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君の隠し事は、甘い匂いがした。――この距離じゃ、その嘘全部バレてるぞ。  作者: 来里 綴
春の匂いと、香水の鎧

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第12話 春の陽気と、持ち込まれた証拠 3

「……俺は探偵じゃない。ただ鼻が利くだけだ。必ず見つかる保証なんてないぞ」


 作法室の静寂を破るように、俺が気怠げにそう答えると、柚木玲奈は弾かれたように顔を上げた。


「それでもいい! 神崎しか頼れる人いないし……マジで助かる!」


 いつもの「ノリの良いギャル」の仮面を被り直そうとしているが、彼女の顔には明らかな安堵の色が浮かんでいた。同時に、極度の緊張から発せられていた冷や汗の匂いがわずかに和らぎ、香水の揮発速度が落ち着いていくのがわかる。


 その様子を横目で見ながら、隣に座る澄が、空になった俺の湯呑みにそっと新しいお茶を注ぎ足してくれた。


「慧くん、無理しないでね。疲れちゃったら、いつでもやめていいんだから」


「ああ。わかってる」


「ふふ。神崎くんも案外、お人好しなのね。わたくしは退屈しなくて嬉しいけれど」


 雅先輩は面白そうに目を細め、手元の香炉の灰を優雅な手つきで整えている。


「それで」


 俺は湯呑みを畳に置き、改めて柚木と向き合った。


「星川が何をなくしたんだ」


「えっ」


 柚木は目を丸くして、言葉を詰まらせた。


「なんで、莉愛ってわかったの? あたし、まだ友達ってしか言ってないのに」


「朝からあいつの不機嫌な声と、強烈なバニラの香水が教室中に撒き散らされていたからな。嫌でもわかる」


 俺が事実を淡々と告げると、柚木は「あはは……ごめん、うるさかったよね」と苦笑いして、少しだけ肩を落とした。


「そう、莉愛がなくしたの。日曜に朝から並んでやっと買えた限定のリップなんだけど……今日の朝、学校に着いてカバンを開けたら、どこにもないって騒ぎ出してさ」


「最後に使ったのはいつなんだ」


「昨日の放課後、みんなで駅前のカフェに行った時。その時は絶対にあったって本人は言ってるんだけど……」


「落としただけじゃないのか」


「あたしもそう言って一緒に探したんだけど、見つからなくて。莉愛のやつ、『誰かにパクられたんじゃないの?』とか言い出してさ……」


 柚木はちらりと視線を泳がせ、言い淀んだ。その瞬間、彼女の体温が再びわずかに上昇し、シトラスフローラルの香水の奥から、ヒリヒリとした「焦り」の匂いが立ち上ってきた。


「星川が、他のグループの女子を疑っているのか」


 俺が核心を突くと、柚木はビクッと肩を揺らした。


「……うん。莉愛ってば、思ったことすぐ口に出しちゃうから。隣の席の大人しい子とか、別のグループの女子とかに『あんた、うちのリップ見てない?』ってキツめに聞いちゃって。もう、クラスの空気がマジで最悪になりそうなの」


 教室でのヒリヒリとした光景が目に浮かぶようだ。星川莉愛は、純粋に自分の欲求と感情のままに動く生粋のギャルだ。彼女には陰湿な企みはないが、その分、周囲への配慮もない。自分の大切なものがなくなった怒りを、そのまま周囲にぶつけているのだろう。そして、極度に空気を読みすぎる繊細な性格の柚木は、そんな星川の振る舞いによってクラスの人間関係が壊れることを何よりも恐れている。


「莉愛をなだめつつ、疑われた子たちにも『ごめんね、莉愛も悪気はないから』ってフォローして回ってるんだけど……正直、あたしももう限界っていうか」


 柚木は自嘲気味に笑い、自分の腕を抱え込んだ。


 彼女から放たれる匂いが、その言葉が強がりでも何でもない、切実な本音であることを証明していた。全方位の空気を読み、少しの摩擦も起きないように神経をすり減らす。その過剰なストレスから自分を守るために、彼女は「ノリの良いギャル」という分厚い鎧を着て、強い香水を纏っているのだ。だが、その鎧の下の精神は、すでにボロボロに摩耗している。


(……面倒な話だ)


 俺は内心でため息をついた。女子同士のグループのいざこざや、見えないスクールカーストの摩擦。そんなものは、俺が最も忌み嫌う「感情の淀み」の発生源だ。


「柚木」


 俺は気怠い姿勢のまま、冷たく言い放った。


「お前のグループの危機を救ってやるのは構わないが、一つだけ条件がある」


「条件? なに? お金なら、お昼おごるくらいはできるけど……」


「いらない。俺の条件は、俺がここから一歩も動かないことだ」


 柚木はぽかんと口を開けた。


「えっ……? 動かないって、教室に探しに来てくれないの?」


「あんな他人の嘘と不快なノイズが充満している場所に、わざわざ自分から行くわけがないだろう」


 俺は澄が淹れてくれたお茶を一口すすり、静かに続けた。


「俺は現場には行かない。探してほしければ、星川が昨日リップを使った時の状況と、手がかりになりそうなものを、お前がこの作法室に持ってこい。持ち物でも、そのカフェのレシートでも何でもいい」


「手がかりって……いや、だから神崎、探偵気取りなのはわかるけど、現場見ないでどうやって探すのさ。犬みたいに匂い辿るわけにもいかないっしょ」


 柚木は呆れたような、不満げな声を上げた。俺はポケットからミントタブレットのケースを取り出し、指先で弄びながら彼女を見据えた。


「長谷川先生の時も、俺はここから動かずに見つけた。お前が無理だと言うなら、この話はなしだ」


 俺が冷たく突き放すと、柚木は唇を噛み締め、逡巡するように視線を彷徨わせた。作法室の静寂の中、彼女の心拍数が上がり、香水の揮発速度が変化していくのがわかる。彼女にとって、ここで俺に断られることは、クラスの空気が崩壊する地獄へ戻ることを意味している。


「……わかった」


 数秒の沈黙の後、柚木は意を決したように顔を上げた。


「莉愛がリップを使ってた最後の時間と、その後に触ってたもの……なんか手がかりになりそうなもの、持ってくる。それでいいんでしょ?」


「ああ。だが、あまり大きな騒ぎは起こすなよ。面倒事はごめんだからな」


「わかってるっての! じゃあ、放課後の間にちょっと探してくるから、ここで待ってて!」


 柚木は立ち上がり、澄が綺麗に拭き清めた畳の上を足早に歩いて、作法室の引き戸に手をかけた。


「あ、あのさ」


 戸を開ける直前、彼女は振り返り、少しだけ照れくさそうに笑った。


「話、聞いてくれてサンキュ。……神崎って、意外と優しいんだね」


 それだけ言い残して、柚木は逃げるように旧校舎の廊下へと駆け出していった。パタパタという足音が遠ざかり、作法室には再び完全な静寂が戻ってきた。


「……ふう」


 俺は小さく息を吐き、定位置の畳に深く腰を下ろし直した。


「優しい、ですか。神崎くんも隅に置けないわね」


 雅先輩が、袖口で口元を隠しながらくすくすと笑う。


「買い被りですよ。ただ、あいつの焦った匂いがうるさかったから、早く片付けようと思っただけです」


「そういうことにしておいてあげるわ」


「慧くん」


 隣から、澄の柔らかい声がした。見れば、彼女は柚木が使っていた湯呑みをすでにお盆に乗せ、空いた手で除菌シートを取り出しているところだった。


「玲奈ちゃん、またすぐに戻ってくるかな? 今のうちに、少し換気をしておくね」


 澄は立ち上がると、作法室の小窓をわずかに開けた。そして、柚木が残していったシトラスフローラルの香水の匂いを、素早く外へと追い出し始めた。彼女の行動は、次に俺が少しでも不快な思いをしないようにという、純粋で完璧な気遣いからくるものだ。その無駄のない手際のおかげで、作法室にはあっという間に白檀と龍脳の落ち着いた香りだけが戻ってきた。


(……本当に、気が利く幼馴染だ)


 俺は心の中で深く感謝し、新しく淹れ直されたお茶の香りを肺の奥深くまで吸い込んだ。


 教室の摩擦、すり減るギャル、そして持ち込まれるであろう手がかり。厄介な人間関係のノイズに巻き込まれたのは事実だが、この完璧に調律された作法室から一歩も出ずに済むのなら、ただの論理パズルとして暇つぶしにはなるだろう。俺はミントタブレットのケースをポケットにしまい込み、やがて持ち込まれるであろう『事件の匂い』を静かに待つことにした。

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