ガキンチョは軽々と背負って、木と木を飛び越えていく。
背中にしがみついた状態で、先ほど黒こげになった指先を見つめた。
『ねえガキンチョ、私は乙鬼に拒絶されたのかな。さっき、桜の木に…。』
「そもそも今までお前が桜の木に触れられていたのは俺…長の妖気を纏っていたからだ。それが今は……なくなっている。そこに別の強い妖気が反発し合った結果だろう。」
確か朱里もそんなことを言っていた。乙鬼の妖気をもらって生きていたようなものなのに、それがなくなって今度は凍夜の血を飲んで生き長らえた。彼の血に治癒力があったかは不明だが今は凍夜の妖気を纏っている。
『てっきり私が、凍夜に心を許したせいで桜に嫌われたのかと思った。さすがに木が心まで読めるわけないか。』
朱里が敵と親しくなるのは裏切りだ、とか言うもんだからつい気になってしまった。あくまで桜は妖気の塊なので分かるはずがない。手がこうなってしまったことは、乙鬼に会ってから考えよう。治るといいんだけど。
「…………。」
『うーん、千世さんどこいっちゃったんだろ』
ガキンチョが現れたからもういいか、みたいな感じで帰ったのだろうか。それに「ここまでだ」って言っていたのも引っかかる。
乙鬼が来るといっていたが、今のところ会っていない。近くにいたのかもしれないが、ガキンチョが先に現れたことで乙鬼もどこかに行ったのか。
『そういえば着替え忘れちゃったんだった!せっかくなら取りに行けばよかった。』
「………。」
『ガキンチョ?ねえ?』
先ほどよりもかなりスピードが上がっている。集中しているのか、話しかけてもいっさい口を開かなくなってしまった。
これだけの速さなので邪魔してはいけないと思い、それ以上話すことはやめた。