敵と味方
『いやまてよ、やっぱり私に恋でもしちゃったってこと?もうそれしかないよね、うん。』
「心の声が漏れてるぞ。」
『はっ!!』
暗くて表情が分からなくてよかったと心から思う。凍夜のような妖怪なら暗くても見えているのかもしれないが、とりあえず声から察するに怒ってはいないらしいので助かった。冗談だと笑ってみたがスルーされてしまった。
しばし沈黙が流れて大変気まずい空気になってしまったが、心の声だったということで聞かなったことにするつもりなのか凍夜はずっとだんまりのまま、薄くなっていく月虹を二人でただ見上げていた。
珍しい虹をしっかり目に焼き付けたころ、ふわっと宙に身体が浮いた。突然の強い風が自分の体を持ち上げてきたので『おわっ!?』っと思わず声をあげると同時にその風は小屋のほうへと流れるように吹いた。
風は丁寧に戸まで閉めてパタンと閉まった音とともに風はなくなり、何が何だか分からないまま床にドスンと尻もちをついた。
『あたた……これ凍夜がやったんだよね。あれから結局何も喋らなかったし。』
ひりひりと痛むお尻をさすりながら、起き上がるといつの間にか朱里が立っていた。壁に模様などあっただろうか?と思って視線を向けただけだったのだがまさかの登場にびっくりしてバランスを崩し、再び床に尻もちをついてしまう。
「何をしている。尻を打ちつけて遊んでるのか?」
『んなわけ!!というかいつからそこにいたの?凍夜が一緒に入ってきてたら即アウトなやつじゃん!登場のタイミングには気を付けてくれないと!』
「?現に入ってきたのはお前だけだから大丈夫だろ」
『んん…まあそうだけど』
寝ろって言われてたくらいだし、気まずかったしもう話すこともなかったから大丈夫だったんだろうけど、朱里も話を聞いていたのだろうか。
「お前にとって妖怪は皆同じでも、俺たちにとってはそうではない。」
『え?』
「余所の森の妖と馴れ合うなど、坐視出来ない。」
いつもどおりの冷静さを保ちつつも、真剣さと苛立ちを秘めた口調で強く咎められた。やはり、どこかで凍夜との話を聞かれていたらしい。確かに少し仲良くなったような気になって一緒に虹まで見ていたし、心を許してしまっているのかもしれない。
「しかも、殺されそうになっておいて何故あの龍をそこまで信用できるんだ。」
『な……なんとなく。別に信用してるわけじゃない』
「覚えておけ。余所の妖は敵だ。それでなくともあの龍は生かしてはおけない乙鬼様の敵……。そんな奴に心を許すなど裏切りだ。捨て置けぬ。」
私がこっちの森に染まりつつあると見えているのだろう。何だかんだのんびり楽しんでいるので、そう見られても仕方がない。
まさか裏切り行為だと言われるとは予想外だったが、妖怪の世界の暗黙のルールがあったなら、朱里がこうして怒っているのも納得である。
凍夜のように何も気にしなさそうな妖怪もいるのだろうが、朱里はそのへん敵味方をきっちり分けている。それ故に許せないのだろう。
「お前がこちらに残ることを選ぶなら、その瞬間から俺の敵だ。乙鬼様の手を煩わせることなく、俺が殺してやる。」
『……!』
朱里も朱里で極端すぎると思う。驚きのあまり言葉がうまく出てこない。助けに来てくれたものの裏切りと分かったとたんに殺せるなんて恐ろしすぎる。
人間嫌いだと聞いたことがあるが、発言から察するに森の一員で仲間として認めてくれているのだと思う。だからこそ敵になった判定をされたら殺されてしまうなんて無情な仕打ちだと異議を申し立てたい。発言にもう少し躊躇いをもってくれと言いたい。
「はあ、まあいい。そんなことよりも、お前に聞いておかないといけないことがある。」
『…なんでしょう。』
あまり楽しい話ではなかったので話題を変えてくれるのは助かるけれど、次はどんなお説教をされるのかひやひやものである。ごくりと唾を飲みこんだ音が朱里にも聞えていそうだ。
「何故血を飲まされるに至った?」
『かくかくしかじかで…』
「ちゃんと言え。だいたい安易にそんなものを口にするとは、これでは乙鬼様とて…。」
『無理やり飲まされたに決まってるでしょ!だいたい、帰って乙鬼の妖力貰ったら、龍の血なんて消し飛ばせるんじゃあ。』
「おまえは事の重大さをわかっていない。そもそも妖力だけで生きているお前のような人間は聞いたこともない」
それはごもっともだ。私も自分の体のことはよくわからない。もう死んだかと思ったら、龍の血を飲んで生きながらえているがその後どうなるかなんて分からない。
「乙鬼様の妖力で奇跡的に動いていたお前は、妖力がなくなった時点で普通死ぬだろう。それか、昔のように桜の木で再び長き眠りにでもつくか。」
確かにそのとおりだ。だが、500年前は死んだことによって魂が現代に帰ってきたというのが正解だ。今死んでしまったら、さすがにもう終わりなのではないか。
「だが、死の寸前で別の妖力を入れられおまえはこうして生きている。だが血はそう簡単に抜くことはできない。出来たとして、同じように死にかけてみるしかない。」
『ね、ねえ…もう少し楽しい話してくれない?ずっと怖い事言われてちびりそうなんだけど?』
「全て事実だろ。やっと自分のおかれた状況が分かったか。」
『龍の血で生きてるんだから、わざわざ抜かなくてこのまま生きていけばいいと思うんだけど?』
先のことは分からないけど、また死にかけるなんてごめんだ。しかもうまくいかなかったらどうするんだ。
「乙鬼様が許さんだろうな」
『そうかなあ?』
「自分の妖気を纏っていたはずなのに、他の奴の臭いをぷんぷんさせて改造されて帰ってくるんだ。当然だろう」
『朱里…言い方…言い方をもう少し優しくオブラートに包んで。』
苛立っているからなのだろうけれど、言葉が荒々しい。もともとズバッと言ってくるとは思っていたが今回は大打撃である。
両手で顔を覆い、深く息をついた。
そうだ、きっと乙鬼が痛くない方法で何とかしてくれるはず。
パッと顔をあげると、目の前にはクリクリのお目めをした白蛇さんのどアップが視界に入る。
ずっと巻きついていると思っていたのに、知らぬ間に離れていたみたいだ。そして先ほどまで居たはずの朱里がいなくなっている。
いろいろ言うだけ言って音もなく消えてしまった。今度来たら仕返しに文句の1つでも言ってやろう。
『白蛇さん?そんなに顔を近づけてどしたの?』
もしかして、落ち込んでる私を心配してくれたとか?クリンとした愛らしい瞳でこちらを見つめている。
『ありがとうね』
先のことが不安になったが、こうして白蛇さんが寄り添っていてくれるから落ち着く。主人とは大違いだね、といって優しく撫でてあげた。
『乙鬼、どうしてるかな…。早く会いたい』
膝を抱えたままごろんと横に寝転がる。朱里も突然いなくなってしまったし、ただただ静寂の薄明かりの中何故か孤独を感じた。
『朱里のばか』
自分の主人の悪口を言ってしまったが白蛇さんは怒ったりはしなかった。
じんわりと目が熱くなって涙がたまる。まばたきと共に目尻からこぼれ落ちる雫を、白蛇さんがシュルシュルと舌を出して舐めてくれる。
やはり慰めてくれていた。ホッと心が温かくなり安心するとだんだんと瞼が重くなってきた。
『早く脱出しないとね…。』
結界の外は中にいる者の気配や臭いが一切消されている。脱出するのが早いのだが、一度失敗しているので監視の目が強い。
だが、乙鬼が来てしまうと、とんでもない戦いが始まりそうなのでやはり自分で何とかしよう。
朱里にも、此処に残るつもりはないのだとはっきり伝えなくては。
白蛇さんは私が眠りに落ちるまで寄り添っていてくれた。