蛇と狼
「……あれ、実どこいった?」
手の小さな衝撃がしたので、いったい何が起きたのかと朱里と葵の方を見るが、二人とも無言無表情でこちらを見ているだけだった。せめて何か言ってほしい。
だが、彼等の仕業ではないようなので、原因はこの白蛇にあるようだった。ぐるぐると巻きついていたはずの白蛇は、にょきっと背を伸ばすようにして私の手に顔面パンチをくらわせたらしい。
おかげで木の実は手からコロリと落ちてしまった。さっきの暴言の仕返しだろうかとも思ったが、白蛇はとくに怒っていなさそうだった。
では、いったいなぜだと頭に疑問符を浮かべたとき、じっと黙ってみていた葵が納得したように口をひらいた。
「その実、お前が食べたら死ぬからじゃねえか?その蛇が止めてくれたんだろ」
「ん……そうか。人の子には向かぬ実だったか。」
「……なんでその白蛇が知っててお前が知らないんだよ……。」
再び葵が呆れた声で朱里と話し始めた。何はともあれこの白蛇のおかげで命拾いしたらしい。それにしても朱里は、本当に知らなかったのだろうか。実は大事な白蛇をあんな扱いしてたこと根にもってわざとやったのだろうか。
じっとりと朱里を見つめてみるが、豆粒くらいの赤い実を静かに食べてるだけだ。怒ってる様子も全くないしむしろ珍しい実を葵と食べることができて、機嫌がいいようにも見える。
そんな巳弥の視線を知ってか知らずか、朱里は赤い実が小さく積まれた地面に視線を向けたまま口を開いた。
「そういえばお前、何故こんな山奥に来た。未だにその蛇がいなくては帰ることも出来んのか。」
「あ…うん。白蛇さんにはいつもお世話に―――って違う!そういえば、ここ最近この蛇全然来なかったけど、何かあったの?」
「以前、お前の手にあった呪いで龍を倒すと乙鬼様から聞いた。そうなると、この蛇がいつもその手に巻きついていると、お前と共に消し飛んでしまうだろう。だからしばらく返してもらった。」
「ああ、私が消し飛ぶのはオッケーなのね……。」
悔しくて朱里の背にあった木をダンダンッと蹴ると、上からボタボタと沢山の蛇が落ちてきた。吃驚してすっかり縮み上がったので、もう物にあたるのはやめようと決意した。
「でもよーようやく平穏が訪れたって感じだよな。お前の手には感謝してるぜ。まあ自爆しなくてよかったな。お前が刺身にしたい白蛇も無事だったし、一件落着か。」
蛇がわらわらと群がってくるので、手に持っていた枝の棒をぶんぶん振り回して抵抗していたとき、暢気にも葵がごろーんと横になりながらそう呟いた。最後の言葉に少し冷や汗をかいてチラッと朱里を見たが何とも思ってなさそうなので安堵した。
「もし私が自爆するときは葵、あんたの髪引っつかんででも一緒に消し飛んであげる。」
「それは俺の髪が消し飛ぶだけだと思うんだが。」
「たちの悪い娘だ。」
即座に二人に返されて思わず言葉につまってしまった。なんだかとてつもなくからかわれていることに気づいたので、さっさとここを去りたくなった。陽も暮れかかっている。ここは高木が並んでいるために広々と解放感があるが、陽が遮断されて余計に薄暗く感じる。
とりあえず、森から出ることが目的だったのに、こんな場所まで来てしまった。朱里が言うに、山奥だそうなので森を出るには少しかかるかもしれない。
そういうわけで、赤い実をもらったのか美味しそうに口を動かしている白蛇を速やかに手にぐるぐると巻きなおす。
「じゃあ二人とも、もうこんな時間だから私もう行くわ~。白蛇、家に――――じゃなくて、森の外までよろしく。」
すぐに白蛇は巻きついた手をぐんぐんと引っ張り始める。本当にありがたいナビである。踵を返して歩き始めると、「森の外」という言葉に反応したようで、「外?」と二人は口を合わせて聞いてきた。
「おい巳弥、森の外って、またどうした?」
「ああ、まあそういう気分ってことで。あ!乙鬼には内緒でよろしく。」
再び帰ろうと歩き出すと、今度は先ほどまで横になって寛いでいた葵が一瞬で飛んでたと思ったら、強い力で肩を掴まれる。まるで寝坊でもして飛び起きたときのような顔をしている。朱里も終始ポーカーフェイスだったのだが、ここにきてようやく微妙に目を見開いた。
いったいなんだというのだ。そんなに帰ってほしくないのだろうか。二人がそこまで言うならもう少しいてあげてもいいよと言おうとしたが、予想は全く違っていた。
「!お前、記憶を思い出したのか。」
「うえ!?何故ばれたし!」
私何か変なこといった!?心の声とかがだだもれしてたとか!?いや、心の中はむしろ恥ずかしい勘違いをしていたから、だだもれしていたとしてもバレるはずはない。
「お前―――いつもの心の全くこもっていない敬称はどうした?「サマ」は?」
「あ!!」
肩をゆさゆさとされながら言われてようやく気がついた。記憶が消されていたときは、確かに「サマ」ってちゃんと敬称つけてた気がする。思い出してからはすっかりこれっぽっちも呼び方なんて気をつけてなかったから普通に彼を呼んでしまった。だから乙鬼も気づいたのか。
やってしまったという顔に、葵は確信を得たようで突然きょろきょろと辺りを見回した。何気に周囲の匂いも探っている。まさか、乙鬼に報告にでもいこうとしているのかもしれない。
「葵、乙鬼に言ったらその髪残らず引っこ抜いてやるからね。」
「生憎と狼だから抜かれてもすぐに生えるから安泰――――じゃなくてだ。すぐに報告したほうがお前も乙鬼様も嬉しいだろ?ようやく再会できたみたいなもんじゃねえか。」
「いや、その…それが…。ついつい逃げちゃったので追われてるの。しかもガキンチョにまで追いかけられたし…。」
「そりゃ追いかけるだろうな。」
「まあ、そういうわけで今日は家に帰るね。」
そういうと、しぶしぶというように肩から手を離された。少し不服そうだったが葵と朱里に手を振って別れ、今度は止められることもなく蛇に手を引っ張られながら森の外に出ることが出来た。




