人生最大の
いっぽう、森に入った巳弥は、そこから先に進めずにいた。
「ちょっとおお白蛇ー!?何してるの、そっちは今入ってきた所でしょうが!乙鬼のところに行きたいの!」
なぜかいつも道案内をしてくれる白蛇ナビは、全く違う方向に連れて行こうとする。しかも、森の外に出てけと言わんばかりに外へとぐいぐい手首を引っ張ってくるではないか。
まさか、もう乙鬼の手がまわっているのか。ここに入れるなとこの白蛇に指示したのか。しかし、桜の木に妖力補給をするのは好きにしろといっていたので、それはないはずだ。
ならばもう、白蛇は放っておこう。たとえ乙鬼の指示だとしても私は一人でだって行ってやる。追い出すならしがみ付いてでも居ついてやるんだから!アキの気合いが移ったのか、今の私に何も怖いものはなかった。
思いっきり空気を吸い込んで、近所迷惑の苦情上等、思いっきり乙鬼の名を呼んだ。この広い森で、聞こえたかは分からない。けれど、その名は木霊してきっと彼に届くだろう。そしてもう一度大きな声で呼んだ。
「乙鬼ーーーー!!!」
「「オオオオオオーー!!」」
「………ん?」
乙鬼に声が届いたら迎えに来てくれるかとも思った。別に来なくてもいい。だが、まさか返事が返ってくるとは思わなかった。
それは、何匹もの獣が唸ったような野太い雄叫び。間違いなく妖怪達の声だ。私は怖かった。何も怖くないなんて、もう言わない。
どこから聞こえたのかは分からないが、四方八方から聞こえた。ゴリラがしゃべったらこんな感じだろうかという気合いの入った声だ。確実に私の声に対して皆反応していた。「さあ殺るぞ!野郎どもー!」「オオオー!」的な返しだった。
「も…森で、何が起こってるの」
白蛇はいっそう私を森の外へと引っ張る。暴れないで、という意味をこめて引っ張る白蛇を両手で持ち、動きを封じた。そして、いつもに増して奇妙な森を走って登った。
白蛇は、諦めたのかどこかにぐいぐいと引っ張り始める。もう追い出す気はないらしい。乙鬼の元につれていってくれることを信じて進んでいくことにした。
そこで、やはり奇妙なものを目にする。私の向かう進行方向に同じように妖怪の獣たちがものすごい形相で木々を飛び越え駆けている。ものすごい数だ。いくら森は広いとはいえ、こんなに獣を見たことがなかったので、今までいったい森のどこにこんなに潜んでいたのかと疑問だった。
そのうちの一匹のゴリラと目が合ってしまう。ヒィッっと内心思ったが、ゴリラは襲ってくる気はないらしい。しかも「ウホッ」と一言言いながら、ドスドスと駆けて行ってしまった。
「仲間とでも思われた?」
そういえば、乙鬼の名を大声で叫んだら、大量の返事が返ってきた。今のゴリラも絶対「オオ―!」っていった奴の一匹だ。何故かはわからないけど。
「もしかして乙鬼に何かあった?」
ふと呟くと、白蛇は突然引っ張るのをやめて、こちらにぐるりと振り返ってきた。
この反応からして当たっているらしい。先ほどまで森を出ていたはずの彼が、この短時間で何があったというのか。
「もしかして、私のせい!?」
巳弥に続いて妖怪の獣が駆けていく中、まさかの予想に思わず足を止めた。すると、その独り言にも返事が返ってきた。
「いや、関係ねえが、まあ機嫌が悪いのは確かだな。」
「葵!」
「とりあえずお前、森から出ろ。しばらくここは危険だ。」
「なんで?」
相変わらず、巳弥と葵を避けるように勢いよく駆けてどこかへ向かっている獣達を見ながら、葵に聞いてみた。
「ほら、龍が死んだろ?それから、乙鬼様の森の掟が復活というか、強化されたんだ。何百年ぶりかの会合が開かれて、中級の野郎共が荒れてる。けど、乙鬼様もかなり殺気だってるんだけどな。まあ刃向かう奴は皆、始末されるだろ。というわけだ、俺は乙鬼様の手伝いに行ってくるから、お前はお前の家でのんびりしてろ。」
明日また来い、と言って葵は向かってくる獣達を次々と始末しながら、乙鬼がいるであろうところまで行ってしまった。
「帰るわけないっての!獣達、私に続けえーー!!!」
と、乙鬼の敵であって、これから殺される(予定)の獣達を煽ってしまった。すると、思った通り駆け抜ける獣達が再び「オオオオ」と雄叫びをあげる。正直この謎の意思疎通が面白くてやってしまっただけなのだが、遠くでそれを聞いた葵がズッコケていた。
私に続け、と言ったけれど人間の足よりはるかに速い獣達に追い越されるので、ちょっとつまらなかった。遠くで激しい衝突音がする。きっとそこに彼がいる。
「もうすぐだ!」
リュックサックを木の下に丁寧に置き、ちゃっかり白蛇にこの荷物の場所を覚えさせてから、また走り出した。
急な斜面を猛スピードで駆け抜けた先に、ゴリラが吹っ飛ばされるのが見えた。さっきのゴリラさんだろうか。そんなことはどうでもいい。すぐそこに乙鬼がいる。木々が邪魔で見えないけど、すぐそこにいる。どんどん向かう獣が一斉にこちらに吹っ飛んできた。それにこの殺気は彼のもので間違いない。
私はちょうどよさそうな長い木を見つけ、高い位置まで登った。そして、枝につかまりその場に立った。腰に巻いていたロープを、頭上にある枝に巻きつけ固定する。ぎゅっとロープを引っ張り、しっかり固定できたことを確認する。
地を見下ろすと、殺気立っている乙鬼が妖力と鎖を使って吹っ飛ばしているのが見えた。再び獣の群れが乙鬼めがけて一斉に飛びかかったと思ったらその獣の群れの中心に亀裂が走り、やがて隙間が開いた。
「今だ!」
ロープを握り締め、切り裂かれた獣達の亀裂めがけて、私はターザンのごとく飛び込んだ。付近の獣を無感情に切り裂く彼に、飛びかかってやろうとロープから手を離した。手を離すタイミングはばっちりだ。背を向けている乙鬼に不意打ちをくらわせてやる。そんな思いで飛びかかったのだが、あと少しで触れる寸前で、気配に気づいた彼がこちらを向いた。
一瞬で始末する、と言わんばかりの殺気が浴びせられる。手には、鎖ではなく始末した獣の鋭い爪の一部。熊の爪を長くしたような鋭利な武器と言えた。いったい何の獣の爪を引きちぎったのか。確かに、鎖を振り回すより軽くて楽そうだ。とスローモーションに感じるこの一瞬でそんな呑気なことを考えた。
その爪で殺されるのか。そうも思ったが、切り裂こうという寸前で、乙鬼は私だということに気が付いたらしい。明らかに動作が止まったのが分かる。
だが突き出された爪はそのまま私の左肩を貫いた。
飛びかかった勢いのまま、乙鬼は私を抱えたまま後ろに崩れ落ちる。すぐに起き上り、突き刺した爪を私の肩から抜き取った。完全に殺気をなくし、焦りを見せて私の傷口を押さえる乙鬼の胸もとを両手で乱暴に掴んで引き寄せた。さっきの仕返しである。
いったい何だと一瞬驚いていたが、再び私の肩を気にする乙鬼に、最後のとどめをさした。
「乙鬼サマ!私のお嫁さんになってください!」
「………。」
もう獣はいないのか辺りは静まりかえり、獣達の骸がごろごろと転がる中心に、私は乙鬼に乗っかかっていた。言い切った直後は予想通り、呆然と言葉を失っていた彼だが、すぐに言葉の間違いに気が付いた乙鬼は、ふと何かを考えるかのように私から視線を外した。「俺が嫁なのか」と言わんばかりの顔をしている。顔に出すだけじゃなくてせめて何か言ってほしい。人生最大の失態だった。
恥ずかしい。恥ずかしい。勢いで言ってしまったが、逆プロポーズ間違えた。もう言うこと言ったし逃げてもいいよね。これこそ、今こそ逃げどころだ。
仕返しに雑に掴んでいたせいで、赤い着物がはだけて、肌が見えてしまっていた。私ってばなんて破廉恥なやつだ。