それでも、雫が笑うなら
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
少しだけ過去へ遡る章です。
静かに揺れる想いに、
お付き合いいただけましたら幸いです。(*´ω`*)
葵は、古参の眷属として、
代々この地の龍神と、
誓約の一族を見守り続けてきた。
信徒を慈しみ、
その行く末を案じることは、
眷属として当然の務めであり、
当たり前の感情だったはずだ。
けれど――
雫に対して抱いているこの想いは、
「愛し子を想う」それとは、
どこか、決定的に違っていた。
雫が悲しげな表情を浮かべると、
胸の奥が、きゅうと締めつけられる。
雫が嬉しそうに笑えば、
なぜか自分まで、
同じ幸福に包まれたような気持ちになる。
懸命に務めに励むその背中を見れば、
理由もなく、
この身で抱きしめてやりたいという衝動が、
胸の内に芽生えてしまう。
そのすべてに、
葵は戸惑っていた。
そして今――
さっちゃんの話を聞き、
本当は、自分の中にも
同じ不安が芽生えていたはずなのに。
それでも雫が、
必死にさっちゃんを案じ、
励まそうとしている姿を見ていると、
胸が、苦しくなった。
それは、
恐れでも、嫉妬でもない。
ただ、
雫の心が傷つくことだけを、
どうしようもなく、
避けたいと願ってしまう――
そんな、名付けようのない想いだった。
一度、静音に相談したことがあった。
その時、静音は、
目を見開くほどに驚いてから――
ゆっくりと、言葉を選ぶように口を開いた。
静音
「兄様……それは、おそらく……
人の子たちが言う“恋情”というものではないかと……」
その言葉を聞いた瞬間、
自分の中でも、同じほどの衝撃が走ったことを、
葵は今でもはっきりと覚えている。
その後、静音からは――
「兄様、その恋情はいつからですか?」
「どのような時に、そう感じるようになったのですか?」
と、矢継ぎ早に問いを投げかけられた。
けれど、
“いつから”などと聞かれても、
答えようがなかった。
気づいたら、こうなっていたのだから。
誓約の一族の者に、
自分がこのような感情を抱く日が来るなど、
思ってもみなかった。
長い時を生きてきたが、
誓約の一族と恋仲になった眷属の話など、
聞いたことがない。
……もしかしたら、
あったのかもしれない。
それでも――
もし、幸せな結末を迎えていたのなら、
その噂が、どこからか聞こえてきてもよかったはずだ。
だからきっと――
結末は、ろくなものではなかったのだろう。
それでも最近、
雫が、もしかしたら
自分と同じ想いを抱いているのではないかと、
感じることが増えてきた。
もしも――
雫も、同じ気持ちだったのなら。
その時、
私はどうするのだろうか。
葵
「ねぇ、静音……
もし雫が、私と同じ気持ちだったら……
私は、どうなると思う?」
静音
「……兄様……それは……」
その一瞬の沈黙に、
葵は小さく息を吐いた。
(……そうだよな。
その反応が、正しいよな。静音)
葵
「ふふっ……冗談だよ」
だが、
その言葉を聞いた静音は、
わずかに眉を寄せて首を振った。
静音
「兄様。
その冗談は、笑えません」
静音は一度、
静かに息を整えてから、
はっきりとした声で続けた。
静音
「ですが……
もし、本当にそうなったのなら」
「私は、兄様には――
雫が天寿を全うするその日まで、
側で支えてあげてほしいと思います」
葵は、
その言葉の意味をすぐには理解できず、
思わず言葉を失った。
静音
「兄様、誤魔化さないでください」
「おそらく雫も、
兄様と同じ気持ちでしょう」
「それならば――
引き裂かれて兄様が禁忌の眷属に落ちたり、
雫が穢れて悪鬼になるよりも」
「この龍神の地で、
仲睦まじく過ごしてくれるほうが、
私は、よほど良いと思います」
その言葉に、
葵はすぐに反応することができなかった。
てっきり、
厳しい叱責が返ってくるものだと
思っていたからだ。
清廉潔白を絵に描いたような性格の妹が、
眷属という立場で、誓約の一族にそのような感情を抱くことすら、
許さないだろうと――
どこかで、決めつけていた。
静音
「ですから兄様……
そのように苦しいお顔をなさるのは、
おやめください」
「兄様が苦しげな表情を浮かべると……
雫もまた、同じように苦しげな顔をするのですから」
葵
「……雫が?
私の心を案じて……
同じように、苦しんでいると?」
静音
「はい。
……気づいていなかったのですね」
「兄様も、雫も……
本当に、よく似ています」
そう言って、
静音は小さく、微笑んだ。
静音
「兄様。
雫は――
父と兄が戦場に出ていること。
そして、幼馴染の少女の父が亡くなった知らせで、
今、とても不安定な状態です」
「人の子は、
愛する者に支えられることで、
心を強く保てるといわれています」
「ですからどうか……
雫が悪鬼へと堕ちぬよう、
兄様が、その支えになってあげてください」
葵
「……私が、
想いを告げて……
雫の支えになっても、いいのだろうか?」
静音
「それを雫が望むのであれば……
良いのではないでしょうか」
「兄様も薄々、
お気づきなのではありませんか?」
「雫の穢れが、
少しずつ、増していることに」
葵
「……ああ。
日に日に増しているのは、分かっていた」
「帰ってこない父と兄への不安が……
穢れへと変わっていっている」
静音
「でしたら――
やはり、兄様が支えになるしかありませんね」
静音は、
一度だけ視線を伏せ、
深く息を吸った。
そして、
覚悟を込めた声で告げる。
静音
「……ただし。
条件を、提示させていただきます」
葵
「条件……?」
静音
「私も兄様も、
長い時を生きる眷属です」
「ですが、
眷属と人の子の恋情が、
幸せな形で語り継がれた話は、
聞いたことがありません」
「おそらく――
守護する神社の地で、
密かに想い合い、
人の子が天寿を全うしたか」
「あるいは、
禁忌の眷属に堕ち、
封じられたか……
そのどちらかでしょう」
「前者であれば、
他の眷属たちは黙認し、
一切を口外しなかった」
「後者であれば、
さらに厳しい箝口令と、
何らかの処分があったはずです」
静音
「ですから……
もし兄様が想いを告げるのであれば」
「雫の生が終わるその日まで、
二人とも、この龍神の地で暮らす覚悟が
必要になるのではないかと……」
葵は、この気持ちを奥底に隠し、
雫の側に居続けるのが一番だと思っていた。
だからこそ、
静音の提案に、
未だ信じられない思いだった。
――それでも。
それでも、雫が笑うなら。
たとえ、
その先に別れが待っていようとも、
自分がそのすべてを背負うことになろうとも。
葵
「ありがとう、静音……
雫に思いを告げ、
この地で雫を看取るその日まで、
雫と過ごす日々を、
幸せな日々にしてみせるよ」
静音
「その言葉、
必ず守ってくださいませ。
兄様を信じますが、
雫は私にとっても愛し子です。
泣かせるようなことがあれば……」
葵
「泣かせるわけないだろ……
それに、
静音を怒らせたら怖いからね……」
静音との話が終わる頃、
パタパタと駆けてくる足音が、
二つ、近づいてきた。
静音
「……全く。
あれほど毎日、
走ってはなりませんと
言い聞かせているというのに……」
静音は短いため息とともに、
足音の主を振り返る。
静音
「雫! 澪斗!
なぜ毎日、
私に走るなと言わせるのですか?
そろそろ、
本気で怒ったほうが
効果がありますか?」
静音のすぐ背後で止まった二つの影は、
振り返った静音の怒りに、
ぴたりと動きを止めると、
すぐに謝った。
雫
「ご、ごめんなさい!!」
澪斗
「姉様、お許しください……」
静音
「いいえ、今回はダメです。
雫はお兄様に叱っていただきます。
澪斗は私と共に来なさい。
反省の心を書にしてもらいます!」
そう言って、
静音は澪斗を連れ、
葵に目配せをして去って行った。
葵
(えっ……
静音、
思いを告げていいとは言っていたけど、
今ってことか?
心の準備が……)
葵は内心、
焦っていただけなのだが、
無言で考えるように動かなかったため、
雫は、
葵が凄くお怒りなのだと
勘違いしていた。
雫
「あ、あの!
葵様が優しいので、
わたし、
すこし調子に乗ってしまっていた
というか……」
葵
「雫。
落ち着いて、
すこし話を聞いてくれるかな?」
そう言って葵は、
優しい眼差しで雫に視線を合わせる。
すると、
雫も嬉しそうに、
葵を見上げた。
雫
「なんでしょうか?」
――あのね、
私は雫のことが――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
誰かを想うことが、
静かに心を揺らす章でした。(*´ェ`*)
この想いは、
雫と葵の結末までお付き合いただければ幸いです。




