襲撃
『取引?』
さっきの私への当てつけか?真似をするなと言ってやりたい。
「聞き入れてやったろ?ちゃんとお前に引き抜かせてやったし、あれ以上傷つけてねえだろうが」
『え?た…たしかに?』
よくよく考えてみれば、私が提案した取引は成立していたのかもしれない。
隙をついて朱里を助けたが、妨害しようとすれば普通にできたところを、凍夜はただ見ていただけで動かなかった。と考えると、凍夜は聞き入れてくれたのだろうか?
『いやでも、今まさにまた傷つけようとしてるよね?』
「だから今取引を提案してんだ。で、どうすんだ?」
『いやいや!意味が分からないんだけど!?取引ってあの一瞬でもう効力なくなるわけ?』
「ちゃんと指定しなかったからな」
『せこい!!』
都合よく決められたが、凍夜がいつでも好きに攻撃できる状況にある以上、彼の提案は唯一朱里を救う手段だ。こうなってしまったらもうそれを聞くしか手がない。
『はあ…それで、凍夜の取引内容は?』
「至極簡単なことだ。お前は、ずっと俺の森に残る。そうすればこの蛇が無傷で帰っていくことを許そう。どうだ?」
『………。』
まあ、そうくるとは思っていた。彼からするとただの気まぐれのお遊び感覚で言ってるだけなのかもしれない。どちらにせよその条件は私には到底受け入れられないものだ。凍夜がこうも執着してくるのは、私がこうして苦悩する様が楽しいのだろう。
朱里は大切な仲間だ。せっかく助けに来てくれたけど、いやーーー来てくれたからこそ乙鬼の森に帰って傷を癒やして元気になってほしい。
『朱里が安全に帰りつくまでしっかり見逃してくれるんだよね』
「ああ、約束しよう」
『傷が癒えた朱里がもし仮にまたここに来ても、いや…来るか分かんないけど、傷つけないでくれる?』
「言っておくが、その蛇が此処を出て行ったと同時に場所を移動する。二度と見つけられないようにしてやるからそもそも助けがくることはもうない。」
『移動するって…凍夜の別の結界の中にいる妖怪達はどうするの?』
「そん時は奴ら全員そのうち追いついて来るから心配いらねえ。」
『慣れてんのね』
結界の中から、外の様子はわかるが外から此処のことは見えない。中にいる者の妖力から匂いまでしっかりと遮断する。だから別の結界の中にいる妖怪達のこともお互いに見ることは出来ない。
きっと、あの血気盛んなゴリラさんや何人かの上級妖怪達がいるのだろう。あとから追っかけてくるって何だか面白く聞こえる。何気にこんな鬼畜邪龍でも、仲間から慕われてるみたいだ。
「はあ…あの白蛇さえいなければ、こいつもお前を見つけることは出来なかったはずだ。まさか服の中に潜んで、抜け出して主を呼びに行くとは」
『今更気づいても遅いけどね』
そう言うと凍夜は無言でこちらをじっと見つめた。少し考えるそぶりをした後、静かに「その通りだ」と呟いた。
「お前は油断ならない。」
『前にも誰かに言われた気がするような…』
そうだ思い出した…龍華様にも言われたんだ。姉弟揃って同じ事を言われるとは、なかなかに信用されていないけどまあそれは仕方ない。
考え事に浸っていると、凍夜は突然パチンと指をならした。誰か仲間でも呼ぶための合図なのか、何かをするために指を鳴らしたと思うけどよくわからなかった。見えない力で私に何かしたとか?
マントの上から体をペタペタと触ってみる。とくに何もない。
『そう、何も………ない……。ない!?!?』
慌ててマントの中を覗き込んで胸元を確認するが、素肌を守る下着がなくなっていた。
『は?私の下着は!?ズボンは!?』
足もスースーするし、凍夜のマント以外に身につけていたものがなくなっている。さっきの指鳴らしが原因な気がする。いったいなんの嫌がらせだ。
『あの、マントの下がすっぽんぽんになったんですけど……』
「これで何も心配いらねえな。」
『でしょうね、あんたはそうでしょうけども』
白蛇さんがいたことに気づかなかったせいとはいえ、マントの下に何も隠しておけないようにしたいんだろうけど、やりすぎである。というか変態だ。
こっぱみじんで跡形もなくすっぽんぽんになってしまった。ボタンついてるからいいけど、こんな格好で森を歩くなんて変態扱いされてしまう。どうかしてる。
『というか、やること早すぎじゃない?私まだ了承してないけど!』
「だが受け入れるしかねえだろ?」
にっこりするんじゃない。顔と声が一致していないぞ。
『むしろただの脅しだわこれ。』
「お前もそうだったからお互い様だ。」
一緒にするんじゃない。私のはまだ可愛いもんだったはずだ。いろいろ文句を言ってやりたいが、睨みつけると「どうするんだ?」と催促してくるので、保留にはしてくれないだろう。
きっとなんとかなる。誰も助けに来てくれなくても、見つけられない場所でもなんなら1人で逃げ出せばいいのだ。
私は大きく一度深呼吸をした。覚悟を決めたので、朱里に“心配しないで”という意味をこめてにっこりと笑いかけた。しばしの別れ…だといいんだけど。
凍夜も私に飽きたら、帰してくれるかもしれないし。逆に飽きたからと殺されないように仲良くしておくつもりだ。
「決心がついたか?」
『……うん。』
「ーーーなら来い」
言われた通りに凍夜の目の前に立つ。先程まで頭にくるほどふざけていた彼はとは打って変わって冷静な顔をした彼とその雰囲気のせいで、不本意ではあるが緊張してしまう。
顎に手が伸ばされ、グイッと上を向かされた。目が合うと、凍夜が唇を軽く噛んでいてうっすらと血が滲んでいた。
何をするか察したので、思わず一歩後ずさると腰に手を回され密着する体勢になってしまった。片腕で体ごと持ち上げられてて足が浮いているので逃げようがない。
また血を飲まされるみたいだが、以前飲まされたのも何かの契約とかだったらどうしよう。そもそも、今回はわざわざ口移しでなくても…と余計なことを考えている間に、血で赤く艶めいた唇が自身のそれに触れるまであとわずかだった。
『…………っっいったあッ!!』
「ーーー?」
スルスルと足を這い上がってくる右足に違和感を感じていたが、すぐに穴が空いたような痛みがはしる。
パッと顔を太腿に向けると、白蛇が巻きついてかぶりついていた。
一瞬にしてサアッと血の気が引く。白蛇に咬まれたら即死だと葵が言っていた。もう一瞬経ったけど、大丈夫なのかと不安と焦りで朱里の方を見やる。
『……っ』
「巳弥、昨日言ったことを忘れたか」
凍夜とのこの一方的な取引を了承したら、殺すと忠告しているのだと思う。凍夜を見る時と同じ目で私を睨んでいる。
昨日の朱里の話からすると、此処に残ることを選ぶことは彼にとって完全に裏切り行為だからだ。朱里のためとはいえ、きっとそんなことは関係ない。
「なんだァ、仲間割れか?」
『ちょっと降ろしてくれる?』
素直に降ろしてくれたので、ストンと地に足をつけると白蛇さんが噛みついてる太腿を見る。
いつもお世話になっている仲良しの白蛇さんではない。噛みついているが、毒は出さないようにしてくれている。
ひょこひょことうつ伏せに倒れている朱里のもとへと歩く。
膝をついて朱里の前に正座すると、ものすごい勢いで引っ張られたので頭同士がぶつかりそうになったが、私の耳元で静かに呟いた。
「決して聞き入れるな。時間を稼げ……じきに来る。」
『え…』
かすれた声でなんとか絞り出した声だった。何が来るの?と聞きたかったが、咳こんだ拍子に血も吐いていたので聞き返すことは出来なかった。
「おい、お前…それいつ破いた?」
『はい?え、私後ろ破けてる?うわっ破けてる!後ろだから気づかなかった!』
正確には凍夜がくれたマントの後ろの裾の部分が破けてるということだ。でも元からこんなデザインだったかもしれないと思うほどには自然に裂けていて、スリットが入ってるみたいになっていた。
『あ、もしかしてあまり質がよろしくないんだね』
「黙れ。そう簡単に破けるものか」
じゃあどうして?と口を開こうとしたとき、凍夜は突然パッと空を見上げ始めた。つられて自分も空を見上げてみるがとくに何もない。
「ーーーーまさか、見つかっただと?」
『へ?』
突然独り言を呟いたと思ったら、すぐに息を切らした僕さんが走ってきた。2人してどうしたのか分からないが、朱里が起き上がれるように、手を貸して傷を確認する。穴が空いていたはずなのにほとんど塞がっており、衣服についた血だけが傷の酷さを物語っていた。
「凍夜様!何かが近づいて来ます!!先程白い蛇がこれを加えていました…この女が着ているものです。」
「ーーーなるほどな」
『あ、それスリット部分の端切れじゃん。どこにあったの?』
僕さんにギロリと睨まれてしまった。その後にしぶしぶ「結界の外だ!」と怒り声で答えてくれた。
なぜそんなことをしたのか分からず、朱里のほうを向く。面倒くさそうにため息をつかれたが、説明してくれた。
「お前が着ているそれは、あの龍の臭いが染みついていて、奴の妖力でできている。この結界はあらゆる気配や臭いを遮断する。ならば外に出せば良い。」
確かに、朱里も白蛇さんもやたらとこのマントを臭いといっていた。いつもお腹に巻きついている白蛇さんまでしぶしぶだった。
全然そんな感じはしないが、さすがはメイドイントーヤの鱗である。全く匂いとかはないが、妖怪は鼻が利くらしい。
『あんな端切れだけで見つけられるんだ…』
「俺には無理だが、乙鬼様なら容易いだろう。」
『え、乙鬼が此処に来てくれるの…?』
「お前、寝ぼけてるのか?他に誰が来るんだ」
朱里のその言葉の直後のことだった。辺り一面が眩しい光に包まれ、目を開けていることが出来ず両手で覆った時、激しい爆発音と衝撃波に吹き飛ばされる。
すかさず朱里が腕を掴んでくれたので飛んでいかずにすんだ。
一瞬で塵になりそうなほどの熱風が辺りを焼き尽くしていた。それなのになぜ無事なのかというと、凍夜が放った巨大な光とぶつかり合い、相殺されたからだ。
「…衝撃波だけで全ての結界を壊しやがったか。此処を襲撃されてたら、まずかったかもな」
「凍夜様!全員すぐにあちらに向かわせます!我々も行きましょう」
「先に行ってろ」
分かりました。と言いすぐに飛び立っていった僕さんの小さくなっていく背を見ながら、爆音のせいで頭がガンガンしてその場にへたり込んでいた。
凍夜も彼に続いて行くのだろうかと、ガンガン響く頭を抑えながら見上げた。
乙鬼が来てくれた。嬉しくてたまらなくて私もそこに行きたいけれど、凍夜は連れて行ってくれるわけもない。むしろこれから戦う相手だ。
しかし、なんだかんだ監禁状態だったけれど大事にもてなされていた不思議な日々だった。
乙鬼と戦う相手なのに、おかしいとは思うけれど何故か口からこぼれた言葉。
『気をつけてね…』
背後で朱里の殺気を感じたが気付かないふりをする。仕方ないじゃないか、私も何でそんなこと言いたくなったのかわからない。
「血迷ったのか?俺はあいつを殺しに行くんだぜ?」
『乙鬼は強いから負けないけど、凍夜も無事でいてほしいって思うよ』
「ーーー。」
凍夜が言葉を失っている。背後から朱里の手が伸びてきてガッと口を塞がれた。それ以上喋るなと言わんばかりに口を押さえ込まれている。
手が大きいので、鼻も塞がってて息が出来ない。
そして力の加減も考えてくれると嬉しい。ミシミシといっているぞ。涙目で訴えると、離してくれたが身内に殺されるところだった。