【きなこ棒を半分こした日】【前編】
本日もお読みいただきありがとうございます。
今回は、優羽がまだ幼かった頃のお話です。
きなこ棒の小さくて温かい思い出を描きました。
どうぞゆっくりお楽しみください。
(*´∀`*)
休憩室では、それぞれが弁当を広げながら
他愛もない会話がゆるやかに続いていた。
そんな中、誰かがふと思い出したように言った。
「昔ってさ、外で遊ぶのが当たり前だったよね〜」
「わかる。門限全然守れなくて、しょっちゅう怒られてた」
テーブルに軽い笑いが広がり、
懐かしい空気がふわりと漂った。
その流れで、参拝者は少し考えるように視線を落とし、
静かに口を開いた。
「……そういえばさ。
子どもの頃、毎日のように神社で遊んでてさ。
そこに、いつも一緒に遊んでた子がいたんだよね」
「幼なじみ?」
「ううん、家も知らないし……名前も思い出せないの。
でも、すごく仲良くて……いつ行っても、その子が待っててくれてた」
参拝者はそこで少し言い淀んだ。
「なのにね……顔だけ、どうしても思い出せないんだよ」
同僚が首をかしげながら笑う。
「え、それイマジナリーフレンドじゃないですか?
子どもの頃って、想像で友達つくるってよく聞くし」
「そうなのかな……。
本当に一緒に遊んでたんだけどなぁ」
説明できない違和感だけが胸に残る。
まるで、大切なものだけ
霧の向こう側に置き忘れてしまったようだった。
忘れたくないのに忘れてしまった——
そんな不思議な痛みだけが、今も静かに残っていた。
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午後の仕事に戻っても、
その違和感は胸の奥から離れなかった。
(あんなに鮮明に“その頃の空気”は覚えてるのに……
顔だけ思い出せないなんて、そんなことある?)
イマジナリーフレンド——
そう言われればそうなのかもしれない。
それでも、どこか引っかかる。
(……久しぶりに、行ってみようかな。あの神社)
胸の奥で、懐かしい風がそっと揺れた気がした。
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《あの子の正体》
参拝者が子どもの頃よく遊んでいた神社は、今も静かに佇んでいる。
美しい木々に囲まれたその場所は——
真白たち眷属が守る神社だ。
そして、参拝者が思い出せない“あの子”の正体は、
ほかでもない 優羽 だった。
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優羽が、主神様から命を受けて現世へ降りてきたばかりの頃。
その存在はまだ幼く、眷属としての力も形も不安定だった。
昼間になるととくに力が弱まり、
自然と人間の子どもの姿へと変わってしまうことが多かった。
世界の仕組みも、人間の言葉も、遊び方すらよく分からない。
ただ境内の隅で、落ち葉が風に舞うのを眺めているだけの日々。
——そんなときだった。
鳥居の向こうから、小さな足音が近づいてきた。
その女の子は、境内の隅にいる優羽を見つけると、
ぱっと表情を明るくした。
「やっぱり今日もいる……!」
どこか嬉しそうな声だった。
どうやらこの子は、前から優羽の存在に気づいていたらしい。
優羽の前まで駆け寄ると、
息を弾ませながら、にこっと人懐っこい笑顔を向けてくる。
そして、少し頬を赤らめながら、
でも勇気を振り絞るように口を開いた。
「こんにちは!
ねぇ……もしよかったらさ、わたしと一緒に遊ばない?」
優羽はぱちりと瞬きをした。
突然声をかけられたことに驚いたのだ。
けれど、目の前の子どもが向けてくる
人懐っこい笑顔があまりにも明るくて、
胸の奥がふわりとあたたかくなる。
(……にんげんの子ども……?)
誰かに話しかけられたのは、これが初めてだった。
ましてや、自分と“遊ぼう”と誘ってくれるなんて。
その笑顔に、胸の奥でなにかがほわっと温かく灯った。
その瞬間が、優羽にとって——
生まれて初めて向けられた“優しい”言葉だった。
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その子は全身で遊びを楽しむ子だった。
鬼ごっこが始まると、
まだ人間の姿で走ることに慣れていなかった優羽には、
その子の足の速さについていけなかった。
「なんなのこの子……足、速すぎ……!」
息を弾ませながら驚く優羽を見て、
その子は楽しそうに笑う。
「捕まえられるもんなら捕まえてみてよー!」
境内に笑い声が響き、
走り回る影が木漏れ日の中で揺れ続けた。
「こっちだよー!」と手を振ってまた駆け出していくその背中を、
優羽は思わず立ち止まって、ぽかんと見送る。
(……人間の子どもって、こんなに足が速いの……?)
その速度には到底追いつけないのに、
胸の奥は不思議なくらい楽しくて弾んでいた。
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隠れんぼの日もあった。
「今日は隠れんぼしよーよ!」
突然そう言い出したその子は、
ちょうど境内を掃き掃除していた縁のほうへ駆け寄った。
「じゃあ……おじさんが鬼ね!」
「……おじ……?」
箒を持ったまま一瞬だけ固まる縁。
優羽は思わず、くすっと吹き出してしまった。
(この子……すごいな。眷属相手にも臆さないなんて……)
子どもの無邪気さの前では、
年長の眷属もどうやら勝てないらしい。
縁は微妙に複雑そうな顔をしつつも、
子どもの願いに逆らえないと悟ったのか、
小さく息を吐いてから目を覆った。
「……じゃあ、数えますよ。……いーち、にーい、さーん……」
その声を合図に、
優羽とその子は顔を見合わせて笑い合い、
そっと駆けだした。
優羽は境内をぐるりと見渡して、小さく首をかしげる。
(……この神社に、隠れられるところって……あったっけ?)
石灯籠の影は小さすぎるし、
木の後ろは幹が細くて身体がはみ出してしまう。
優羽が隠れる場所を探して困っていると、
その子が「しーっ」と唇に指を当てて合図した。
そして、境内の端までそっと手を引いていく。
「ここ、絶対見つからないよ!」
(……え、こんなところに隠れる場所あったの……?
この神社、そんな“秘密の場所”みたいなところあったっけ?)
優羽は新鮮な驚きに目を丸くしながら、
その子に促されるまま、身を縮めて一緒に身を潜めた。
やがて——
「……もういいですか?」
縁の声が境内に響き、
足音がゆっくりと近づいてくる。
「どこに隠れましたかね……?」
石灯籠の陰や木の裏を順番に覗いていく気配に、
優羽とその子は思わず顔を見合わせ、
声を殺してぷるぷると肩を震わせた。
(……見つかっちゃうかな……?)
そのすぐあと。
ふいに、隠れている場所のすぐそばで足音が止まる。
「——見つけましたよ」
ひょい、と覗き込んだ縁と目が合い、
ふたり同時に「きゃーっ!」と声を上げて飛び出した。
「見つかっちゃったね!」
「……うん。でも、ちょっと楽しかった……」
息を弾ませながら笑い合うふたりを見て、
縁もふっと口元を緩める。
「……まったく。元気な“子ども”たちですね」
その日もまた、
境内には笑い声がいつまでも残っていた。
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秋の日には、境内いっぱいに舞う落ち葉を拾い集めた。
「いっぱいあつめよっ!」
人間の子が両腕いっぱいに落ち葉を抱えると、
優羽も真似して境内中を駆け回り、かき集めた。
サクサクと音を立てる葉の上で笑いながら、
ふたりは夢中になって積み上げていった。
最後には——
手のひらも袖口も、すっかり真っ黒。
「見て、こんなになっちゃった!」
「ほんとだ……! でも、なんか楽しい……!」
ふたりが笑い合う声は、境内に柔らかく響いた。
その少し離れたところで、
箒を持った縁がゆったりと掃除の手を止め、そっと目を細める。
(……ふむ。子供の遊びも、なかなか役に立つものですね)
ちらりと積み上がった落ち葉の山を見ると、
掃除が進んだことに小さく満足しながら、
ふたりの姿を微笑ましく眺めていた。
落ち葉の色も、夕方の光も、ふたりの笑顔も——
どれも境内にやさしく溶け込んでいた。
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そんなある日——
ふたりで境内を走り回っていると、人間の子はぴたりと立ち止まった。
「……お腹すいた〜! 駄菓子持ってくればよかったなぁ」
その言葉に、優羽は首をかしげる。
「……だがし? なにそれ?」
人間の子は目を丸くし、それからぱっと笑顔になった。
「えっ、知らないの!? めちゃくちゃ美味しいお菓子だよ!」
優羽は興味津々で身を乗り出す。
「おいしいの……?」
「うん! 今度持ってくるね! 絶対好きだよ!」
——そして次の日。
その子は胸を張って、紙袋をぽんっと差し出してきた。
「ほら! 昨日買ってきたの! 半分こしよ!」
袋の中には、きなこ棒が2本。
優羽はそっとかじってみる。
その瞬間、口の中にふわっと広がる優しい甘さ。
「……なにこれ……おいしい……!」
目をぱちくりさせる優羽に、その子は嬉しそうに笑った。
「でしょ〜? わたし、これ大好きなの!」
ふたりで指先のべたべたを見せ合って笑ったその日も、
優羽の胸に、今もあたたかく残る大切な記憶だった。
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遊びの日々は、季節とともに穏やかに過ぎていった。
けれど——
優羽は眷属であり、成長は極端に遅い。
姿がほとんど変わらないまま、季節を静かに越えていく。
一方で、人間の子どもは、日々ぐんぐん成長していく。
背が伸び、学ぶことが増え、生活は少しずつ忙しくなる。
遊びの日々は、穏やかに続いていた。
けれど——ある夕方。
いつものように遊んで、境内の縁側に並んで座っていたとき。
人間の子は落ち葉を指でいじりながら、視線を落としてぽつりと言った。
「ねぇ……わたし、“塾”に通うことになって」
優羽は瞬きをした。
「じゅく……?」
人間の子は、小さく苦笑いを浮かべて言う。
「勉強しなきゃいけないんだって。
だから……これから、前みたいには来れなくなっちゃうかも」
ふたりの間を、風がそっと通り抜けた。
その風が運んだ気配のせいか——
その子の声が、ほんの少しだけ寂しそうに聞こえた。
優羽の胸に、かすかな痛みが波紋のように広がる。
「……そっか」
その言葉は、自分でも分かるほど小さくて弱かった。
すると、その子は慌てて手をぶんぶん振った。
「でもね! 絶対来るから!
ちゃんと時間作るから!
優羽ちゃんと遊ぶの、すっごく好きだから!」
笑顔は明るかった。でもその奥には、
幼いながらも“優羽への気遣い”がかすかに滲んでいた。
優羽の胸がきゅうっと締めつけられる。
「……うん。待ってるね」
その言葉は、願いのようにそっと空気へ消えた。
---
——その日を境に。
神社へ来る日が少しずつ減っていった。
それでも——。
人間の子は、ほんの短い時間でも会いに来ようとしてくれた。
「今日は塾までの時間少しだけ空いたの!
だから来ちゃった!」
境内に駆け込んでくるその姿は、前より疲れているのに、
笑顔だけは以前と変わらない。
ふたりで落ち葉を掃いたり、
縁にからかわれながら一緒に影踏みをしたり、
優羽が知らなかった“遊び”をたくさん教えてくれた。
ある日は、前回もらったきなこ棒の話の続きになり、
その子がまた紙袋を振って笑った。
「きなこ棒、また半分こしよ!」
優羽の胸の奥で、
あの子と過ごすひとときは宝物のように輝いていた。
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——けれど、それは同時に
“これが最後になるかもしれない”
そんな予感を運んでくる時間でもあった。
「今日は来ないんだ」で済んだ日があった。
でも、次の日も来なくて、
その次の日も——静かなままだった。
優羽は毎日のように境内に座り、
鳥居の向こうから駆けてくるあの小さな足音を、
じっと、じっと待ち続けた。
そうして待つ時間だけが、
静かに積み重なっていった。
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風の音が日に日に大きく聞こえるようになった頃。
掃き掃除をしていた縁が、ふと優羽の表情に気づいた。
「優羽。……最近、元気がないように見えます」
優羽は視線を落とし、小さな声で呟いた。
「……あの子、今日も来なかったの」
その寂しさを含んだ声に、
縁は一拍の沈黙を置いたあと、静かに口を開く。
「優羽。
人間の子どもは成長がとても早い。
私たち眷属とは……時間の流れ方が違うのですよ。」
優羽はぱちりと瞬きをして、縁を見上げた。
縁は落ち葉を掃きながら静かに続ける。
「学びに行く場所が増えたり、
やるべきことが増えたり……
人間は、前へ前へと進まなければならない生き物です。
そのうち、神社で遊ぶ時間より、
“日々の生活”が大きくなっていくのです」
風が境内を吹き抜け、優羽の袖をそっと揺らした。
「……じゃあ、あの子は……
もう、わたしのところへ来なくなるの……?」
その問いは泣き声ではなかった。
ただ胸の奥から静かにこぼれた、そんな響きだった。
縁はそっと優羽の頭に手を置き、優しく撫でる。
「来なくなる、というより……
“離れていく”のです。
それが人間にとって自然なことなのですよ」
優羽はその言葉を胸の奥でかみしめるように、
静かに目を伏せた。
縁は続ける。
「でもね、優羽。
あなたがあの子を大切に思うように、
あの子も、あなたとの時間を温かく覚えているはずですよ」
その言葉はそっと優羽の胸に落ちて、
波紋のような優しい広がりを作った。
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——それでも。
優羽は、鳥居の向こうから駆けてくるあの姿を
ずっと、ずっと待っていた。
けれど、
その日が再び訪れることはなかった。
そして——
優羽は忘れなかった。
笑顔も、温度も、木漏れ日の色も。
そして、きなこ棒を半分こして笑った日の
あの甘い記憶も。
それは——
“現世で初めてできた、たったひとつの大切な友達”
そう言える宝物だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
優羽が“初めて友達を知った日”を丁寧に描いてみました。
きなこ棒の甘さと一緒に、優羽の心にも小さな光が灯っていたら嬉しいです。
後編では、三十年後の再会を描きます。
続きもどうぞよろしくお願いいたします。
面白く読んでいただけたら幸いです(*´∀`*)




