【祈祷編】・命を賭した祈りの果て
こんにちは、いつもお読みいただき本当にありがとうございます(*´∀`*)
本話は「祈祷編・中編」となります。
静かな祠の中で、
巫女が胸に抱いてきた想いが、
少しずつ形になっていく章です。
祈りの先にあるものは、
まだ、誰にも分かりません。
どうか最後まで、
静かに見届けていただけましたら幸いです。
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祠の奥は、凛とした静寂に包まれていた。
石畳の上に並べられた灯明の火が、
かすかな風もないのに揺れ、巫女が踏み入れた瞬間、
まるで迎えるように明滅した。
巫女はそっと袖の奥へ指を伸ばす。
そこには——稲人から贈られた、あの日の“秋桜の押し花の栞”があった。
指先に触れた瞬間、胸の奥が静かに熱を帯びる。
(……稲人様。
どうか……この祈りが届くまで、耐えていてください)
巫女は栞を胸元へそっと挟み込み、
その上から手を添えて強く願いを確かめた。
(……行きましょう。
絶対に、この“病の気”を祓ってみせます)
白衣の袖をそっと整え、
巫女は祠の中央——古より神を招くために定められた“祈りの間”へ進む。
足を踏み入れた瞬間、肌をかすかに撫でるような清浄な気が流れた。
空気は澄みきり、外の世界とはまるで違う静けさに満ちている。
足音はしない。
ただ、衣擦れの音が柔らかく石の間を滑っていく。
祭壇の前に膝をついた瞬間、空気がわずかに震えた。
巫女は深く息を吸い込む。
村のみんなの顔が浮かぶ。
稲人の苦しげな呼吸が脳裏に焼きつく。
繋の涙が胸を締めつける。
胸が張り裂けそうだった。
けれどその奥で、真の願いだけが静かに燃えている。
――村のみんなを救いたい。
――稲人様を救いたい。
――繋の未来を守りたい。
胸に挟んだ栞が、ほのかな温もりを返した。
巫女はそっと両手を合わせ、静かに目を閉じる。
「……失礼いたします。
これより、古の祈祷を捧げます」
巫女の声が祠に溶けた瞬間、
閉ざされた世界がゆっくりと“祈りの時間”へ移り始めた。
巫女が両手を合わせた刹那、
祠に満ちていた静寂がわずかに揺れる。
灯明の火がひとつ、ふっと細く震えた。
続いて、隣の灯も静かに揺らぐ。
——風ではない。
ただ、祠に積もっていく巫女の祈りが、
ひっそりと炎の息遣いと重なっただけだった。
巫女は胸元の栞へ意識を寄せ、
そっと目を閉じて祈りの言葉を紡いでいく。
「……天津ノ神々……国津ノ神々……
どうか……お導きください……」
静かな声が、祠の奥へ染み渡っていく。
「この村に広がる禍ツモノ……
流れを断ち、鎮めたまえ……
病に伏す者たちに……どうか、安らぎを……」
祠の空気は静かなまま、
ただ巫女の祈りだけがゆっくりと積もっていった。
祈りの間には、
巫女の声と衣擦れの音だけが、
静かに、確かに流れている。
巫女は背筋を正し、
かすかな緊張と決意を胸の奥へ沈めた。
(……ここからが、本当の始まり……)
巫女は目を閉じ、
再びゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
その声は、
いつしか祠の奥の闇へしみ込むように溶けていった。
祈りの言葉は、
淡い息のように、静かに積み重なっていく。
どれほどの言葉を紡いだのか、
どれほどの時間が過ぎたのか──
もう、分からなかった。
喉は灼けつくほど乾き、
声を出すたび、細い刃で内側をなぞられるように痛んだ。
(……神様……お願いです……
どうか……どうか……
届いて……ください……)
息は浅く、胸は苦しい。
肺へ空気が届かず、祈るたびに胸の奥が軋む。
それでも巫女は祈った。
視界がふらりと揺れる。
灯明の光が二つにも三つにも滲んでは、ゆっくり形を失っていく。
(……意識が……飛びそう……)
額から汗がつう、と落ちるのに、
身体はどんどん冷えていった。
膝が震え、
座した姿勢を保つだけでも、
全身の力を使わなければならなかった。
(……倒れて……だめ……)
祈りの声はもう、声と呼べないほど弱い。
息に混じるかすかな震えだけが、祠の空間を揺らしていた。
そして──
ついに、唇が動かなくなった。
言葉が出ない。
喉が、声を生む力を失っていく。
(……どうか……どうか……
届いて……ください……
……神様……お願いします……)
胸の痛みが、刺すようなものに変わる。
頭が霞み、世界が遠ざかる。
灯明の光でさえ、
薄い布の向こうから見ているようにぼやけた。
(……あ……)
上体が前へ傾く。
石畳が近づく。
倒れる──
そう悟った瞬間、
胸の奥で、何かが
ふつり
と糸のように切れた。
力が抜けた身体が、静かに石の上へ崩れ落ちる。
そして──
世界が白く閃いた、その直後——
音がふっと消えた。
祠の重い空気も、胸を刺す痛みも、
すべてが遠のき、静かな光だけが満ちていく。
(……あ……)
ゆっくりまぶたを開く。
そこにあったのは祠ではなく、
一面に広がる——金色の稲穂。
夕暮れの光に染まり、ゆるやかに波を作っている。
(……わたし……祈祷していたはず……?)
あの日と同じ匂い。
あの日と同じ風。
あの日、自分が奉納の舞を捧げた広場。
風が頬を撫でる。
疲れを優しく剥がすようなあたたかい風だった。
稲穂の向こうで、影が揺れる。
巫女は息を飲む。
稲人だった。
少し風に髪を揺らしながら、
あの日と変わらない、優しい目でこちらを見ていた。
「……巫女様」
その声は、祈祷の苦しさを溶かすように柔らかかった。
「よく、頑張りましたね」
その一言で——
巫女の胸が震えた。
思わず胸元へ手を寄せる。
そこには、祈りの前に挟んだ秋桜の栞があった。
稲人が歩み寄り、
その栞へそっと視線を落とす。
「……ちゃんと、持っていてくださったんですね」
巫女はこらえきれず、ぽろりと涙をこぼした。
「稲人様……よかった……
元気で……本当に……」
声は震え、涙が次々に溢れる。
稲人はその頬を、
まるで壊れ物を扱うようにそっと拭った。
「……巫女様が、守ってくれたからですよ」
夕暮れの光が、二人を包む。
巫女は胸に手を当て、
震える唇をきゅっと結び……
小さく、けれどはっきりと告げた。
「稲人様……
わたし……あなたのことが……
ずっと、ずっと……お慕いしておりました」
稲人の瞳がかすかに揺れた。
息が止まったように、一瞬まばたきすら忘れている。
「……巫女様……それは……本当に……?」
巫女は涙で視界が揺れる中、かすかに頷いた。
「はい……本当です……
ずっと昔から……あなたを……」
その瞬間——
稲人の表情が、驚きと喜びにほどけた。
彼は巫女へそっと手を伸ばし、
震える指で頬の涙をすくう。
胸の奥からこぼれるように、
稲人は静かに、しかし熱を帯びた声で言った。
「……巫女様……
俺も……貴女をお慕いしておりました」
巫女の目が大きく揺れる。
稲人は巫女の肩をそっと抱き寄せ、
額をそっと触れ合わせるようにして続けた。
「本当は……何度も伝えたかったのです。
でも……俺などが、巫女様に想いを向けてよいのか……
ずっと迷って……言えなかった……」
巫女の涙がぽろぽろ落ちた。
それは苦しみではなく、深い安堵と幸福の涙だった。
稲人の腕の中で、
巫女は小さく笑った。
「……わたしも……同じでした……」
「巫女様……」
稲人は巫女を優しく抱きしめた。
その胸の温もりに触れた瞬間、巫女の呼吸がふっとほどける。
「あなたに出会えて……
本当に……幸せでした」
巫女の視界が、夕暮れの光と涙でにじんでいく。
(……稲人様……)
温かな胸の中で、巫女は
微笑んだままそっと目を閉じた。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
祈りの中で願ったもの、
心の奥にしまい込んでいた想い、
そして——語られなかった気持ち。
この章では、
「言えなかった言葉」や
「胸の奥にあった想い」が、
ひとつずつ形になっていきました。
次回はいよいよ、
祈祷編・後編となります。
この祈りは、天へ届くのか。
そして、巫女の想いは——どこへ辿り着くのか。
続く物語も、
見届けていただけましたら幸いです。
本当にありがとうございました!
稲荷寿司(*´∀`*)




