漆黒の虹
朱里は食料の調達をし、私は火をおこして手際よく食事の支度をした。
「お前の分だ。俺も葵もいらないから気にせず食ってろ。」
『あれ、さっきお腹すいちゃったって言ってなかった?』
「そんな言い方はしてない。」
『せっかくなんだから一緒に食べればいいのに』
朱里は答えなかったが、赤い小さな実をパクパク食べ始めた。
ずっと手に握りしめていたのだろうか。一粒ずつに口に入れて味わって食べている。
なるほど、一緒に食事タイムには付き合ってくれるらしい。
だが、黙々と食べていて完全に1人の世界にいってしまっている。
その実、そんなにおいしいの?と聞いてみると、「気になるなら食べてみればいい」と言ってくる始末。
人間が食べたら危険って知ってるくせに、しれっと渡そうとしてくる恐怖だ。ひょっとして嫌われてる?
そもそも今までの朱里なら誘っても無視して帰ってしまいそうなものだが、こうして一緒に食事をしてくれるなんて意外だった。
そして一番伝えなくてはならないことがある。
『朱里、助けに来てくれてありがとう。』
「………もう少し怯えて震えていれば、助け甲斐があっただろうに。」
『もしかして照れてる?』
「黙れ。メシを食って、葵が戻ったら乙鬼様が帰ってくる前にその穢れた体を早く洗い流せ。」
『穢れ!?あのねえ!言い方ってもんがあるでしょ!誤解を招く言い方はやめてほしいんだけど!?』
突然何を言い出すかと思えば、どんどん私への発言が辛辣になっていく。
血を飲んじゃっただけだし!そしてなんか高く売れそうな龍の鱗マントが異様に獣臭い。というのは私には全く分からないけど、それだけの話だ。
それなのに、タイミングが非常に悪く葵が戻ってきてしまった。言葉を失って立ち尽くしている。
「お……お前、わずかな妖気まであの龍の気配がするかと思ったら、まさか…そんな酷えことをされたのか…」
何を考えているのか分からないが、多分違う。
死にかける程度にはひどいことをされたが、その分しっかり治してもらったし、烏に刺されたお腹の傷すらも消えてしまっている。
「俺は、ひどい目にあったお前に、く…臭いなんてひでえことを言っちまった…!!すまねえ!!」
珍しく取り乱した葵が、崩れ落ちて拳を地面に打ち付けている。
葵よりもはるかに酷いことを言ってくる朱里は、何事もなかったかのように実を食べている。ちょっと激しすぎではあるが、もっと葵を見習ってほしい。
「巳弥…!そのクソ野郎は乙鬼様が始末してくださるからお前は安心してゆっくり湯につかって綺麗に洗い流しちまえ!」
『………ああ…うん。ところでさ、千世さんはどこにいるの?』
「朱里と会わせるわけには行かねえから、少し離れたところで待ってもらってるぜ。」
ボソッと耳打ちした葵は、千世さんがいるほうを指差した。そっちに歩いていけば千世さんのほうから来てくれるとのことなので、朱里と葵に別れを言ってさっそく向かうことにした。
「待て」
『?』
いざ歩き出そうとしたものの、朱里に呼び止められる。振り返るとすでに目の前に立っており、強引に私の手をとると、手のひらに赤い実をのせたきた。
『え、これはなに?』
「実だ。」
『うん、知ってる。』
朱里の大好物で、人間が食べられる実ではないことは知ってる。さっきも「食べてみればいい」って言ってたけど、そんなに食べさせたい理由でもあるのか。
「お前にやる。困ったら飲みこめ。」
『困ったら……自害しろって!?』
命がけで助けに来てくれたのだと思っていたのに、自害用アイテムをくれるなんてわけがわからない。
あんなに危険な目にあって私を助け出したのだから、もう少し惜しんでほしい。
『まあいいや、朱里が変なのは日常的だということがわかった。だいたい、ポケットついてないからしまっておけない…。』
「手に持ってればいいだろう。」
『…いつまで?』
「知らん。」
『なにそれ!?ずっと手に持ってないといけないの!?知らない間に落として、あれぇ?てなるやつじゃん。』
何故手渡されたのか分からないまま、朱里は立ち去ってしまった。もう食べ終わったの?
もしかすると、もうお腹いっぱいだから1つあげる、的なやつかもしれない。きっとそうだ。
「……その実食べるなよ?何話してたかは知らんが。」
葵が私に忠告してくれたが、そんなことはわかっている。
いつまで持ってればいいのかさえ教えてくれれば頑張れると思うけど、多分知らない間に落ちてるやつだ。食べれないのだがら。
葵とも別れて、千世さんのもとへとひたすら真っ直ぐ歩き続けた。
優しい光が降り注いで、枝葉の間からの木漏れ日がなんだか気持ちがいい。と上を見上げると、真上には千世さんが楽しそうな表情で私を見おろしていた。
私の歩くペースに合わせて、真上を飛んでいたらしい。
優しい光の正体は千世さんだったのか。
『千世さん!声をかけてくれればいいのに。』
「いつ気がつくのかと思ってね」
ふふっと笑いながらすぐ近くまで降りてきた彼女は、ぶわっと広げられた美しい翼で優しい風をおこす。
すると、足元がふわりと浮き上がり、千世さんのもとへと上昇していった。
『わっ浮いてる!もしかして私にも翼が生えてる!?』
「大丈夫、生えてないわ。」
私の背後に回った千世さんは、そのまま抱きしめるようにして腕をまわし、翼をはためかせ、そのままゆっくりと空へ上昇する。
それほど高くは飛んでおらず、とても緩やかで、優しい風になった気分だった。
『ーーーーー。』
目を閉じて穏やかな風を感じていると、ふと頭をよぎったのは、荒々しく風を切るように空を翔け、虹に手を伸ばしたあの時の記憶。
「巳弥」
『…………っなに?』
千世さんの声に、ハッと我にかえる。
「空に手なんて伸ばして、もっと高く飛びたいってこと?」
『え!?いや、ちがうちがう。なんというか、考え事してただけ。』
手まで伸ばしてしまっていたとは我ながら恐ろしい。サッと手を引っ込めてみたものの、動揺が顔に出てしまったらしい。すると何を思ったのか千世さんは、私のうなじに顔を近づけてきた。ふんわりといい香りがする。
ドキッとする私とは対照的に彼女は眉をひそめた。もしかしなくても、私は今獣臭いらしいのでそのせいだろう。
「あなたが着てるものが原因かと思ったけど、それだけじゃなさそう。巳弥自身からこの黒い衣と同じ匂いがする。」
皆、本当に鼻がよろしいようで。それとも力が強い妖怪ほど匂いというか、妖気がすごいからそれを感じ取っているのか。
「今、何に手を伸ばしてたの?」
『え?えっと、虹…ちょっと思い出しちゃって、』
「もしかして虹に…魅入られたの?」
『虹?まあ、あんなに手が届きそうって思ったのは初めてだったし…?』
「あれは七色ではないわ。」
『……なんの話?虹は七色でしょ?』
理解出来ずに首を傾げると、千世さんは困った顔をしてこちらを見つめてきた。そんな顔をされるとこっちも困ってしまう。
「涙の生還を果たして帰ってきたって感じてはないわね。それも心を奪われてくるなんて」
『う…ちょっと楽しんでた瞬間もなくはない…。でも帰りたかったのは本当だから…!というか心奪われてなんてないし!』
眉をひそめて疑いの目を向けてくる。皆を心配させたのに、実はそこそこ快適に過ごしていたなんて、ちょっぴり罪悪感がある。
「巳弥、この森で過ごすのなら、敵に情を移したと決して悟られてはいけないわ。……とくに、乙鬼様には。」
『情って、別に変な感情なんて抱いてないよ!』
「どんな感情かはさておき、あなたのことだから、きっと龍に対して心を許していたのでしょう。親しみなんて持ってはいけないわ。」
『朱里みたいなこと言う…。』
思わず呟くと、未だかつてなくギロッと睨まれてしまった。千世さんが大嫌いな朱里の名前を出してしまうなんて。あわてて謝ると、彼女は何事もなかったかのように続きを話し始めた。聞かなかったことにしてくれるみたいなので、ある意味怖かったが、ひとまずホッと胸をなで下ろした。
「私は誰に恋しようが、余所者と仲良くなろうがどうだっていいけど…」
『そうなの?』
「秘密よ?」
『…っ笑顔が眩しい…。』
秘密よ、と微笑んだ千世さんが本当に天使のようだった。おちゃめな表情も素敵すぎる。もはや何が秘密だったかすらどうでもよくなってきた。
「まあ、さすがにあなたが殺されるなんてことはないでしょうけど…どうかしらね。」
『はい?』
なにやら不吉な言葉を聞いてしまった。どういうことか聞きたかったが、ぶつぶつと何かを呟きながら考えこんでいる。千世さんの考えてることが読めず首を傾げると、彼女は何かに気づいたように先をじっと見つめながら立ち止まった。少し焦りを見せた表情は、しばらく考えるような素振りをした後、チラリと私のほうを見る。
『ねえ、どうしたの?何かあった?』
「ええ。とりあえず、早くそれ脱いで。今すぐに。」
『無理。下すっぽんぽんだから』
「………何ですって?」
どんどん天使の顔が険しくなっていく。そういえば、着替えを持ってくるのを忘れてしまった。葵もあれだけ言ってたのに持って行き忘れてることを指摘してくれなかった。
つまり誰も私を責められないのである。
「何があったかすごく気になるけど、聞いてる時間もなさそうだし…。でも何があったのよ本当…。」
『うん、私もよく分からないから言いにくい……って、あ!』
ふと、少し進んだ先にある大きな桜の木が目に入った。
ゆっくりと飛んでいたから、まだこのくらいしか進んでいなかったのかと思いつつ、久々に見る桜の木の存在に安心感を覚えた。
『桜の木だ!早くあそこでリフレッシュしてすやすや寝たい…。』
「ええ、どっちみちここまでだわ。」
ため息をつくようにそう言いながら、そのまま地へと降りていく。
『えっ突然どうしたの?温泉は?』
「本当は連れて行ってあげたいんだけど、きっと乙鬼様に止められてしまうから」
『乙鬼…もしかして、帰ってきた!?』
もう帰ってきたのかと驚く反面、ようやく会えると胸の高鳴りが抑えられない。助けに来てくれた時も、実際のところ激しい戦闘で近寄れなかったため全然見えてない。
「ええ、すぐ近くに感じる。…ってちょっと手を離すと浮いてられなくなって落下する…っ!」
『えっ』
あわてて千世さんが手を伸ばしたのでその手を掴もうとしたが失敗。しかし千世さんは、また何かに気づいたようで、そのためか落ちていく私をただ見ているだけだった。
もともとそんなに高く飛んでいたわけではないので、地面に激突するまではすぐだ。
ぎゅっと目を瞑って衝撃を覚悟したとき、まるでかっ攫うかのごとく、落ちていく私を抱きとめてくれる誰かのおかげで、痛い思いをせずにすんだ。
自分が落下するよりもはるかに早いスピードで駆けてきてくれたのだろうか。
おそるおそる目をあけて、ナイスキャッチをしてくれた人物を見上げた。
『………っガキンチョ…!!』
まさか助けてくれたのがこの少年とは予想外の出来事だった。
乙鬼が帰ってきたというからひょっとすると、と思っていたがガキンチョに会えたという喜びも大きい。まだまだ子供だと思っていただけに、こんなにも素早い動きで力強く私を抱きとめてくれるとは見た目が子供でもさすが妖怪というべきだろうか。
「ーーーー帰ったか。」
『う、うん!!ナイスキャッチ、ありがと。』
にへらっと笑うと、ガキンチョは子供とは思えないくらい強く抱きしめてくれた。
この力強い抱擁にひどく安心感を覚えて、目頭が熱くなってきた。ぎゅっと抱きしめかえし、『ただいま』と囁いた。