【終章】・消えた温もり、残る奇跡
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
(*´∀`*)
書き進めているうちに、
気がつけば、ここまで話数を重ねてしまいました。
ここまでお付き合いくださっている方も、
今回から読んでくださった方も、
本当にありがとうございます。
この章は、
静かに、心に触れるようなお話になっています。
どうか最後まで、
夢を見るような気持ちでお付き合いください。
村に奇跡が走る、少し前。
稲人は、夢を見ていた。
熱にうなされ、
呼吸すらままならず、
苦しみだけが身体を満たしていた――
……はずだったのに。
けれど。
気がつけばそこには、
黄金に輝く稲穂畑が、
風に揺れていた。
やさしい光。
懐かしい匂い。
胸の奥に、遠い日の記憶がふっとよみがえる。
あの日、
巫女様が奉納の舞を捧げた、あの広場だった。
そして稲穂の向こうで、
ひとつの影が揺れた。
稲人が、
この世でただひとり、
想い続けていた人。
「……巫女様……?」
言葉が、勝手にこぼれた。
その名を呼んだ瞬間、
愛しい影は驚いたように、
ゆっくりと――こちらを振り返る。
少し風に髪を揺らしながら、
あの日と変わらない、
優しい眼差しで——
その声に——
胸の奥が、ふっと緩むのを感じた。
たったそれだけで——
胸の奥にあった、痛みも、熱も、苦しさも、
すべてが、静かにほどけていく気がした。
「……巫女様……」
名前を呼ぶだけで、
どうして、こんなにも苦しくて、
どうして、こんなにも安らぐのだろう。
理由なんて、わからなかった。
ただ、
“会えた”という事実だけが、
胸の奥で、あたたかく、確かに灯っていた。
巫女は、そっと微笑んだ。
──あの日のままの笑顔で。
「お加減は……もう、大丈夫ですか?」
その言葉に、
稲人は、思わず、息を止めた。
……大丈夫?
その問いが、胸の奥へ、そっと落ちてくる。
「……はい……」
声が、震えた。
「不思議です……
さっきまで、あんなに苦しかったのに……」
胸に手を当てる。
熱も、息苦しさも、
いつの間にか——すっかり、消えていた。
「今は……ただ……
ここに立っていられるのが……
嬉しくて……」
巫女様は、
ただ、やさしく、聞いていた。
「……稲人様」
その声を聞いたとたん——
胸の奥で、
なにかが、ほどけた。
「……よかった……」
ぽつりと、こぼれた。
その一言だけで、
また、胸が熱くなる。
一歩、近づく。
稲穂が、
風に揺れた。
ふと、巫女様が、胸元に手を添える。
その指先が触れていたのは——
あの、秋桜の栞だった。
持っていてくださっていた。
俺は、それが嬉しくて思わず口元がほどけた
「……ちゃんと、持っていてくださったんですね」
その瞬間。
巫女様の瞳に、
一粒、光が滲んだ。
「稲人様……よかった……
元気で……本当に……」
震える声。
こぼれる涙。
俺は、思わず手を伸ばして——
その頬を、そっと拭った。
まるで、壊れ物に触れるみたいに。
「……あなたの声が、聞こえた気がしたんです。
だから……きっと、ここまで来られたんだと思います」
夕暮れの光が、
ふたりを、包んでいた。
巫女様は、胸に手を当て、
一度、小さく息を吸って——
それから、
震える声で、けれどはっきりと、告げた。
「稲人様……
わたし……あなたのことが……
ずっと、ずっと……お慕いしておりました」
一瞬、
なにを、言われたのか——
理解できなかった。
鼓動が、止まったみたいだった。
「……巫女様……それは……本当に……?」
見つめ返すと、
涙で揺れる視界の向こうで、
巫女様は、かすかに、頷いていた。
「はい……本当です……
ずっと昔から……あなたを……」
その瞬間——
胸が、どうしようもなく、
いっぱいになった。
俺は、言葉もなく、
また、そっと頬に触れた。
「……巫女様……
俺も……貴女を、お慕いしておりました」
その目が、大きく揺れた。
俺は、そっと肩を抱き寄せて、
額を、そっと、触れ合わせる。
「……本当は……何度も、伝えたかったんです。
でも……俺などが……
巫女様に、想いを向けてよいのか……
ずっと、迷って……言えなかった……」
巫女様の涙が、胸に落ちた。
でもそれは、
悲しみじゃない。
あたたかくて、
やさしい涙だった。
腕の中で、
巫女様は、かすかに、笑う。
「……わたしも……同じでした……」
俺は、ただ——
もう一度、強く、抱きしめた。
そのぬくもりが、
胸に、広がっていく。
「あなたに出会えて……
本当に……幸せでした」
(……このぬくもりが……)
――消えませんように。
そう、願ったまま。
俺は、
腕の中の温もりを確かめるように——
そっと、目を閉じた。
――消えませんように…
……そして。
「……っ……!」
息が、
喉の奥で、詰まった。
……冷たい。
さっきまで、確かに、腕の中にあったはずの——
あの、ぬくもりが、どこにもなかった。
代わりに、
肌に触れるのは、
濡れた布の、冷たさ。
「……は……?」
まぶたを、開く。
視界は、
にじんで、揺れて——
ゆっくりと、
“現実”に、焦点を結びはじめた。
……天井。
古びた、梁。
白木の、匂い。
――どこだ、ここ。
ぼんやりとした頭の奥で、
懐かしいような、いやなにかが
ちくりと、引っかかる。
……ここは……
……本殿……なのか……?
そう、理解するより先に——
胸の奥が、すか、と抜け落ちた。
……冷たい。
さっきまで、確かに、腕の中にあったはずの——
あの、ぬくもりが。
どこにも、なかった。
「……巫女……様……」
声が、
ひどく、かすれて。
呼んだ音は、
畳に吸い込まれて、
返事もなく消えた。
……いない。
あんなに、はっきりと。
触れて、抱いて、
笑いあったはずなのに。
---
あれは……夢……だったのか。
その言葉が、
ふっと、頭をよぎった瞬間。
胸の奥が、
ひどく、冷えた。
あんなにも、はっきりと。
声も、ぬくもりも、匂いすら……
まだ、ここに残っている気がするのに。
——夢なわけがない。
そう、思いたかった。
(……いや……)
胸の奥が、
かたく、軋んだ。
(……いくら、熱に浮かされてたとはいえ……)
脳裏に浮かぶ、あの光景。
稲穂の揺れ。
夕暮れの匂い。
そして——巫女様の、声。
(……都合、良すぎるだろ……)
思わず、
苦く笑いそうになる。
死にかけたら、
想い人の夢でも見るっていうのか。
おまけに、
互いに想いを告げ合って。
抱きしめ合って。
……あんな、出来すぎた展開まで。
(……どこの物語だよ……)
自分で思いながら、
自分の胸に、また、
ずしりとした痛みが落ちてきた。
夢であってほしくなかった。
それなのに。
夢じゃなかったと思うほど、
胸が、苦しい。
稲人は、
そっと、己の身体に目を落とした。
——そのとき。
違和感が、
はっきりと、形を持った。
……軽い。
身体が、軽すぎる。
いつもなら。
指先ひとつ動かすだけで、
胸の奥に、鈍い痛みが走っていたはずなのに。
そう。
あの……熱に侵された、水疱も。
——ない。
思わず、腕を持ち上げた。
……皮膚は。
ただの、皮膚だった。
焼けるように爛れていたはずの腕に。
痕だらけだった、あの斑も。
どこにも、ない。
「……え……?」
声が、
ひどく、間の抜けたものになる。
慌てて、
もう一方の腕も。
胸元も。
首筋も。
……ない。
……きれいだ。
まるで、
最初から、なにもなかったみたいに。
喉に、
唾が引っかかった。
「……嘘……だろ……」
自分の身体を、
何度も、確かめる。
叩いて。
擦って。
……確かめる。
……痛い。
夢じゃない。
——これは、現実の感触だ。
背中に、
冷たい汗が、すっと流れた。
そのとき。
かたり、と。
戸の向こうで、
微かな音がした。
「……?」
視線を向けた、その瞬間。
ぎいい、と、
古い引き戸が、
静かに開いた。
そこから、
ひょいと顔を覗かせたのは——
見慣れた顔だった。
「……あれ?」
幼いころからの、
見慣れすぎたほどの顔。
「……稲人!
目が覚めたのか!?」
——幼なじみだった。
その声は、
驚きと、
喜びと、
そして——
どこか、泣きそうな色を、
確かに、帯びていた。
お読みいただき、ありがとうございます。(*´∀`*)
気がつけば、
当初の想像よりも、ずいぶん長い旅になっていました。
それでもここまで一緒に歩いていただけたこと、
とても嬉しく思っています。
この章は、
静かに想いが通じ合う、
そんな物語になりました。
そして、
この巫女と稲人の物語も、
あと少しで終焉を迎えます。
どうか最後まで、
ゆっくりとお付き合いいただければ幸いです。




