痕
暑さ厳しい日が続く中、虫の音に近づく秋を感じる。高く澄みきった空に白いうろこ雲が浮かび、日増しに秋が深まっていくことがわかった。夜はまだ暑いが、朝夕はずいぶん涼しくなったと思う。
肌をさらっと触れる風が、季節の変わり目を教えてくれるようだった。ここではわからないが、きっと森の木々達は清々しいほどの風を感じていることだろう。うららかな気分で都へやってくると、いつも通りそこに一人の少年は待っていた。
「次は何を持ってきたんだ?…その書物は何だ?」
『ガキンチョ~おまたせ!これは教科書で私のいた未来の本よ。見てみる?』
教科書を受け取ったガキンチョはぱらぱらとめくって3秒で返してきた。
「読めん。何語だ。」
『あ…そうか。現代の文字じゃ分からないか。』
私からしたら、この時代の文字のほうがよく分からない。みみずみたいににゅるにゅるしているから。
自分が読めないものは興味ないとガキンチョはすぐに興味をなくしていた。
「あ~あ。いつ帰れるんだろ。髪も伸びてるし。戻れたらおばあちゃんとかだったら…。そういえばガキンチョ髪全然伸びてないね、私が早いだけ?」
「…お前が早すぎるんだ。」
一瞬間があった後すぐにそう返されてしまった。
『でもガキンチョの髪、太陽に当たるとなんか赤みがかって見える。太陽にあたりすぎで傷んじゃったんじゃない!?焦げちゃったってこと!?駄目だよ髪はキューティクルにしなきゃ!』
「きゅーてぃくる…?なんだそれは。太陽如きで焦げたら頭出して外に出れるか」
『はははそうだよね!じゃあもしかしてガキンチョ妖怪なんじゃないの?』
「そうだ」
「へ?」
おかしい。この子、頭やっぱり焦げちゃったのかもしれない。ノリで冗談言うような子じゃないのに。もしかしたら本当に妖怪?でもこんなあっさり正体をバラす奴はいない。
私はすぐにガキンチョの頭をわしゃわしゃと触る。焦げてるのではないか、と。触られるのが嫌いなガキンチョはものすごい不機嫌になってしまった。だが、どこも異常なしだった。
『ということは…本当に妖怪なの…?なんの妖怪!?かわいいの?小さいの?でも人間の形してるから上級妖怪なんだ!』
きらきらと目を輝かせて言うと、心底呆れた表情でガキンチョは言った。
「鬼」
『ん?ウニ?お魚さんだったのね、水なくても肺呼吸になるの?一緒に山上った時、魚を捕ってきてくれたわよね?あれって共食いじゃ…?つらいことさせてごめんなさい。いや…でもさすがウニ…そのトゲトゲで殺るのね…!すごーい!!』
「違う、黙れ。誰がウニだ。」
「もういい…」と会った時より疲れ果てたような顔をされてしまったが、怒ってるわけでも拗ねてるわけでもなさそうだったから良しとした。
知らぬ間に人気のない方へと歩いていくと、地面に血痕のようなものをみつけた。その跡を目で追うと、そこに小さな動物がいた。白いウサギだったが、背中に擦り傷があり結構傷が深いのか血が流れている。
『大変!なんか怪我してるけど?でも見た目のわりに全然平気そう…』
「妖だな。下手に攻撃でもしないかぎり、こいつは人の子に害はない。ただの動物同然だな。」
『手当してあげなきゃ!』
そのウサギに触れた途端、やはり普通の動物とは少し違うようで、触れていた手を、ウサギの足でバシッと叩かれてしまった。その瞬間巳弥は、手の甲を爪でひっかかれてしまった。ウサギはそのまま素早く森の中へ逃げて行った。
『――っ…。』
「チッ……切られたのか?」
すぐにガキンチョは近寄ってきて私の手をとった。面倒くさいというばかりに舌打ちをされてしまった。手首の方まで血が伝っていたがそこにガキンチョは口をつけて舐めていった。手の甲に口を付けているガキンチョの姿はまるで―――
「忠誠の誓い?」
ガリッ
『痛ああああ!!このっガキンチョ!傷口に噛み付いてどうすんのよ!痛い!!ていうか舐めてなんて頼んでないよ!!拭いとけば治るよもう』
「誰が芋虫などに誓わねばならん。ふざけたことを言うからだ。奴の爪に毒でもついてたらどうする。」
ハッと鼻で笑われたあと、その手を布でしばってくれた。その布はもちろん私の服から。
『ああー!ちょ、これ私の着物!…じゃなくてミツさんから貰ったのに…!!」
「そんなボロいものいつでも買えるだろ」
金持ちはこれだから困ると叫んだが、そんなこと一切聞こえてない様子でとっとと先に歩いて行ってしまった。ガキンチョの帰り道の方角だ。気が付けばそろそろ帰らなければならない。
『はあ、まあ今日もありがとね、ガキンチョ。また明日。」
「……フン」
手をふるが、相変わらず素っ気ない態度で別れるのであった。
家に着くと、ウサギの妖のことを話した。ついでにガキンチョが手当してくれる時、ミツさんの大事な着物を破いたことも。
「そんな小さな妖怪もいるんだね。でも巳弥、その怪我は大丈夫だったのかい?」
布をとると、つい昼のことだったのにひっかかれたはずの傷がすっかりなくなっている。かわりにガキンチョに噛まれた後がくっきりと残っていた。
「この歯形は少年のかい?おかしいねぇ…。妖怪に付けられた傷は消えない。妖の力を使えば消せるかもしれないが…ウサギに引っかかれた傷はどうしたんだい。ここまで傷痕がないとなると、治したのはその少年だろうね。おそらく彼は、妖怪だよ。」
辛い現実かもしれないが…彼は妖だとミツさんは困った顔で私にいった。
『じゃあ…本当にウニなのね!』
「……。…ん?うに?なんだいそれは…」
思ったよりショックを受けていない私の様子に、ミツさんはホッとすると同時に呆気にとられていた。