戦いの地へと
乙鬼も助けに来てくれたことは大変嬉しいことなのだが、ひとまずそれは置いておきたい。
「あいつ、お前を助けに来たんだよな?」
『っっくッ……!!いやまあ、私も思ってたところです。』
先ほどから引き抜かれた大木がこちらに投げられて来たり、巨岩がものすごい勢いで飛んでくる始末。時折熊やゴリラも吹っ飛んでいた。
どんな戦いが繰り広げられているのか想像もつかないが、向こうでは凍夜の仲間達が寄ってたかって乙鬼と戦っているのだ。
大勢で飛びかかるなんて卑怯だと言ってやりたいが、敵陣に乗り込むとこうなるのは当然か。
一方、ここまで飛んでくるものは、透明な壁でもあるかのように途中で粉砕されているため本当に飛んでくるものといえば破片ぐらいだ。
壁がほんとにあるわけではなく、凍夜がなにかしらの力で止めてくれているにすぎないので、防ぎきれなかったものや粉砕した岩の破片がひゅんひゅんと飛んでくる。
銃弾並みに早いものもあって両手で頭を隠してしゃがみこんだり、避けたりしているところだ。
回避不可能なものは、朱里がデコピンでもするような仕草で軽々と弾き返してくれている。
そんなに余裕ならもっと真剣に全部弾き返してほしいものだ。
結構避けるのに必死なんだぞこっちは。
凍夜はすぐに僕さんを追いかけるといったが、こんなに離れた場所まで飛んでくるものをガードしてくれているのである意味無駄な足止めをくらっている。
それこそ朱里の策略なのか、あまり動かずに私が避けきれないものだけをピンピン弾いている。もちろん彼は手負いなので必要最小限にしつつ傷を癒しているのだろう。
凍夜も行こうと思えば行ってしまえるのに、わざわざ残って、飛んでこないようにしてくれるのだから不思議だ。
助けに来てくれてる乙鬼の爆撃から私を守る凍夜になっちゃってる。違和感の塊すぎて何かがおかしい。
「きっと怒りに我を忘れてやがる。」
『なら早く行かないと、僕さんや仲間が危ないんじゃあ…?』
「てめえはいったいどっちの心配してんだ?」
それはもちろん乙鬼だけど、爆音が鳴り止まないあたり凍夜の仲間はかなり手こずっているように感じる。しかも隣にいる朱里の気の抜けた表情といったら、先程までとは比べものにならないほど暢気である。つまり心配いらないということだ。
『乙鬼は強いから大丈夫だと思う。』
その言葉に苛立ちを露わにした凍夜が口を開いた時だった。
「………チッ!」
『えっ…て、うわっ!』
ものすごい速さで凍夜に迫られ、思わず身構えた。掴みかかってくるくらい腹立たしかったのかとびくびくしたが、何故か凍夜は私を抱きかかえ空高く飛び上がった。
先ほどまで立っていた場所を見下ろすと、すでに辺り一面に白いもやが広がり始めていた。
『霧?いつの間に…』
いち早く霧の存在に気づいた凍夜は防ぎきれないものだと判断し、突然私を抱えて上空に飛び上がったのだ。ここまで高く飛ぶ必要はあったか分からないが、そんな高さでも乙鬼が戦っている場所までは見えなかった。
『もう下が真っ白で見えなくなってる!あれはいったいなに?』
「俺の仲間の毒霧だ。人間があの中に入ったら間違いなく…」
『いや、いいわ。言わないで』
余計な事まで教えてくれなくていい。怖すぎるので聞きたくない。
『それよりも朱里はどこ!?』
朱里も遠くに逃げれただろうか。白い毒霧で下の様子は全くわからない。かといって周りを見ても朱里はどこにもいなかった。
「あ?中にいんだろ。」
『はい?中って、え?あの煙たい毒霧の中にいるって?』
「見えねえのか?」
そう言いながら、くいっと顎で朱里がいるであろう方向を指した。見えるわけがないだろう。あの中の様子がわかるなんてどんな目をしているんだ。
『どうしよう!!朱里が毒にやられちゃう。』
「あいつも毒蛇だろうが。毒は効かねえよ、残念ながらな。」
そう言って残念そうにしている凍夜の言葉にホッと安堵した。これっぽっちも残念ではない。
朱里の蛇に咬まれたら即死だといわれているだけあって本人は毒に耐性があるということか。
『でも、朱里は誰かさんのせいで手負いだし…』
「俺のせいだってかァ?敵なんだから当然だろうが。殺してないだけありがたく思え。」
『そんなこと言って安心したところをブスッとやりそうだもんね凍夜は。』
なんてったって鬼畜な邪龍様なのだから。
しかも乙鬼が来たことで、少しでも戦力になりそうな朱里は危険と判断して殺されても不思議ではない。
じっとりと重たい目で凍夜を見つめていると、突然激しい突風が吹き荒れた。凍夜がしっかり抱えてくれているので、吹き飛ばされることはなかったが一瞬何が起きたのかと驚き、ビクビクしながら凍夜の首に腕をまわしてしっかりとしがみついた。
凍夜は少し驚いたように息を詰めて下を見ていた。どうしたのかと自分も見下すと、先ほどまで真っ白な霧で何も見えなかったのに綺麗さっぱり毒霧はなくなっていた。今の突風が吹き飛ばしたのだろう。
『あ、朱里!……って膝ついてるけど!?大丈夫なのあれ!?』
「……今の衝撃波のせいだろ。」
『衝撃波?ってことは…今の突風は乙鬼が?』
「あの白蛇、自分の長に殺られるんじゃねえか?」
『…んなわけがないしょうが!…多分』
「だがまあ、これほどとは。俺は少し侮りすぎたようだな?」
『なんでそんなに嬉しそうなの…。』
抱えてくれているのは嬉しいが、無邪気に笑いながら殺気を出すのはやめてほしい。しかも上空だと逃げるに逃げられないじゃないか。
楽しそうに笑ったあとは、何故か黙ったまま私の顔をまじまじと見てくる始末。背筋が凍りつく殺気は引っ込めてくれたのが救いだった。そうでなければ、食い殺されるのではないかとヒヤヒヤしてしまうところだ。
『な、なに?』
何を考えているのか分からないが、まっすぐ見つめてくる。なにか企んでるのかもしれない。早く何でもいいので喋ってくれないかと思い、こちらから話しかけてみた。
すると、凍夜は静かに目を伏せてからハアッと大きく溜め息をついた。
私に溜め息をついたのだろうか?よくわからないが、スッと目を開いた凍夜は、何か吹っ切れたというか、諦めたような表情をして見つめてくる。
『凍夜…?』
「虹…。」
『ん?虹がどしたの?』
「虹は、お前のほうが相応しい。」
『……はい?突然なに!?』
さっきまで沈黙からようやく口を開いたと思ったら、何がどうしたのか意味不明なことを言ってきた。
虹といえば、夜空に浮かぶ月虹が龍に姿を変えた凍夜だと思ったことがある。
『凍夜には、私が虹にみえるの?……目大丈夫?』
「お前に言われたくねえ。」
『突然変なこと言うから…。』
でも、あの月虹は本当に凍夜に見えたんだから仕方ない。そもそも夜の虹なんて初めて見たんだから。
「馬鹿は知らなくていいことだ。」
教えてくれる気はなさそうだ。しかも、言い方がいちいち癪に障る龍である。むかついたので、一つにまとめたプラチナロンドの髪を力いっぱい引っ張ってやった。
指に絡まる髪は、相変わらず金糸の束のように煌めいていて美しく、雑に引っ張ることに罪悪感すら覚えた。本人は嫌がるどころか、痛がる素振りすら見せず私の行動を観察するように見ていた。認めたくないがサラサラすぎてずっと触っていたいくらいだった。
「ーーーお前は帰れ。」
『あ、あと少しだけ触らせて!……て、え?今なんて?』
「帰れ、と言った。」
耳を疑った。逃げようとしても捕まえに来たあげく、朱里も殺そうとした。それなのに、聞き違いかと思ったが確かに“帰れ”と言った。おかしくなったのは、目だけではないようだ。頭もおかしくなっている。熱がある?
「おいてめえ、何のまねだ?」
なにって熱でもあるのではないかと額に手を当ててみただけだ。心配しただけなのに、バシッと手を叩かれてしまった。髪の毛を引っ張っても全く微動だにしなかったのに。
『いやいや!こっちのセリフだから!なんで!?帰っていいの?』
「そろそろ行かねえと仲間がやばそうだからな。我を忘れた鬼が暴れてる。こんなに離れてても衝撃波だけでこれだ。」
『まあ確かに毒霧もここまでくるくらいだし、なるべく離れたいけど、まさか解放してくれるんだ。』
此処はもう危ないから、自由にしてくれるということか。乙鬼はこの男から助けるためにこうして来てくれたのだが、その男は危ないから帰れと言う。
もうこの長達は戦わなくていいのでは、と思わずにはいられない。
「お前への憎しみは、あの鬼で晴らすことにする。だからもう解放してやるから帰れ。」
『私が憎いなら、乙鬼と戦う必要ないでしょ!私もそこに連れて行って。乙鬼も私が無事と分かれば多分落ち着くと思うし。』
再び髪をぎゅっと引っ張ってやったが、今度はその手を掴まれたので大人しく髪の毛から手を離した。
「分からねえか?戦うための理由を作ってんだ。お前を帰してやるためじゃねえ。俺が全力で楽しく暴れるために、お前が邪魔だから帰れと言っている。」
『へ?』
今ちょっと何言ってるのか分からなかった。危ないから帰っていいと言ってくれてるのはわかる。けれど、あとは何だって?楽しく、暴れる…?
「正直、もしあの鬼がこの場所を見つけたところで俺の足元にも及ばない野郎になんざ興味はなかったが、力を取り戻したようだな?」
『…ご満悦で何よりだわ。』
楽しそうにしている彼についていけなくなったので、抱えられたまま凍夜の肩に顎をのせて脱力した。乙鬼と戦いたくて仕方ないというように、目をギラギラと光らせている。その目はこれっぽっちも笑っていないので見ていられなかった。
「戦いこそが何よりの愉悦。ああ、さっさと暴れたくて仕方がねえ!」
まるで夢を語る人のように、楽しげで無邪気に笑みを浮かべている。内容さえ聞こえなければさぞ魅力的に見えただろうが、なんせ戦闘狂発言だ。
思えば、ずっと昔初めて凍夜と会った時も森を乗っ取るだとか喧嘩を売って何かと争いを好んでいた気がする。
『そんな遙か昔の自分が恨めしいって言ってたのはどこの凍夜様だったかしら?』
「あぁ?言ったかもしんねえな。ま、やっぱり気が変わったってことだ。」
『んな…っ』
「だから、またな。」
『ーーーーへ?』
突如ふわっとした感覚に時が止まったかのように感じた。ゆっくり凍夜との距離が広がっていく。手を伸ばしても、もう届かない。ものすごくスローモーションのように、背中から地へと落下していく刹那に凍夜は落ちていく私を見下ろして言った。
「鬼を始末したら迎えに行ってやる。まあお前はそんなこと、望んじゃいねえだろうがな!」
そう言うと、龍に姿を変え、激しい風を吹き荒らしながら戦いの地へと飛んで行った。
その後すぐにトスっと背中に軽い衝撃がはしり、力強く受け止めてくれる手の感触に、そういえば自分は上空から落とされたのだということを思い出した。
もし落ちるようなことがあったら朱里が受け止めてくれると信じていたので、とくに恐怖を感じることがなかった。
「……お前、もう少し落ちていることに危機感を持て。今のお前はあの高さから落ちたら死ぬ。」
『だって受け止めてくれるって思ってた。あっでも怪我してるのにごめんね』
「……このくらい何でもない。」