感動の再会
目が覚めると朱里の姿はなく、見慣れた天井が視界に映りこんできた。鳥の囀りが穏やかな朝を知らせてくれる。戸に目を向けると、相変わらず簡易的に作ったボロボロな板戸は穴が所々に空いており隙間から外の光が入り込んできていた。
夢ではなかった、本当に帰ってきたんだ!
立ち上がり、取っ手のない戸を軽く押してみるとガコッと音をたてて外れてしまった。両手でしっかりと持ってまじまじとそのボロボロの板を見る。
『これだわ!この湿気ってて汚いかんじ!早く新しいのに変えろって感じ…!!あぁ、帰って来たー!』
先ほどまで戸の役割をしていたその板を思いっきり抱きしめた。
自分でも何がしたいのかよくわからないが、今は帰ってこられた喜びを噛みしめているのだ。決してこの板が好きというわけではない。
パッと顔をあげて、目の前にある木を見上げてみる。乙鬼がよく寝ている場所なのでもしかしたらもう帰って来てるのでは、と思ったがそう簡単に帰ってこれる戦いではないのでもちろんそこにいるはずもない。
早く無事に帰って来てね、と木を見上げたまま呟いたときだった。
近くで枝がパキッと折れる音がしたため、視線を移動させるとそこには葵が驚いた顔で立ち尽くしていた。
『葵…!!』
「……お前…!」
抱きしめていた板を地面に捨てて、『ただいま!』っと両手
を広げて葵のもとへ走った。
葵の表情が硬いような気がするが、帰ってきていることに驚いているのだろうと思うことにして、勢いよく飛びついた。
感動の再会っぽく熱い抱擁を交わすものだと思っていたが、視界がぐるんと大きく揺れて、気がついたときには葵にのしかかられていた。
『……え?』
妖怪の感動の再会というのは、こうして全体重をかけて押しつぶしてくるものなのだろうか。
そもそも飛びつこうとした瞬間、葵は膝を突き出していた。そう、膝蹴りをされたのだ。
「誰だてめえ、巳弥じゃねえな。」
『え、じゃあ私はだれなの?』
「それを聞いてんだろうが!そんなアホなところまでしっかり似せてきたって俺は騙されねえぜ。」
『コホン、今私を罵倒したことはひとまず聞き流すとして…。感動の再会だと思ってたのにこれはあんまりだと思うの。』
ほとんど無傷でこうして帰ってきているのだから、怪しく思うのは当然なのかもしれないが、実際無事に帰ってこれたのだから歓迎してほしいものだ。
葵には、どうやら変化の術をもった妖怪か何かだと思われている。仮に妖怪が私の姿に化けていたとして、目的が謎すぎる。
だいたい化けても臭いですぐに分かるはずだ。
朱里も臭いが違うとかなんとか言っていたし、妖怪は妖気や臭いに敏感だからそんな危険を冒して1人で敵地に乗り込むはずがない。
それくらい妖怪である葵なら分かるだろうに、それでも私が化け妖怪だと敵視してくるのは当然“臭い”のせいなのだろう。
『もしかして私、そんなに臭う?』
「……やっぱりな、バレねえと思ったか?獣くせぇ臭いがぷんぷんしてやがるぜ!!この妖怪板女!」
『そっかー。で、板女ってなに?』
「さっきそこの板を愛しそうに抱きしめてただろうが。気味悪い行動しやがって!そもそも臭いが隠せてたってバレバレなんだよ。出直して来やがれ!」
板女と名付けられてしまった。納得がいかない。どうせなら呼び名くらいかっこいい名前がよかった。
『だから違うって!あの板見てたら懐かしくなって、なんかこう……グッときた。』
「ほらみやがれ!!」
これで確信したな、と何故か嬉しそうにして葵が全体重をかけてのしかかってきた。
『……ぐふっ、あお…おも…』
重すぎて言葉がうまく出せない。せっかく奇跡の生還を果たしたのに、味方に殺されてしまうのは勘弁だ。
腹部でもぞもぞと何かが動くのを感じると、マントのボタンとボタンの間からスルスルと白蛇さんが顔を出してくる。
寝ていたのにいったい何なんだといいたげに少し不機嫌なオーラを纏って葵を睨んでいた。
葵の重さに潰れないでいられるとは。どうりで寝返りをうっても微動だにしないわけだ。葵も驚いて、私の上から退いてくれる。
「お前、朱里の白蛇じゃねえか。こいつが板女といるってことは」
『正真正銘、本物の巳弥ちゃんだコラァ!!』
乱暴に蹴り倒した報いを受けさせてやる。と素早く立ち上がり、跳び蹴りをお見舞いして倒れ込んだ葵の髪を全力で引っ張ってやった。
ぎゃああっという葵の悲鳴が森中に響き渡った。
『あははっ!愉快愉快。』
「髪を…!く…引っ張るな!痛ってえぇ!!」
跳び蹴りは華麗にキメてやったので、このくらいでいいかと嫌がらせに引っ張っていた髪から手を離して、葵の上から退いてあげようとしたときだ。
いつの間にいたのか全然気配も音もなかったため気づかなかった。
六匹の狼が、私と葵を囲むようにしてこちらを威嚇している。
『……っ、た…大変!葵、囲まれてるよ!!本物の狼だよ!!』
「オレが偽物みたいな言い方をするな!偽物はお前だろうが!」
『あれちょっと待って、ってことはこの狼…葵が呼んだの?』
「ああ?あー…さっき叫んじまったからな…」
『ええ!?いつもこんなことなかったじゃん!』
悲鳴というより、遠吠えだったのかあれ。
仲間まで呼ぶなんて信じられない!と非難の目を向けると、葵は乱れた髪を手櫛で整えながらばつが悪そうに目を逸らした。
「オレがお前を偽物の敵だと思ってるから、それを感じとって助けに来ちまったんだろ。」
『はい、解散~!』
早くどこかに行ってくれたまえ。もっとフレンドリーにもふらせてくれる時にまた会おうではないか。
「んなので帰るわけねえだろうが。」
やはりそう簡単に帰ってはくれないか。残念である。
『じゃあ帰らせてよ。』
「それより重てぇから早く退けよ。退いたらこの狼をかえらせてやってもいい。」
『狼さんたち!早くどっかいってくれないと葵の髪が一本ずつ抜けてくからね。』
「一本ずつってかなり地道だな。」
狼達に向けて言い放ったってみたが、言葉が分かっているのか少し警戒心を露わにして、ぐぬぬ…という表情をしている。
自分の主の髪を心配しているのかもしれない。
狼を脅したりするよりも、葵を説得するのが一番手っ取り早いのだけれど、なかなかどうして信用してくれない。
少しだけ疑いの眼差しと敵意が薄くなっているが、狼達が離れていかないのが現状だ。
「お前たち…いったいなにを戯れている?」
どうしたものかと悩んでいると、ゆっくりと朱里が不思議そうにこちらに歩いてきた。
『朱里!!!待ってたよ!葵が私をまるで化け狐みたいに言ってくるの。』
「実際そうなんだろ!朱里と白蛇は騙せても俺は騙されねえぜ!」
葵の無駄に自信満々な発言に「はあ」と朱里が溜め息を吐いた。朱里が何とか言ってくれる。私のことを信じなくても朱里の言葉なら信じるだろう。
『朱里…何とか言ってやって』
「臭い。」
『うんうん。これで葵、分かったでしょ?臭いってさ』
「あー分かっただろ?お前のことだ馬鹿。」
『え、なにが!?なんで私?』
何故私の匂いの話になっているのか。私を本物と証明してくれるはずの朱里まで今更私を偽物扱いしたいのか、と慌てて非難の目を向ける。ここで説得出来ないと私は狼の餌食なんだぞ、と目で訴えかける
「そう睨むな。もとはといえばお前が臭いのが悪いと言っている。葵は鼻で生きている狼だ。信じたくとも信じられぬのだろ。」
『ええ!被害者なのに私が悪いって!?』
「おい!鼻で生きてるってどーゆことだ朱里!!」
「……うるさい。」
朱里は再び「はあ」と溜め息をついて、踵を返して歩き出した。このまま帰られては困る、と焦って呼び止めると朱里はふと足を止めて呟いた。
「腹がへったな。葵、肉でも焼け。」
「あ?突然何言い出すかと思ったら…今は飯なんて食ってる場合じゃ…」
グウゥ…ゴォォグルルルゴギュゥ…
『わわっ、おなかが鳴ってしまった…』
朱里が肉なんて言うから、お腹がすいてきてしまったじゃないか。
恥ずかしくなってお腹をさすっていると白蛇さんがお腹に巻きついている感触があった。この音で微動だにしない白蛇さんはすごい。手慣れている。
友人のアキにこの音を聴かれた時は「怪獣の卵でも隠し持ってるの?」て言われる程度には驚かれるのに。
葵はしばらく固まってしまっていたが何故か突然わなわなと震えだした。
『あ…葵どうし』
どうしたの?と言い終わる前に葵が飛びかかってきた。
「巳弥ァーー!!」
『ぎゃあっ』
再び地面に叩きつけられる!と身構えたが、衝撃は少なく葵が下敷きになってくれていた。ぐるんと体勢を変えて衝撃を受けてくれるとは器用なことをするものだ。
そのまま倒れ込んだまま強く抱きしめられた。
「巳弥、本当にお前なんだな!!」
『うっ苦しいし…!というか何をもって本物だと分かってくれたのかさっぱりだわ。』
一瞬で何が起きたのか全く分からないがとりあえず力いっぱい抱きしめてくれるこの状況は、最初に葵と顔を合わせた瞬間なると思っていた状態なわけで、いろいろあったが無事感動の再会は果たされた。
「それにしても、何でこんなに変わっちまったんだ?この妙な黒い布切れのせいか?さっさと脱げよそんなもん」
『あっちょっと引っ張らないで!』
ものすごい力でメイドイン凍夜のマントが引きちぎられそうになり、慌てて抵抗する。鱗だというだけあって軽くて柔らかいのに、耐久性があるのでそう簡単には破けないのは安心である。
そもそもこれしか着てないので今引き裂かれるのは非常に困ることだ。かといって『下は素っ裸です』なんてとてもじゃないが言えない。
ボタンとボタンの隙間を引っ張られ、さすがにそこからビリッといくのではないかとビクビクしながら抵抗していると、朱里が止めに入ってくれた。
「やめろ葵、こいつに触れるな。」
『朱里…!』
ナイスだ朱里!と思わず目を輝かせて見つめてみた。止めに入ってくれるとは思ってなかったので嬉しさで胸がいっぱいだ。
「ああ?臭いってお前も言ってたじゃねえか」
「そんな汚いものを触るとお前の手が汚れる。わざわざ脱がせて手を汚す必要はないだろう。」
『……………。』
「ん…まあ確かに、あの時巳弥をさらっていきやがった奴の臭いだ。胸くそわりーぜ。」
「そうだろう。おい巳弥、湯に浸かって洗い流せ。着替えを持ってその黒いのは捨てて帰ってこい。」
『朱里。もう少し良い言い訳があったと思うわ。』
マントの下はすっぽんぽん、なんて暴露されるのも嫌だったがそれにしてもひどい言い訳である。
いや、ひょっとすると素で言ってたのかもしれないが、でももしそうなら朱里だって「汚い」というマントごと私を背負って帰ってきたのだ。鼻が利く葵には確かに触るのも不快かもしれないが、もう抱きしめてたぞ!と責めるように朱里を睨んでやった。
「なんだ不満だったか、そう怒るな。尻を叩かれては困る。」
「尻?なんで尻なんだ?巳弥、お前そんな趣味があったのかよ…でも朱里にやるなんて度胸あるよな…。」
『違うわい!!』
朱里にいたっては、尻を二度も持ち出してくるあたり根に持っているらしい。地味に怖いので絶対怒らせないようにしよう。
「少し遠いが、汚れを落とすのに良い所がある。鳥を呼んでやるから連れて行ってもらうといい。」
「ああ!そりゃあいい!千世に飛んで連れて行ってもらえばひとっ飛びじゃねえか。」
『わあ!天使さん?久々だなあ…!』
千世さんに会うことはめったにないので嬉しいかぎりだ。一緒に温泉入って親密度アップしたら、頻繁に会ってくれるかもしれない。
朱里が呼んでくれるなんて気が利くじゃないか!と、ふと葵のほうを向いた時、そんな些細な感動は消え失せた。
蒼白になってしまった葵を見て、すぐに気づいてしまった。
「ならばそこで着替えを持って待っていろ。探してくる」
「『絶対だめ!!』だ!!」
恐ろしい…!!こんな大事なことに気づかずにのほほんと待っていたらどうなっていたことか。
葵がいてくれて助かった。
朱里と千世さんは仲がものすごく悪い。
「……なんだお前達、さっきまでとはずいぶんと違うな。」
「とにかくだ、絶対千世のとこには行くな!俺のほうがすぐ見つけられるから俺が連れてくる。」
何故仲が悪いのに呼んでくるなんて言ってくれたのか不思議でならない。普通嫌いなら会いたくもないはずだ。
千世さんはかつて白蛇さんをみて嫌な顔をしていたから嫌いなんだと思ったが、朱里のほうはそうでもないのかもしれない。
『と、とにかく千世さんは葵が呼んでくれるらしいから…!朱里は一緒にお肉食べよう?』
「チセ?誰だそれは」
『なんで数百年この森にいながら知らないのよ!?』
「いやいやいや!三百年前もお前ら喧嘩して、森を半分荒らして乙鬼様に怒られてただろうが!!」
『え、なにその話?“も”って何、そんなに仲悪いのに千世さんの名前知らないとか事件だわ。』
「はあ、こいつ興味がない奴は記憶から抹消するんだ。恐ろしい奴だぜ。」
『えっ、500年経って会った時、私のこと覚えててくれたよ』
「“人間の娘を殺すな”っていう昔の乙鬼様の命令を覚えてただけじゃねえのか?」
せっかく一瞬感動してたのに、さらっと言う葵の言葉に落胆した。
「だいたい朱里、名前も知らねえのにどうやって探すつもりだったんだ」
それもそうだ。名前を知らず、記憶からも消えているなら顔も分からないはずだ。これでは探しようがない。
「羽が生えてる奴を探せばいいんだろう。」
『「安直すぎる。」』
下手すると千世さんどころか変な獣を連れて来かねない。どちらにしても恐ろしい、と震えていると、葵は我先にと天使のもとへ旅立っていく。私はそんな勇敢な背中を見つめながら立ち尽くしていた。