水中に消える
服も一緒に洗おうとそのまま水の中に入ったはいいけど、その後のことを考えていなかった。
そもそも着替えをもらってから行くべきなのに何をやっていたのだろう。
濡れた髪や服が皮膚にはりついて何だかスッキリしない。
『へぶしっ!!』
「お前!今この私に向かってくしゃみしただろ。わざとか?」
『着替えをくれなかった嫌がらせ…ずび』
「地味な嫌がらせをするんじゃない」
『着替えをくれなきゃぬじりつけてやる!!』
こんなびしょびしょのボロボロの布切れをいつまでも着ていたくはないのだ。早く着替えをよこせと言わんばかりに僕さんを襲いかかった。
まさか襲いかかられるとは思ってもみなかったのか、バランスを崩したところを私にのし掛かられて、下敷きとなっていた。
『ふふん。というか、僕さんが着てるの脱がせて着れば即解決だわ私頭いいー』
「ぎゃああやめろ!俺の上に乗るな!汚れるだろうが!!って脱がすな!!」
一人称が俺になっている。凍夜がいないから素なのだろうか。とりあえず早く脱がしてしまわないと、びしょ濡れの自分が馬乗りになっているので、彼の服も濡れてしまう。そうなれば奪って着ても湿ってるなんて嫌だ。
「だいたいお前は話を聞け!いつ誰がどこで着るものをやらないと言った!!まだ言ってないだろうが」
『言うつもりだったのね』
「惨めに震えて大人しくしてれば、ボロ布を持ってきてやろうと思ったが!お前になぞやるものか!素っ裸でその辺に転がってろ!」
『ボロボロなんて嫌に決まってるでしょ!あんたがそういう奴だって分かってたから今自力で手に入れようとしてるんでしょうが!』
お互いに喧嘩を売り買いしながらどんどんエスカレートしていき、互いに衣服を引っ張り合っていた。
妖怪なだけあって桁違いな力強さがあるのは分かっているが、それにしても自分の力が全然出ないことに困惑した。
そういえば、私の中にあった乙鬼の妖力は凍夜に吸い取られてしまったんだった。
なので、もう人間離れした力は使えない。
『んぐぬぬぬ…!』
「……っ…さっさと諦めろ!」
本当なら、この男の圧勝のはずなのに、相変わらず私の下敷きになったまま、抵抗と攻撃をしかけてくる。
『…………。』
私の力に合わせてくれてる?
ふとそんなことを思った。人間で、しかも女の力に苦戦するなんておかしすぎる。
もしかして、手加減しながら衣服を剥ぎ取られない程度の抵抗と反撃をしているのか。
ーーーーだとしたら、ちょっといい奴なのかもしれない。
そんなことを考えながら、1人感動していたときだった。突然もの凄い力で体を掴まれたかと思うと、一瞬で視界がコバルトブルーに変わった。
少しだけむっとした表情の男の顔がこちらを見下ろしている。今の今まで私が押し倒していたはずの僕さん。考え事をしていた一瞬をつかれたらしい。背中は固い地面に押しつけられた。
「形勢逆転だな。なに他事考えてやがる馬鹿女」
『……あ。いや、僕さん…思ったより優しいんだなって』
「はあ?突然何言ってんだ。服剥かれて喜ぶ変態だったのか?」
『はは…そんなわけないでしょ』
いつも喧嘩をふっかけてくるからむかつく奴だと思っていたが、少し見直した。
きっと彼はツンが強めのツンデレなのだ。そしてちょっとうるさい。
「おいお前ら…いったい何の真似だ?」
いつの間にいたのか、2人だけだと思っていた空間に別の声が入り込んできたことに驚いた。
僕さんにいたっては、この状況を見られたことに動揺を隠せないようで、ビクッと体が大きく動いたせいなのか……
「あ……っ」
ビリッと思い切り衣服を破かれてしまった。
『ーーーーー!!ぎゃああああーー!!』
「なんだお前達、剥ぎ合ってたのか。」
「と…凍夜様!ちがいます!!これはつい力が入ってしまっただけで…!」
あわあわと慌てながら、乗っていた私のお腹の上から退き、正座をする。
『私のボロボロが…さらにボロボロに…』
悲しげに呟くと、凍夜がこちらに近寄ってきた。
力なく横たわっている私の頭上でしゃがみこみ、頭の先からつま先まで視線を向けていた。
その後、呆れたようなため息をつかれる。なんなんだいったい。
「お前…水浴びにいったんじゃなかったか?」
『………そうだけど。』
「何をどうしたらそんな地中から掘り起こされた後みたいになるんだ」
『私はミイラか。』
「そこまでは言ってない。泥団子かと思っただけだ」
『泥団子』
びしょ濡れのままで僕さんと戯れてたので、そのまま土や葉っぱを体中にくっつけていたらしい。
「…ったく、もっかい行ってこい。」
『……はーい。』
よぼよぼと歩き出し、再びあの美しすぎる池を汚してしまうのが申し訳ないがこればっかりは仕方ない。
破けたところを抑えながら1人池に向かう。さっきまでの騒がしさが嘘のように静まり返った空間に、安らぎを感じながら『ふう…』と息をつく。
軽くパンパンと叩きながら体中の汚れを落とすと、水の中にゆっくり足を入れた。肌についていた砂や土が水中へハラハラと沈んでいく。
すうっと背中から全身潜り、薄く目を開いて水面を見上げる。
朱里がくれた不思議な玉を飲み込んでから、息もできるし、水中でも物がしっかり見えるようになった。
風で揺らめいている水面から差し込むお日様の光が鯉と共に水の中を泳いでいるようで美しかった。
水中から見上げる太陽は、いっそう激しくギラギラと輝いて、それでいて優しい神秘的な光を降り注ぐ。
『ああ…綺麗すぎる。このままずっと潜っててもいいかも。』
「いや、汚い」
『!?』
またまた突然声がしたので驚いたが、ここにいるとすれば朱里しかいない。
『朱里!どうしたの?明日って言ってたのに』
水中とはいえ、水は澄んでいる中までしっかり見えるので朱里は深く底に沈んで横になっている。
そんな朱里を隠すように覆い被さる態勢で水面近くを浮いた
「準備はできた。ここはそれなりに美しい。明日お前が来るまでここにいようかと思っていたところに…」
『あ、また私がきたと。』
「土の塊のよう汚いものが入ってきたから驚いた。少し薄暗くなってしまって残念だ。」
『あ……私のことね、確かにちょっと汚れてた…』
「さっき入ったのにどうしてそうなってしまったんだ。」
『ちょっと暴れてた』
「お前はどこにいてもそれだな。」
酷い目に合ってないなら安心した。と呟きこちらに手を伸ばす。なんだろうと思いつつ、その手を掴んだ。
「準備はできている。予定が早まるのは良いことだ。早く脱出するぞ」
『ーーーーうん。』
一応捕らわれの身なので、さよならは言うことはできない。最後はもう少しまともだったら良かったけど、これでいい。ぎゅっと朱里の手を握りしめた。