告白
ガキンチョの言葉を待つほんの数秒でも、たらたらと汗が額から流れるのが分かった。それはガキンチョの言葉にドキドキしているのか、ただ単にあれだけ走ったからなのかは分からない。しかし、とりあえず、腹部にズッシリと乗っているガキンチョはとても重い。
背中とお尻を豪快に強打したので余計にずきずきと痛んだ。それは小さいころおじいちゃんのお説教を畳の上で正座させられて聞いていた時のあの鬱陶しい足の痺れ並みにジンジンとした。当時はそのせいで何のお説教だったか全く聞いていなかった。
しかし、今のガキンチョはあのころのおじいちゃんよりも怖い。顔はもう怒ってはいないようだったが、周りの気はあまり変わらない不機嫌オーラが漂っていた。
わずかな風が顔にかかり、ひらひらと葉が頬に落ちてきたのを軽くはらう。砂は、地面に落ちている数枚の葉を巻き込んでくるくる小さな渦を巻いていた。風とともにこのガキンチョも飛んで行ってくれればそれはそれで解決するんじゃないかなーなんてことを思いつつ、それでもやはり聞かなくてはいけないので、とりあえずこの不機嫌オーラだけは消し飛んでくれないかなーと一人考えていた。
「記憶の戻ったお前に忘れたとは言わせんぞ。昔お前は約束した。半ばノリだったが。」
そう言うと、ガキンチョはニヤリと笑った。どことなく誰かに似た悪い笑みだった。
「へえ、ノリでか~………ってノリでなの!?」
え、なんだっけノリで約束するってそんな軽い約束でも「逃がさない」ノリになるの!?軽いノリでしていいやつなのそれ?
てっきり当時の罰を受けるのだと思っていただけあって、それを差し置いて優先されることだからいったいどんな重大なことかと思えば、ド軽いノリで交わした約束らしい。
よくよく考えてみれば、そんな会話には確かに心あたりがあった。
『―――――つまり!あんたに相応しい人はよっぽど心の広ーい女性じゃなきゃ無理ね!もしあんたに見合う人が現れなかったら、私が待っててあげてもよろしくってよ!』
これはほぼ冗談でいった言葉だ。だが、あまりにバカにしてくるガキンチョになめられるのも癪だったことと、ガキンチョが「待っててやる」とまで言っていたので、話の流れ的には冗談ともいえるし、約束したようにもなっていた。
だが、ガキンチョは知らないがその後も見栄を張って乙鬼と葵に「ガキンチョとは将来を誓った仲発言」をしてしまった気がする。
『 ――――――確かにノリで約束したみたいになったけどさー。でも十年もすればあのガキンチョも立派な青年になるっしょ。それまで私がこの時代にいればだけどー 』
乙鬼は固まっていたがはっきり私の見栄張りを聞いたはずだ。葵は顔が真っ青になっていた気がするから確実に聞いてる。
「これは…やばい」
思わずどころか普通に口に出てしまった。おかげで身に覚えがあることがばっちりとバレてしまう。
「覚えているようで何よりだ。」
そのまま無表情のまま、私の腹部に乗っかっているガキンチョは、左手を私の顔の横に置き、右手は私の顎を掴みそのまま頭を近づけてきた。
見えていたはずの空や木々がみえなくなり、ガキンチョの顔が視界いっぱいにひろがった。
ばっちりと至近距離で視線が交わる。その瞳はこんなに近くでみるまで気がつかなかったが、乙鬼と同じ紅蓮の炎のような赤があった。こんなにも似ているなんて。
「乙、鬼……」
ふと口から出た長の名に、ガキンチョの動きもピタリと停止した。ガキンチョの名前も長と同じだと言っていたけど、この場面で長の名を呼ばれるとは思っていなかっただろう。
ハッと我に返って今の体勢を考えるに、互いの唇の距離は今にも触れ合いそうだったことに気づく。
顔が一瞬で真っ赤になるのと同時に、反射的にガキンチョの顔をこれ以上近づけないように引っ掴んでいた。
「………。」
「あ……えっとごめん!!」
ガッシリと掴んでしまって赤みがかった髪がクシャっとしてしまった。丁寧に髪をすいて直すが、再び不機嫌になったガキンチョは、苦い顔をしながら、しぶしぶ元の体勢に起き上った。結局私のお尻は解放されないらしい。
多分地面の小さな石や木片もふんでいるので、お尻に穴があくかもしれない。どうしよう。なんて考えも一瞬で消し飛び、起き上ったガキンチョに機嫌を窺うように見上げた。
「それは、何の謝罪だ?」
「え、えっと……」
顔を掴んでしまったから?それとも、約束についてなのか。正直言われてみるとよくわからなくなってきた。
そもそもガキンチョとの約束について否定はしない。しかし、何故こんなにもずっと胸がしめつけられるのか。ガキンチョの瞳を見てからようやく分かった気がする。
「乙鬼は……長はこの約束が原因で「逃がさない」って言ったんだよね。っていうことは、乙鬼公認……ってことになるの?」
ガキンチョのお、おお…お嫁さん……になることを乙鬼は認めてるということか。しかも、逃がさないというほど賛成しているのか。
この森の長が言うなら、いくら冗談でもノリでも絶対になるかもしれない。しかも、私は乙鬼本人に約束したと言ってしまったし。
「長公認だと何か不都合でもあるのか?」
ガキンチョの言葉に、思わず顔をそらした。
「いや、別に……ないけど…。」
何もない。と心に言い聞かせた。でも胸はどんどん絞めつけられていく。
そう言い終えた時に頬を何かが伝った。地べたに横になっているのでついに虫でも顔についたかと思ったが、そうではないらしい。
ガキンチョが目に見えて動揺したことで、自分が泣いていることに気がついた。一瞬だが、普段あまり見せない驚きの表情で、見た目通り普通の子どものように感情を露わにしていた。
「なら、なぜ泣く?」
「長が俺たちの仲を認めたことが悲しいか」
静かに囁くガキンチョにズバリと言い当てられてしまったことに思わず恥ずかしくなった。彼は私の表情だけで分かったらしい。
だが黙っていてはだめだ。ちゃんと言わなくては。
「ガキンチョ、ごめん!やっぱりこの約束は果たせない。妖怪の掟で約束は破れないことになってるのは知ってる。罰なら何でも受けるから、この約束はなしにしてほしい!」
正直、ガキンチョに馬乗りにされた状態での謝罪とお願いなので、いまいち真剣さに欠けるが、それでも彼は黙ってこちらを見つめて聞いていた。
「お前、長に恋情を抱いているのか。奴ならいいと?」
誰もが様と敬称をつけて呼ぶのに、ガキンチョは堂々と「奴」と言い切った。この500年程で、長が認めるほどガキンチョとは仲がよくなったのか。
早く答えろ、と無言の催促をするガキンチョにビクつきながらも、顔が熱くなるのがわかった。
ずっと仕草や表情を見られているのが恥ずかしくて逃げ出してしまいたいが、重たい腹部がそれを許さなかった。言ってしまえば胸の痛みもとれるだろうか。ガキンチョの顔は見れなかった。そして消え入りそうな小声で口を開く。
「お…長が、――――すき。」
別に、本人に言ってるわけでもないのになんでこんなにドキドキするんだろう。
ガキンチョから目を離して熱くなった頬を両手で包み隠した。
沈黙が続いた。風が揺らす木々のざわめきさえも私の耳には聞こえてこなかった。
ガキンチョは、もっと不機嫌になるだろうか。彼の性格だからきっとかなり怒って絶交されるかもしれない。本当に500年も待ってくれたのに申し訳ないことをしてしまった。
彼の言う罰なら何でも受けるつもりだ。そのつもりで、再びガキンチョと視線を合わせたときだ。
「……あの、ガキンチョ?」
ガキンチョが固まってしまっていた。ショックを受けて固まってしまったようには見えなかった。本日二度目のぽかんとした表情だ。かなり人間らしい表情で思わず見つめてしまった。