宵闇の月虹
小屋の中に置かれている行灯の灯りを頼りに、鱗で作ったというマントをまじまじと見てみたが、全然分からなかった。明日の朝もっと明るくなってから見てみれば分かるのだろうか。
触った感じだと鱗はないが、少しザラザラとしている。ただ裏地はサラサラとしているため、着ていても違和感がない。柄もない真っ黒なマントだが少しサテン生地のような光沢があって高級感がある。
とても軽くて薄すぎず厚すぎない。水も弾いてくれそうなので雨具にもなるかもしれない。水浴びもこれを着たまま出来そうだ。
『さっきから雨の音がするし、水弾くか確かめてみたい。』
「もう夜だ。どうせ外は真っ暗で何も見えねえだろ。大人しく寝ろ」
『うーん、ならそうする。』
外は真っ暗闇で何も見えないため、普段は篝火があるのだが、今日は雨ということもあって火は消してあるらしい。
凍夜は電気が使えるので、どうせならもっと明るくしてほしいところだが、凍夜の電気バチバチと共に眠りにつくのはものすごく嫌だ。
それに彼の電気は緑なので何となく落ち着かない。薄暗い場所に非常口の電気ってすごく不気味で怖いイメージがあるので、それを思うとこの行灯の薄明かりで十分だと思える。
どこでも寝れるから、別に構わないが真っ暗な夜がくるたびに、乙鬼の桜の木を思い出す。とても眩い美しい薄紅の光が、月のように夜道を照らしてくれていた。
さすがに遠すぎると真っ暗だったものの、小屋があった場所あたりまではなんとか光が届いていた。
舞い散る花弁もやがて溶けるように消えてしまうが、しばらくはひらひらと暖かい光を纏って辺りを照らしてくれていた。
思い出すと、寂しい気分になってしまった。早くあの場所に帰りたい。何よりも乙鬼に会いたい。走って、飛びついて、そのままぎゅうっと強く抱きしめてほしい。
『………っ。』
じわっと瞳が熱くなってきて、はっと我に返ると無言のままこちらを見ている凍夜と目が合った。
ずっと頭の中を覗かれていたような気分になるくらい、考えていることを見透かすような視線だったので、思わず目を逸らしてしまった。
何も悪いことを考えていたわけではないし、むしろ捕らわれの身なのだから、帰りたいと思うのは当然の感情である。
やはり凍夜の視線には弱いらしい。冷たい表情じゃなくてもどこか恐怖心が蘇ってしまうのか、ずっと合わせていられない。
それすらも見透かされてしまったのか、小さく舌打ち
をする音が聞こえてきた。
「……さっさと寝ろ。」
『あ…うん。』
何か言われるかと思ったが、そんなこともなくそのまま戸をあけて出ていこうとする凍夜の背中をぼーっと見ていると、戸を開けた状態で、こちらを振り返ることなく立ち止まる。
「寂しいなら寝るまでみててやろうか」
意地の悪い笑みを浮かべてこちらを一瞥すると、私が答えるのを待つこともなく出て行ってしまった。
『………。』
ぽかんと口を開けたままフリーズしていると、お腹に巻きついていた白蛇さんが、もそもそとマントの下から顔を出した。
小さくクリクリとした赤い瞳が、ギロリとこちらを見ている。
無理やり押し込めたのを怒ってる?と顔を近づけてみるが、私には蛇が考えていることなんてわからない。
ただ、いつもぽやぽやしている可愛い表情とは違って何かに不満げなのは確かだ。
『白蛇さん…そ、そんなに臭う?ごめんね押し込めて…』
なでなでとしてあげると、嫌だったのか再びマントの中に潜りお腹に巻きついてしまった。しかも先ほどよりも締め付けがひどい。
『んぐぐ…っ』
地味に苦しい嫌がらせをしてくる。臭いならマントから出ればいいのに、出てこない辺り臭いからではないのかもしれない。何が不満なんだか全くわからない。
なかなか白蛇さんの機嫌がなおらないので、眠るに眠れないため、台の上から降りてみる。
あまり外に出たいとは思っていなかったが、戸を少し開けて隙間から外の様子を窺う。
戸を開けたことで、白蛇さんの締め付けがさらに強くなり、ぐいぐいと後ろに引っ張られる。戻れと言いたいらしい。
『ん?雨やんでる?』
雨の音がしないので、戸を全開にしたまま外に出て両手を広げて空を見上げた。
『………!』
手に雨が落ちてくるか確認するために手を広げたのだが、空を見上げたら雨が降っているかどうかなんてもうどうでもよくなってしまった。
『白蛇さん…すっごい綺麗な満月だよ!』
綺麗な月でもみて機嫌をなおしてくれたまえよ。と腹部をぱんぱんとしてみる。締め付けがなくなり、ボタンとボタンの間から顔を出してくれた。
雨上がりなのに、月のまわりに雲は全くなかった。澄みきった空に氷のように冷たく冴え渡った月が煌々と照らし、爽快な輝きを放っている。
月の反対側はどんよりとしており、暗い灰色の雲がもやもやと漂っている。
『ーーーうっわあ………!!!』
いっそう声をあげてしまった。夜の月の光によって綺麗なアーチ状の白い虹がかかっていた。
白蛇さんもマントの中から出てきて肩まで這い上がり一緒に空を見上げた。
夜の虹なんて生まれて初めて見た。向かい合う月を薄く引き伸ばしたかのような月虹。
宵闇の雲の中かかる白い虹は、どこか不穏な存在で雲谷の中に龍が潜んでいるかのよう。
もしかして凍夜が夜の空を飛んでる?
『凍ー夜あぁああー!!!』
真っ暗闇の森の中、近所迷惑になんてならないし他の妖怪も出てこない…はず。僕さんはうるさいと怒鳴り込んでくるかもしれないが。
声が届くか分からないが空に向かって力のかぎり叫んでみた。
不安定で危険をはらんでいる怪しげな月虹は、ただ静かに空にかかっている。龍になった凍夜が、反対側にある眩しいほどの月の光に照らされて、ああして光って見えるのかと思うほどだったが全く動いてないので見間違いだった。
肩から首に巻きついている白蛇さんが、月虹を見るのをやめて再びマントの中に潜ってしまった。
その直後、いつの間にか背後にいた人物に思い切り頭を叩かれる。
『痛ったあー!!』
「おい、俺は大人しく寝ろと言わなかったか?」
人の頭をグーで叩きやがった!思い切り睨みつけるが、室内から漏れる薄明かりだけでは、暗すぎて凍夜の顔はよく見えない。
『頭が割れそう…。ああもう、バカになったらどうしてくれるのよ!』
「それ以上バカにはならないだろ。さすがに。」
『しみじみと言わないでくれる?』
「ーーーーんで?何で呼んだんだ?まさか、本当に寂しくて眠れな『ちがいますうー!』」
変な誤解をされる前に、夜の虹にビシッと大きく指をさした。表情や足元まではわからなくとも、戸が全開なので室内からの灯りで動作くらいはわかってもらえるはずだ。
「なんだ?……虹か?」
『そう!!すごいよね、夜の虹!月があんなに綺麗だから、ここまで綺麗にくっきりした虹ができるんだよね』
「あれを見てほしかったのか?」
『凍夜が飛んでるのかと。呼んだらこっち向くかなって思って。』
「全く動いてねえだろうが」
『でもさ、綺麗なのにどこか怖ーい感じは凍夜そのものだと思う。』
「はっ」
月の周辺のように、雲一つない空に月虹がかかっていたならそんなに怖いと思うこともなく、ただひたすらに感動していただろう。
それも、白い虹ではなくレインボーだったならよかったのに。しかしなかなか見れるものではないと凍夜も言うのでしっかり目に焼き付けておきたい。
『きっとこれからも虹を見たら凍夜の顔が浮かんでくるよ…やだな。』
「なんだとてめえ…」
『お別れして遠く離れても、虹が出たら思い出すっていうのはちょっと素敵!』
「くだらねえ。お前は死ぬまで閉じ込められるんだって何度言ったら分かる。」
『憎い敵が死ぬまで、ずーっと一緒にいるつもりなの?そういうのも凍夜の趣味?』
変わってるね、ほんと。とドン引きの顔をしてしまったが幸い表情までは見えてないはずなのでセーフである。
「ーーー本来ならたくさん苦しめて殺してやったのに」
『ーーーはい?あの、突然こわいこと言わないでくれる?きっと今また怖い顔してるんでしょ?見えなくてよかったわ本当』
「よりにもよってお前とは……。はるか昔の自分が恨めしい。」
まるで独り言のように、遠くにかかる月虹を見上げながら凍夜は静かに呟いていた。
はるか昔、暴れてやろうと乙鬼の森に来なければ私という人間に会うこともなく、心置きなく敵を討てたと。
『つまり、本当は私を殺したくて仕方ないんだ』
「よくわかってるじゃねえか。」
ーーーでも殺せない…つまり、私のこと少なくとも嫌いではないってことだよね?
ただの気まぐれでやっぱり殺してしまおう、とならないことを切に願う。