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【実は狐の眷属です!真白と紡ぎの神社日誌】  作者: 稲荷寿司
「実は狐の眷属です!真白と紡の神社日誌」

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12/50

【静まるお社で感謝を】

人が神社を訪れる理由は、それぞれに違います。


願いを届ける人もいれば、

静かに感謝を伝えに来る人もいます。


この物語は――

母を見送り、時を経て“ありがとう”を伝えに来たひとりの女性の祈りのお話です。

あなたの心もそっと癒やされますように。



---


出勤してロッカーに荷物をしまい、

最後にスマホの通知を確認しようとした時、着信が鳴った。


画面に表示されたのは、

昨日入院したばかりの母の病院からの番号だった。


「お母様の容体が急変して、とても危険な状態です。

今すぐご家族の方皆さんで来ていただけますか?」


電話の向こうの医師の声に、頭が真っ白になる。

震える手で父に連絡を入れ、職場の同僚に事情を説明して早退した。


車のエンジン音さえ、遠くの世界の出来事のように聞こえた。



---


病院に着くと、主治医は静かに告げた。


「ここ2、3日が山場でしょう。」


モニターに映る酸素濃度の数値を指さしながら、

「この状態から持ち直すことは、正直かなり難しいです」

と先生は言った。


私は思わず尋ねた。


「……先生、これくらいの状態から回復された方って、今までにいらっしゃいましたか?」


先生は少し間を置き、静かに首を横に振った。


「私の経験上では、ありません。」


そして、言葉を選ぶようにして続けた。


「もし今後、容体がさらに悪化した場合、延命処置を行うかどうかをお伺いします。

人工呼吸器をつければ命をつなぐことはできますが、

日本では安楽死が認められていないため、一度装着すると外すことはできません。


意識が戻らないまま、植物状態になる可能性が高く、

その場合は高額な医療費が継続的にかかります。」


先生の言葉が、一つ一つ胸に刺さるように感じた。



---


お母さんに元気なうちに言われていた。

――『もしもの時、望みが薄いなら延命はしないでほしい』と。


私は静かにうなずき、そのことを主治医に伝えた。


先生は少し目を伏せ、穏やかに言った。

「……ちゃんと決めていらっしゃったんですね。」


その言葉を聞いても、まだ実感が湧かなかった。

目の前で何かが起きているのに、

それが自分の現実だと理解できないまま、

私は無意識のように病院を後にしていた。



---


帰宅しても、現実感は戻らなかった。

時計の針の音だけが、やけに大きく響いている。


そんなとき、再びスマホが鳴った。――病院からだった。


「……お母様の呼吸が弱まっています。できれば、すぐに来てください。」


私は何も考えず、車を走らせた。

冷たいハンドルを握る手が震えているのに、涙はなぜか出てこなかった。



---


病院に着くと家族待合室に案内され、主治医の先生が告げる。


「本来なら、今の時期はご家族の方も病室には入れないんですが……」


少し目を細めて、静かに続けた。


「ずっとお母様と二人で、ここまで頑張ってこられましたからね。

最後は一緒にいてあげてください。」


その言葉に、胸の奥が震えた。

私は何度も頭を下げ、病室へ向かった。



---


扉を開けると、先生が他のスタッフに小さく告げた。


「……少しの間、二人にしてあげてください。」


そして私に向き直り、

「きっと、聞こえています。話しかけてあげてください。」

そう言って病室を出て行った。


私はベッドのそばに立ち尽くした。

母の呼吸は浅く、胸がかすかに上下している。


看護師さんがそっと近づいて、

「椅子に座ってください。……落ち着いて。」と声をかけてくれた。


その瞬間、看護師さんの声が少し震えていた。


「――もう、まもなくお別れになります。」


私はゆっくり母の手を握り、耳元で囁いた。


「お母さん……ここまで育ててくれて、ありがとう。」


その言葉に、母のまぶたがわずかに動いた気がした。

そして、穏やかな静けさの中で、母は静かに息を引き取った。


病室の空気が止まり、時の流れが遠くへ消えていくようだった。



---


葬儀も終わり、四十九日も済んだ頃。

ようやく気持ちの整理がつき、私は神社にお礼参りに訪れた。


その日は、風が強く吹いていた。

参道の幟がはためき、木々がざわめく音が絶えない。


本殿の方をゆっくり見つめ、目を閉じる前に深く息を吸った。

風も音も止まった境内の静けさに、胸のざわめきが少しずつ収まっていく。


視線を降ろし、手のひらを合わせると、自然に心が落ち着いていくのを感じた。


「お母さんを見守ってくださってありがとうございました。」


そう神様に手を合わせ、帰ろうとした瞬間――異変が起きた。


風が、止んだ。

幟は一枚の絵のように静止し、木々の葉も動かない。

耳をすませても、鳥の声も、遠くの車の音も消えていた。

世界が息をひそめている。


けれど、不思議と恐怖はなかった。


私はもう一度本殿の方を向き、目を閉じて神様にもう一度感謝を伝えた。


「長い間、お母さんと私を見守ってくださりありがとうございました。

神社に来ることが心の支えになっていました。

神様のおかげで、最後までお母さんを支えられました。」


深く一礼し、ゆっくりと息を吸って頭を上げると――

音が、戻ってきた。


木々のざわめき、幟のはためき、現実の色が境内に流れ込む。

まるで、時間が動き出した世界に帰ってきたかのようだった。



---


真白と紡ぎは、社務所の中から参拝者の様子を静かに見守っていた。


境内の風は止まり、時間までもがゆっくりと流れているかのように見えた。

その中で、参拝者の胸の奥にある祈りと感謝が、静かに空間に溶け込んでいく瞬間を、二人は目の当たりにした。


「……真白様、今のは……?」


真白はそっと紡ぎに囁く。


「彼女は、お母様のためにこの神社へ通い続けていたんだ。

自分のことではなく、ただお母様の安らぎを願ってね。

だから主神様も、ずっと見守ってくださっていた。」


紡ぎは静かに頷く。


真白は穏やかな声で続けた。


「今日、主神様が彼女をあの静寂の中に招かれたのは――

お母様を想い続け、最後まで支えたその優しさへの“労い”なんだよ。


彼女が悔いや悲しみを抱えたままではなく、

感謝の心で前へ進めるように……

ほんのひととき、特別な時間を授けられたんだ。」


真白の言葉が、境内の静寂に柔らかく溶けていく。


参拝者の手がゆっくりと合わせられ、目を閉じるたびに胸の奥が静かに震える。

努力と愛情が神様に届き、報われた瞬間――

それは目には見えないけれど、確かにそこに光のように息づいていた。



---


お参りを終えた女性は社務所を訪れ、お守りを購入した。

「どうぞ温かいお抹茶を」と勧められ、ありがたくいただいた。


湯気の向こうに、真白が柔らかく微笑んでいる。


「お母様のために、よく参拝に来られていましたね。」


女性は小さく頷き、少し目を伏せた。



---


「はい……でも亡くなってしまった今、思うことがあるんです。

病気の治療を続けさせたのは、私の自己満足だったのではないかと。

あんなに辛いから辞めたいと言っていた時に、

治療をやめさせて、好きに過ごさせてあげればよかったのでは……と。」


その声は力なく、どこか迷子のように揺れながら、空へと消えていった。


真白は静かに目を細め、優しい声で言った。


「最後まで治療を続けると選ばれたのは、お母様ご自身です。

貴方が生きてほしいと願ったように、お母様もまた、貴方のために生きようと決意されたのではないでしょうか。

その選択は苦しみではなく、“愛する家族のために生きようとした覚悟”なのだと思います。」


女性は小さく俯き、呟く。

「……そうだったら、いいな……」


そして、ふと思い出したように顔を上げた。


「――あっ……でも、亡くなった次の日の夜に夢を見たんです。

お母さんがおばあちゃんと一緒に出てきて、笑顔で手を振っていて……。

私は川の向こうには行けなかったんですけど、久しぶりに、あんなに元気に笑っていて。

きっと、最後の挨拶に来てくれたのかなって……。」


真白は静かに頷き、柔らかく答えた。


「それはきっと、お母様があなたに“ありがとう”を伝えに来られたのでしょう。

――一緒に頑張ってくれて、ありがとうと。」


少し間をおいて、真白はそっと続ける。


「人が旅立つ時、よく“近しい人が迎えに来る”と言われます。

お母様の場合は……お祖母様がその手を取られたのでしょう。

だからきっと、その笑顔は全ての苦しみから解放された笑顔だったのでしょう。」


女性は静かに目を閉じ、ほんのわずかに口元を緩めた。

「……そう、ですよね。そうだといいな。」


その言葉に、境内の木々がそっと揺れ、やわらかな風が二人の間を通り抜けた。

お茶の湯気がゆらめく中で、女性の心にはようやく、静かな温もりが戻っていた。



---


女性が立ち上がり、静かに縁側を後にすると、神社には再び静けさが戻った。


参拝者も少なくなり、社務所の業務がひと段落した頃、真白と紡ぎは顔を見合わせる。


「今日も、無事に終わりましたね。」


紡ぎの言葉に、真白は頷きながら小さく息をつく。


「そういえば、縁様が紡ぎを探していましたよ。」


「……えっ」


紡ぎの顔が一瞬で青ざめる。


(ま、まさか……さっきのお茶碗……!)


真白は静かに微笑んだ。


「心当たりがあるんですね?」


「……あの、な、ないとは言い切れません……」


「早く謝ってきましょう。縁様、優しいですから。」


「……(それは真白様の前限定なんですけど…)

(今、世の中で一番行きたくない場所だ…)」


夕暮れの社務所に、紡ぎの小さなため息だけが残った。



---


人生には、どうしても避けられない別れがあります。


それでも、見守り続けた時間や、

伝えたかった想い、そして“ありがとう”の気持ちは、

決して消えることはありません。


物語の中で描かれた静かな神社の風景が、

少しでも誰かの心をやわらかく包みますように。


そして――


ここまで読んでくださった皆様に

心からの感謝を込めて。


本当に、ありがとうございました(*´∀`*)

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― 新着の感想 ―
大事な人とのお別れは、残された人にとってはわかっていても辛さが残ると思います。最後の時間を一緒に過ごせたとしても、後悔が残ると思います。そんな残された人の気持ちを持つ読者を癒してくれる話だと思いました…
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