【エピローグ】・「 もう一度あなたへ、約束のその先で」
本日もお読みいただきありがとうございます。
今回は、稲人が歩んできた長い歳月の “結び” となるお話になります。
秋穂の願いが、どのように時を越えて実を結ぶのか——
静かに見守っていただけましたら幸いです。
そして正直なところ……
書き始めた頃は、こんなにも長い物語になるとは思っておりませんでした。
それでも最後までお付き合いくださった皆さまには、心から感謝申し上げます。(*´∀`*)
どうか、最後までゆっくりとお楽しみください。
───あれから、幾年かの月日が流れた。
村は流行り病の危機を乗り越え、再び穏やかな日々を取り戻していた。
この日は、あの奇跡から何度目かの——
豊穣祭の日である。
「繋様、準備はよろしいですか?」
背後から声がして、繋は振り返った。
かつてはあどけなさの残る少女だった彼女は、
いまや凛とした気配を纏う、立派な巫女へと成長している。
胸元では、姉・秋穂が愛していた紐飾りが静かに揺れていた。
(姉様……見ていてください。
今年も、村に恵みが満ちますように)
繋が祈るように息を整えると、
視線の先には、少し年を重ねた稲人の姿があった。
かつての青年の面影を残したまま、
その背には村を支え続けてきた者だけが持つ静かな力強さが宿っている。
稲人が境内を見渡していると、
少し遅れて、息を弾ませた幼なじみ・弥一が駆け寄ってきた。
「悪い、遅れた! 昨夜は赤ん坊が夜泣きしてよ……。
全然寝かせてくれなかったんだ」
稲人はふっと笑みを浮かべ、腕を組む。
「はは。
あの子は、お前に似て賑やかに育つな」
「耳が痛いわ!」と弥一が苦笑する。
それから、少し得意げに続けた。
「……でも、その賑やかさに一番助けられてるのは、お前なんだろ?
だからその分、うちの子も、しっかり可愛がってやってくれよ」
「おいおい、人に頼るの早ぇな!」
二人の笑い声は昔と同じ。
だがその横顔は、青年というより——
一人は父となり、
一人は村の柱となった “男たち” の顔だった。
それでも、変わらない絆だけが、静かにそこにあった。
「では、行きましょう繋様。
……秋穂様が守ったこの村のために」
三人は豊穣祭の舞台へ向かった。
神楽の音が風に乗り、
黄金に揺れる稲穂畑を優しく撫でていく。
繋は舞台で美しく舞い、
稲人はその音に耳を澄ませながら静かに稲穂を見つめていた。
(……秋穂様)
風がそっと頬をかすめる。
(今年も、豊作です。
村の皆は笑顔が絶えることなく。
子どもたちも増えて……とても賑やかですよ)
胸の奥がきゅうと切なくなる。
(……秋穂様。
早くあなたに会いたいです。
話したいことが、山ほどあります。
……けれど、もう少しだけ待っていてください。
まだ、この村で果たすべき役目がありますので。)
舞が終わり、会場には子どもたちの歓声が響いた。
「おれ、大きくなったら稲人兄ちゃんみたいな若者衆になる!」
「お、おい……そこは父ちゃんって言えよ……!」
「やだ! だって稲人兄ちゃんの方が、父ちゃんよりかっこいいもん!」
その言葉に、弥一は今にも泣きそうな顔になる。
会場に笑いが広がった。
稲人は弥一の肩をぽんと叩き、
弥一の息子の方を向きながら、やわらかく微笑む。
「お前の父ちゃんも、昔はかっこよかったぞ」
「昔!? 今もって言えよ!」
そのやり取りに、子どもたちはさらに笑った。
──そのすぐ隣で。
少女がキラキラした目で繋へ叫ぶ。
「繋様! わたし、繋様みたいな巫女になりたい!」
繋は驚いたように瞬きをし、そして優しく微笑む。
「わたしは、師匠に恵まれただけです。
姉様が……秋穂様が素晴らしい巫女だったから、今のわたしがあります」
胸にそっと手を添えて、静かに続けた。
「だから……秋穂様のような巫女になってくださいね」
少女はぱっと表情を輝かせ、力強く頷いた。
その姿に、かつての童女だった頃の自分の姿がよぎった。
——そして、さらに月日は流れる。
稲人は、弥一や弥一の子どもたち、年老いた繋、
そして村の若者衆に見守られながら、静かに天寿を迎えようとしていた。
「……繋様。
弥一……」
弱々しい声に、皆がそっと寄り添う。
「書き溜めた書を……
必ず、一緒に埋葬してほしい……」
震える手が、胸元の栞を求める。
「……この栞も……握らせたままに……
やっと……秋穂様に……会えるか…ら………」
繋は涙で頬を濡らしながら、その手を包みこんだ。
「はい……必ず……姉様に、
“あなたが守った村は、今も穏やかです”と……
お伝えください……」
弥一も嗚咽をこらえながら言う。
「……やっと……秋穂様と……幸せになれるんだな……」
稲人は、いつか青年の頃のような微笑みを浮かべた。
「……秋穂様……
すぐ……会いに……行きます……」
その声は穏やかで、苦しみはなく——
まるで深い眠りに落ちるように、静かに息を引き取った。
そして——天上にて。
まばゆい光の中、稲人はゆっくりと目を開いた。
そこには、涙をこぼしながら微笑む秋穂が立っていた。
「……稲人様」
「……秋穂様……
やっと……やっと会えました……」
足が震え、言葉が途切れる。
秋穂はそっと歩み寄り、稲人の頬に触れた。
「ずっと……天上より見ておりました。
あなた様が、村のために力を尽くし、まっすぐに生きてくださったこと……
それが……どれほど嬉しかったか……」
「……全部……見ておりました」
稲人の目から、涙が零れ落ちた。
「秋穂様の願いがあったから……頑張れました。
でも、それだけじゃなかったんです……」
稲人の声が震える。
長い歳月、胸に押し込めてきた想いが、ようやく零れ落ちる。
「弥一や、繋様……それに村の皆が……
俺をひとりにしないようにと、ずっと気にかけてくれて……
だから……俺は、生きてこられました」
その言葉は、感謝であり、寂しさであり、誇りであり──
彼が歩んだ人生そのものだった。
稲人は胸元から、
ずっと大切にしてきた秋桜の栞を取り出す。
「この栞を……秋穂様に、改めて贈らせてください……」
指先が震える。
長い長い年月を越えた想いが、ようやく形になる。
稲人はほんの少し俯き、
けれど覚悟を込めて秋穂を見つめた。
「秋穂様……
俺は……あなた様の願いを支えに生きてきました。
でも……本当のことを言えば……
ただ……あなた様に……もう一度……会いたかった……」
その瞬間、積み重ねた六十年の孤独が崩れるように、
声が涙に溶けていく。
稲人は震える手で栞を差し出し、
まっすぐ秋穂を見つめた。
「だから……どうか聞いてください……
秋穂様……来世では……
俺と……結婚してください……」
沈黙。
そして、秋穂の瞳が揺れる。
天上の光がひとしずく、涙となって頬を伝った。
「……ずっと……見ておりました、稲人様……
あなたが村を支えて、……笑って、泣いて……
一生懸命生きていた姿を。
そのすべてを……わたしは……」
声が震え、言葉が続かなくなる。
「どんなに……会いたかったか……
どんなに……触れたかったか………」
「……わたしも……
稲人様以外の方と……添うつもりなど……
一度もありませんでした……
来世でも……来世のその先でも……
あなた様と……共に生きとうございます……」
二人はようやく触れ合う。
六十年分の寂しさがほどけ、
涙が滝のように流れ、
抱擁の中で互いの名を何度も呼んだ。
世界が静かに光に包まれる。
──長い長い物語の、その結びとして。
二人はようやく、
約束の場所で再会を果たしたのだった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
稲人と秋穂、そして繋や弥一が紡いできた物語は、
ここでひとつの区切りを迎えます。
長い時を越えて再会した二人の姿を、
温かい気持ちで見届けていただけていたら嬉しいです。
次話では、この物語の締めくくりとなる
エピローグ 真白編をお届けする予定です。
これまで応援してくださった皆様へ、心より感謝申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




