形勢逆転
眠りについてどれくらい経ったのかは分からない。深い眠りについていたはずなのに、突如頭が割れそうな激しい落雷の音に目が覚めてしまった。
まだ頭がボーッとしており、何が起きたのか分からない現実にカッと目を見開いたまましばらく動けなかった。
雨の音はしないので、戸を開けて外に出る。天気もいいのに雷が落ちたのかと空を見上げると、グラデーションが美しい夜明け前の薄明が東の空に広がっていた。
『雷は気のせい…?でも確かにすごい音がしたはずなんだけど…』
天災のせいではないってことは、あの雷は凍夜がだした音なのだろうか。
原因は他にもあるかもしれないが、何故か胸騒ぎを覚え音のするほうへと走ろうとしたときだった。
『……!?』
光の速さで来た"何か”に道を妨げられたのだ。目の前に雷が落ちてきたのかと焦ったが、そうではなかった。
「よお…起こしちまったかァ」
突如目の前に現れたのは昨夜までの優しい凍夜ではなく、猟奇的な雰囲気を纏ってこちらを一瞥すると、すぐにその視線を自身の足下へと向けた。それにつられて私も凍夜の足に踏みつけられている“何か”に視線を向け驚愕する。
『とう、や…何をしているの…』
「見て分かんねえか?」
『……わから、ない。いったいどうして…』
ーーーーどうして朱里が凍夜の足下に倒れ伏しているのか。
突然のことで頭が追いついていかない。昨日寝るまで話していたはずの朱里が、今は傷だらけでボロボロになって倒れ、凍夜に頭を踏みつけられて地面に顔を押し付けられている。
這いつくばったまま悔しそうに凍夜のほうを睨みつけながらも、その足をどかす力も残っていないようで力なく拳を握りしめていた。
かすり傷ひとつなく、髪型1本すら乱れていない凍夜を見るに朱里は手も足も出なかったのか。不意をつかれたのかは分からないが力の差は歴然だった。
『朱里…!!』
駆け寄ろうと足を一歩前に出したと同時に、朱里が苦痛に顔を歪めた。驚いてその場で動けなくなり、膝から崩れ落ちた。おそるおそる凍夜のほうを見やる。
「動くなよ。うっかりこいつ殺しちまうだろ」
『…わかったから!動かないからやめて』
寝ている間に何があったのだろうか。こんなに爽やかな朝なのに、目の前にはとてつもない雷雲がいつ雷を放ってくるか気が気でない。
ああもう、なんで突然こんなことになってるんだ。そもそも朱里は何故捕まってしまったのか。彼のことだからヘマはしないはずだが何か策があってのことだったりするのかもしれないけれど、表情をみるに失敗したのかもしれない。
「お前、こいつが侵入していたことを知っていたのか?」
『………。』
「答えられないか?以前“迎え”が来たら帰っていいかと俺に聞いたな。」
『……?』
「この俺に勝てたら考えてやってもいいが、こいつでは力不足だ。二度と邪魔できないように、殺しておくべきか?」
そう言ったのと同時に凍夜の手からバチバチと赤い雷電が長い槍の形を作り出し、私の言葉を待つこともなくその刃が下敷きにしている朱里の肩を貫いた。赤い雷電は朱里の全身を巡り、呻き声をあげる彼を前に私は駆け寄り手を伸ばす。
凍夜が出した槍のようなものを朱里から引き抜こうと掴もうとしたが、すぐに凍夜によって首根っこを掴まれて強い力で放り投げられた。
「動くなと言っただろうが。」
確かに言ったーーーが私が動かなければ朱里の安全を保障してくれるわけではなかったので仕方ない。また距離が出来てしまったので何とかして近づき凍夜から朱里を引き離したい。今も肩を貫かれ、電流が体中を巡っていて苦しそうだ。
あの刺さっているものを引き抜いてあげられれば少しは痛みが和らぐかもしれない。
『……朱里、いま…』
「こいつがこれだけ苦しんでるんだ。お前が触ったらどうなるか考えないのか?」
朱里がこんなに危険な状態なのにただ見ているわけがないだろう、と睨みつけてやるが首を傾げられるだけだった。
凍夜が出す雷は緑の光しか見たことがなかったので赤い色のものは初めてだ。朱里の状態を見るかぎり緑色のとは威力が違うんだろうなとは思っていたが、赤い色は私も触れてはいけないものらしい。
触る前にふっ飛ばしてくれたのはありがたいが、これでは朱里を助けることもできない。なのでこうなったら一か八かである
すぐに立ち上がり凍夜に向かって思い切り駆け出した。
そして突進した勢いのまま地を蹴って飛びかかる。凍夜はこちらをじっと見つめたまま私が何をするのかと興味深そうに見ているだけで、意外にも抵抗することなく、そのまま私に押し倒されたのだった。
朱里の肩にはまだ凍夜の武器が刺さったままだが、彼から少し引き離せたと思えば全然大成功だ。
少なくとも私が下敷きにして腹部にどっしりと馬乗りになっているので、そうそう好き勝手に動けないはずだ。
『…………。』
上にいるほうが有利だと思ったのに、何故か腰をがっしりと両手でつかまれていて、身動きがとれなかった。ためしに腰を浮かせようとしてもこれっぽっちも動かせなかった。
これでは退きたくても離れられない。接着剤でも塗ってあるのかと思うほどびくともしない。
『ん!?』
私に乗っかられている凍夜は、何故か下からこちらを余裕の表情で見上げている。うっすらと笑みを浮かべているのは気のせいだと思いたい。
「ああ、困った。下に敷かれるのは初めてだが……存外そんなに悪くない眺めかもしれねえなァ」
イラッとしたが顔にでないようにこちらもニッコリとした表情をキープする。ちょっと引きつっているかもしれないけれど、狼狽えたら負けである。もはや顔面勝負なのだ。
『何を言っているのかしら?なんでそんなに余裕そうにしてられるか知らないけど私が上なんだからね!』
「そりゃあ大変だ。これからお前に何をされるか…考えただけでも恐ろしい」
『そうでしょうとも、でも私は優しいから取引してあげてもよくってよ?』
「取引だぁ?」
『……そう、あのへんてこ悪趣味な武器を朱里からぬいて!傷つけないで』
「そんでお前は何をしてくれる?」
『……な、何をしてくれるか?えっと、そうね…』
「何も考えずに取引なんてほざくんじゃねえ」
『ち、違う!何かしてあげるんじゃなくて、むしろ逆。してくれないなら、あんたのその頬をグイグイ引き伸ばして引っ掻いてやる…それでさらさらなその髪だってぶちぶちに引っこ抜いてやるんだから!』
言ってやった!自分で何言ってるかわからなかったけど、しっかり脅したし凍夜から顔をとったらただの鬼畜野郎なのできっと彼も困るに違いない。
勢いよくしゃべったので息があがってしまった。凍夜はそんな私をまじまじと見つつ、息がととのったところで口を開いた。
「何を言うかと思えば一方的な取引じゃねえか、なんて狂暴な女だ。怖くて震えちまう。」
涼しい顔でぶるぶると震えるポーズをとって煽ってくる彼に、怒りを覚えてその艶々なおでこをひっぱたいてやりたいところだったが、私はその一瞬の隙を逃さなかった。
腰から手が離れたおかげで動ける!すぐに凍夜の腹部から立ち上がり、朱里に刺さっている武器を抜いてあげようと手をのばす。
マントの下から手を出そうとしたが、電流に素手で触れるのは危ないのでマントを鍋つかみのミトンのように使うことにした。
なんせこのマントはメイドイントーヤの鱗製なのである。むしろこれを着てればきっとこの殺人級の赤雷も怖くない…と思う。
袖がついてるわけではないので手はマントの中にあり、なかなか掴みにくいのだが全身を使って思い切り引き抜いた。
それと同時に朱里の全身をバチバチと流れる赤い電流も治まり、ほっと胸をなでおろした。
片肘をついた手で頭を支えながらくつろぎポーズで横になったままの凍夜は「おー頑張ったなァ」とつまらなそうに見ていた。
引き抜いた武器にむかって凍夜が手を翳すと、それは勝手に浮かび上がり再び朱里の方へ矛先を向け始める。
すかさず朱里を庇うようにして前に出て、向けられた禍々しい殺気と向き合う。
「それで庇ってるつもりか?」
『!?!?』
くつろいで寝転がっていたはずの凍夜がいつの間にか自分の背後に立っていた。姿勢を低くして、背後から頬と頬が触れ合うくらいに顔を近づけた凍夜を横目に見る。スッと細められた瞳と目が合いゾクッと背筋が寒くなった。
後ろからするりと伸びてきた腕が首に巻き付いてくる。万が一力を入れられたら首が締まって窒息してしまう。そんなことはしないとは思っているが、気分が悪くなりそうなほどの殺気に、思わず足が震えそうになってしまう。
そんな私の胸中に気づいているか分からないが、凍夜はククッと喉をならして笑っている。
そして、私の耳元に口をつけながら、息を吐くように静かにこう言った。
「取引といこうか」