魅了魔法を使ってくる王太子殿下から可及的速やかに逃げる方法
始まった。
今朝もカーモミル王太子殿下が通称カモ様がご登校された。
「キャー!」
「カモ様ー!」
「すてきー!」
「こちらをご覧になってー!」
「いやー! 今日もお麗しいですわー!」
右手を軽くフリフリ。左手は腰の後ろに添えて。護衛役の生徒に守られながら悠然と歩いていらっしゃるカモ様。
カモ様がご入学されてから遅刻する生徒がいなくなったという逸話をお持ちだ。皆このお出迎えに参加したい。教師も生徒も事務員も調理員も。なるべく目立たない位置を通る私たち五人を除いて。
初めてこのお出迎えに巻き込まれた時は生命の危機を感じた。人の波に飲まれて進めなくなったあの時の恐怖。校舎に向かって歩いているのに押し返される。前後左右どちらにも進めなかった。
別にどうしても登校したいわけではないのだ。お父様に言われてとりあえず登校しただけ。人の波を押し返してまで登校するという気概はない。私は流れに身を任せた。周囲は黄色い声で満ちていて、声にも色があるんだなぁなどと考えていると、波の中から私を助けてくれた人たちがいた。
この学園の魔法学の教師、ハーバル先生、事務員のゼラニウムさん、調理員のディルおじさん、一学年上の生徒、ティボルト様。諦めてたでしょ、僕らもそうだったから、と苦笑いしたティボルト様はなかなか素敵な男性だった。
ハーバル先生はホーエンローエ侯爵家の次男。ゼラニウムさんとディルおじさんは平民の方々で、ティボルト様はデリンガー公爵家の長男だ。ちなみに私はドレヴァント侯爵家の一人娘でローゼリンデ。
当初ディルおじさんはカモ様のご登校時の異常さに困惑したそうだ。たった一人に群がる学園内の人々。老若男女問わずただ一点に向かう人の波。毎朝お馴染みの光景になったその奔流を眺めていたある日、波に翻弄される人を見つけたのだそう。
ディルおじさんが最初に助けたのはハーバル先生。異常な大多数。いや、大多数が同じ状態ならそれ以外が異常と言うべきか。カモ様に向かう数多の人にどうしたんだと声をかけて正常化に努めようとしたハーバル先生。その日が就任初日だったそうだ。私も登校初日に波に飲まれたからまさにお仲間だ。
始まりは二年前。その時はこんなに多くなかったそうだ。最初はカモ様と同じクラスで授業を受けた面々。続いて教師、食堂で一緒になった生徒や調理員、手続きで関わりのあった事務員と、どんどん増えていった。カモ様の周囲に人が集まるにつれ、各地での滞在が延び、触れ合う人々が増えていった結果、今の状況になったんだそう。
それを興味半分で観察していたディルおじさんとハーバル先生は波に翻弄されるゼラニウムさんを発見。すぐさま保護をした。続いてティボルト様、私ローゼリンデと続く。
魔法学の先生であるハーバル先生によると、カモ様は魅了魔法を放っているらしい。恐らく意図的に。なぜそんな事をしているのか何となくは分かるが、私とティボルト様には伝えられないという。私たちの未来を閉ざす可能性がある、とあんなに真剣な顔で言われてしまったら、知らないでいる方が安全だと思った。
私たち五人は今日も人の波から逃れて、食堂でディルおじさんお手製のスイーツと、淹れたての紅茶を楽しんでいた。カモ様がああなられてから、授業は三時間目からしか始まらない。なのに始業前に登校していないと遅刻者扱いになってしまう。理不尽なことに、出席日数が足りないと卒業資格が貰えず、この学園を卒業していないと貴族として暮らせない。お父様がちゃんと教えておいてくれないから、登校初日に貴族生活を終わらせる決断をするところだった。
理不尽だけど決まりは決まりなので、カモ様に用のない私たちはこうして時間を潰しているのだ。事務仕事も調理の仕事も全員が集まってから始めても困らないのだそう。ハーバル先生は授業準備があると最初は言っていたけど、ディルおじさんのスイーツを食べて以来、まずティータイムを楽しむのが日課になっていた。だって美味しいものね。
世代の違う私たち五人。不思議と話題にも事欠かず優雅なティータイムを心底楽しんでいた。しかしその時間は突如終わりを告げた。私がカモ様に目を付けられてしまったのだ。
「お名前は?」
いつもとはカモ様の動きが異なり、人の波から逃げ損ねた私は何の因果かカモ様の前に取り残された。私の前で跪いて、私の手を取ったカモ様。カモ様は指で器用に私の指を撫でながら優しそうに微笑んだ。あ、今、私に魅了魔法を放った。効かないけど分かるから凄く怖い。
途端に上がる黄色い声、悲鳴、怒号、非難の声。ほとんどはカモ様スマイルへの歓声。素敵可愛いこっち見て。聞き取りにくいのは私への怨嗟の声とお前如きが邪魔すんじゃねぇ系の怒号。お前がめり込め、跪かせてんじゃねぇ系の非難の声。ああ、いっそ気を失いたい。なぜ私の精神は頑強なのですか。
「カモ様、お膝に汚れが」
私がカモ様を引っ張って立たせると、非難轟々。触るな見るな離れろの嵐。素早く膝の汚れを払い、失礼しますと言ってその場から走って逃げた。それを見ていたティボルト様によると、走り去った私の背中を見送ったカモ様は大変邪悪なお顔をされていたのだそう。
「やっぱり魅了しようとしたのに上手くいかなかったってことかな。そもそも何で私みたいなのを魅了する必要があるのかしら」
「完璧主義者だと聞いたことはある」
逃げた私が駆け込んだのは食堂。いつもの面々でティータイムの真っ最中だ。
ディルおじさんは腕を組んで険しい顔をしながら考え込んでいた。
「女性で魅了が効かないのって珍しいからじゃないか? そもそも俺らは何で魅了が効かないんだろうな。魅了魔法を使われたのは分かるのに、効果が出ないって不思議じゃないか?」
その時食堂の入り口が騒がしくなった。
「やばい!」
カモ様が近付いて来たことに気付いた私たちは慌ててティーセットを調理場に運び、調理場の裏庭へ繋がる扉から逃げようとした。ところがカモ様の魅了魔法にかかった調理員が扉を塞いだ。絶体絶命。衛生上調理場に立て篭もるわけにはいかず、渋々私たちは食堂へ戻った。
待ち受けていたカモ様は再び私に近付いて来た。
「なぜ逃げるの? 何か後ろめたいことでもあるの?」
カモ様は私を見て優しく微笑んだ。その微笑みに撃ち抜かれた面々が小さく悲鳴をあげて床に崩れ落ちる。
「怖っ」
思わず声が出てしまった。
「僕のことが怖いの? なぜ?」
「お、王太子殿下にお声がけいただけるなど、み、身に余るこ、光栄で……」
私は恐怖心に呑まれ、涙が零れた。蛇に睨まれたカエル。猫の前のネズミ。この人怖い!
「カーモミル殿下! おはようございます」
ティボルト様だ。助けに来てくれたのなら嬉しい!
「ティボルトか。おはよう。今取り込み中なんだけど、分からなかった?」
「殿下が女生徒を泣かせたところは見ておりました」
「ああ。ホントだ。何で泣いているのかな」
「カモ様にお声がけいただいて泣くなんて図々しい!」
「身の程知らず!」
「帰れ!」
また私を責める声が聞こえる。漠然とした不安が高まってきて、思わずティボルト様の腕を掴んだ。ティボルト様は大丈夫だと言い聞かせるように優しく手の甲を叩いた。視線でもティボルト様を頼ってしまう。
「殿下、ダメですよ」
「へえ。お前こういうのが良いのか」
「殿下」
「じゃあ、せめて名前だけでも」
私はティボルト様を見た。彼は目を伏せて首を横に振った。
「おやおや、自分の意思もないのか」
嘲るように言ったカモ様は怒っているようだった。周囲に高濃度の魅了魔法が広がる。近くに立っていた女生徒のほとんどは気絶してしまった。男性は床に座り込んで辛そうに息をしている。気を失った方が楽だったのかもしれない。
「……ほう。なるほどな」
「御前、失礼いたします」
ティボルト様はそう言うと、軽々と私を抱き上げて食堂から走り去った。馬車を停めている場所まで一気に走るなんて凄い身体能力。そのままティボルト様の家の馬車に乗せられた。その時になってやっと、ティボルト様の手が震えていることに気付いた。
「ティボルト様、守ってくださってありがとうございました」
「いや、自分が情けないよ。手の震えが止まらない。なんだ、あの高濃度の魅了魔法」
自嘲的に笑って震える指を見せてくれた。私はその手を握り締めた。私の手も震えている。
「私にとっては救世主でした。魅了魔法が効かなくても高魔力を浴びるのってあんなに恐ろしいことだったんですね。ティボルト様が来てくださって嬉しかったです」
「……抱きしめてもいい?」
「……はい」
ティボルト様はオズオズと腕を伸ばして私を抱き締めると長いため息を吐いた。
「良かった。無事で」
私もティボルト様の背中に腕を回した。
「安心感が凄いです」
「僕も。やっと力が抜ける」
そのまま抱きしめ合っていると、馬車が止まった。
「着いた」
ティボルト様が私から離れ、私の乱れた髪を手櫛で直してから優しく微笑んだ。馬車の扉が開き、屋敷の中に案内された。
「僕の家へようこそ」
ティボルト様にエスコートされて、応接室に入る。公爵家のお屋敷に突然連れて来られて、動揺はしているけど断れる状況ではない。そもそも学園に戻るのは怖い。紅茶とスイーツを侍女が持ってきてくれて、ホゥッと息を吐く。しばらくすると部屋の扉が開いた。
「ティボルト、魅了魔法で威嚇されたんですって?」
美しい女性が男性を伴って入室し、開口一番そう質問した。
「母上、こちら、以前お話ししたローゼリンデ・ドレヴァント侯爵令嬢です。ローゼ、こちらは僕の両親のデリンガー公爵夫妻だよ」
「お初にお目にかかります。ローゼリンデと申します。突然の訪問をお許しください」
「顔を上げてくれ。何か問題が起きたと聞いている。怪我などはないか? そうか。それなら良かった。で? この女性が例の?」
デリンガー公爵の問いにティボルト様は力強く頷いた。
「はい。以前お伝えした魅了魔法が効かない女性です」
「不躾だが、何か魔道具のような物を使用しているだろうか? 例えば首飾りだったり、腕輪、髪飾り、耳飾り……」
「特に装飾品のような物は何も……。あ! そういえば瞳に直接乗せる薄い視力矯正用のレンズを使っています。友人の魔女が作った物なんですが」
「それかもしれないな。見せてもらうことは可能だろうか」
「いえ、それが友人からは彼女がいない所で外さないように言われていまして。魔女の言うことですから、守らないのも恐ろしいので」
「そうだな。確かに魔女の言うことに逆らうと碌な事はないな」
「公爵閣下も魔女にお知り合いが?」
「ああ。学生時代に縁があってね。シュレディンガーの魔女と呼ばれていたんだけど、ある日店からいなくなったんだよ」
「あの、多分それ、私の友人です。実験中の事故で過去から来たと言っていました。時空を歪める魔法を使っていたとかで、二、三年前に知り合ったんですが、ちょうどこちらに転移した日に知り合いまして」
「そんな事になっていたのか! 確かに彼女ならあり得そうだ……周りの者もいつかやらかすと心配してはいたんだよ。ちなみに魔女殿は今はどちらに?」
「あの、我が家です。つい先日まで出かけておりましたが、今はドレヴァント侯爵家の屋敷に滞在中です。時間経過で魔女のお店があった辺りは広場になっていましたから」
「確かに。魔女の家にあった魔道具やスクロールはどうなったのか疑問に思っていたんだよ」
「全部回収したのは王家です。その中に魅了魔法系の物もあったと聞いています」
「そういうことか! なるほど……。それで、シュレディンガーの魔女ことシエル殿にお会いする事はできるだろうか?」
「シエルに確認してからでもよろしいでしょうか」
「まあ、そうだな。もちろんだ。それでいいよ」
「承知しました。では失礼して」
ピンポンピンポーン
「はーい。こちらシエルー。どしたローゼ。何かあった?」
「ねえ、シエル、デリンガー公爵って知ってる?」
「分かんないかも」
「なんか時空を移動する前の知り合いっぽいよ? ちなみにめっちゃ強そう」
「えー。誰だろ? もっとヒントちょうだい。名前とかさぁ」
「え。知らないよ。ちょっと待ってて」
「デリンガー公爵、シエルが分かりやすいようなお名前ですとか思い出ですとか」
「名はアーチー、シエル様のお店にスクロールをお願いしてました。収納魔法のスクロールで箱を氷室にするものです」
「シエル、聞こえたー?」
「聞こえたー。今ローゼどこにいるの? そっちに行っても大丈夫そう?」
「え。こっちに来るの? 公爵家のお屋敷だよ?」
ローゼリンデがデリンガー公爵を見ると、彼は頷いた。
「大丈夫だってー。デリンガー公爵のお家だよ。ティボルト様の」
「はーい。準備できたらすぐ行きまーす」
「すみません。急いで私から離れてもらえますか? シエルが転移してきます」
「分かった」
ローゼリンデがなるべく広い場所に移動すると、デリンガー公爵夫妻とティボルトは慌てて立ち上がってテーブルや椅子をローゼリンデから離した。
「はい!」
元気な声と共にシエルが転移してきた。
「あらあら、めっちゃ魅了されちゃってるじゃん!」
シエルはそう言いながらローゼリンデの体から埃を払うような仕草をした。
「あれ? これ私の魔道具のやつだね。え。例の王族?」
「うん。あいつ。あの王子」
「ああ、威嚇する魔道具、魔力を上げる魔道具、見た目を変える魔道具。すんごいやってんね」
「え! 見た目も?」
「うん。魅了魔法って、やっぱり魅力的だなって思わないと浸透しにくいからさ」
「でも学校中の人が魅了されちゃってるよ? 今のところ無事なのは何の関係もない五人だけ」
「何の、関係も、ない……」
ティボルトが胸を押さえて呟いた。その呟きが聞こえたローゼリンデは思い出した。
「あ」
「ん?」
「シエル、こちらこのお屋敷のデリンガー公爵御夫妻。そのご子息のティボルト様よ」
シエルは微笑んで右手をヒラヒラとさせた。挨拶をしたみたい。軽いけど。魔女の方が地位が上なのかな……とは言え、ね。
「デリンガー公爵、ご無礼をお許しください。こちらがシュレディンガーの魔女シエルです」
「あれ? なんか見たことあるなぁ」
シエルがデリンガー公爵の顔をじっくりと見た。
「光栄です! 覚えていてくださったのでしょうか」
公爵は目を潤ませてシエルの前に跪いた。
「あ! ハルトくんじゃない? なんか立派なおじさんになっちゃったね。ティボルトくん、若い頃のハルトくんにそっくり。あれ? 奥様、もしかして恋占いとか恋呪いとかしてたパトリシアちゃん? めっちゃ美人! 良かったじゃーん! 結婚できたってこと?」
「その節は大変お世話になりまして……」
公爵が照れ臭そうに頭をかいている。ローゼリンデとティボルトは何も言わずに貴族的な笑みを浮かべて成り行きを見守っていた。
「良かった良かった。あの氷室の冷蔵庫のスクロール見つけた? 店のカウンターに置いてあったと思うんだけど」
「全部王家が持ってっちゃったんだってば」
私は口を挟んだ。シエルが行方不明になった後の事を調べたけれど、すぐに王家主導で辺り一帯が閉鎖されて、数日で更地になったのだと伝えた。前も言ったとは思うけど忘れたのだろう。
「そうだった、そうだった。でもまあ、この国に住むと決めた時から王家とはそういう約束になってるから。知らずに使われたら危ないし、私もいつどうなるか分かんないからね。王家だったら良い魔法使いがいるでしょ? ただ、それを王子が私利私欲のために使っちゃってるのは大問題よ。しかも私の大事なローゼに何してくれてんのってハナシ」
「ひとまず皆座りましょう。立ち話も何ですし。お茶の用意をさせますから少々お待ちくださいい」
デリンガー公爵の提案で全員がソファに座るとスイーツと紅茶が出された。実に仕事が早い。一口紅茶を飲んで心を落ち着けると、公爵はシエルの方を向いた。
「シエル殿はどうして王族に諸々の返却をお求めにならなかったのでしょう?」
公爵が不思議そうに聞いた。
「忙しかったから」
シエルはそう言って美味しそうにお菓子を食べた。
「怪我が酷かったのです」
私はシエルの代わりに答えた。
「シエルは事故のせいで、血塗れで倒れていたんです。生きている事が分かって直ぐに屋敷に連れ帰り、治療を始めました。実は、私の父、ドレヴァント侯爵もシエルのお客さんだったのです。突然居なくなったシエルを探していた父は店の跡地で倒れていたシエルを見つけて直ぐに分かったんだそうです」
「なんと! 彼も顧客だったとは」
「リハビリも必要でしたし、やっと動けるようになったシエルは東国に行かねばならないと言い出しまして、つい先日まで旅程にあったのです」
「そう。一昨日くらいにやっと帰ってきたとこだったから、ローゼからの連絡に応えられて良かった。もうちょっと離れてたら無理だったから」
「すぐに来てくれて嬉しかった」
「ローゼ、可愛い!」
シエルはローゼを抱きしめた。
「ついでに浄化しとくね。あ、コンタクトもメンテしちゃうね。目、閉じてて」
「コンタクトには異常なしっと。戻すねー」
「そのこんたくととやらで魅了魔法を防いだのでしょうか?」
「んー? 違うと思うよ。そんな効果は付けてないし。これは単なる視力矯正器具。ローゼの可愛いお顔を堪能するためだけのものだよ。メガネも可愛いけど、ない方が好きだから」
「となると、なぜ魅了魔法を浴びても平気だったのでしょう?」
公爵が腕を組んで首を傾けた。ティボルトも同じ姿勢になっている。そっくりでちょっと面白い。
「我々五人だけ、なぜ大丈夫だったんでしょうか。とは言え、『平気』というのは違います。高濃度の魅了魔法を浴びて、ローゼは恐怖を感じ、私も手が震えました」
「そうだねぇ。結構浴びてたよね。めっちゃ残滓があったもん。残りの三人に会いたいな。会えば分かると思う。共通点を探せばいいんでしょ? 二人とは違う理由だろうから」
「明日こっそり会いに行く?」
「いや、今日中に動いちゃおう。ローゼたちは早退き? えっと、授業がある時間なのに帰ってきた感じでしょ? 残りの三人は職員だって言ってなかった?」
「そうですね、ディルおじさんたちはまだ学園に残っているかもしれません」
ティボルト様が私に同意を求めるように視線を移した。私も彼を見て頷く。
「そうね。職員は直ぐに帰るわけには行かないわよね。しつこくされたのは私だけだったからおじさんたちは無事だろうし。ねえ、シエル、ティボルト様には残滓は残ってないの? 私を庇ってくれたから」
「残ってるよ」
「えぇ!? 取らなくても大丈夫なの? 魅了されたりしない?」
「ああ、彼は大丈夫。私の魔道具がちゃんと働いたみたいだよ」
「シエル殿、もし可能なら残りも払ってもらえませんか。実は残滓があると聞いた以上、このままローゼに触れていいのか迷いがあって。いざという時に躊躇ってしまって致命的なことになっても困るので」
「確かに! じゃあ、チャチャっと取っちゃうね」
シエルは羽を取り出してティボルトを撫でた。
「これ、不死鳥の羽。ついこの前ゲットしたんだけどね。浄化効果がめっちゃ高いんだよー。はい! もうオッケー」
「え?もう良いんでしょうか」
「うん。綺麗になったよ」
「ありがとうございました!」
「いい返事。悪くないよー。さてさて、早速学園に行こっか。転移していくから手を繋いで。ローゼは職員の一人を思い浮かべて。その人のとこへ行くから」
「はい!」
「できるだけ具体的にね」
「は、はい!」
「緊張しなくて大丈夫。いずれローゼにもやってもらうかんねー。じゃあちょっとだけ待っててね」
「え」
「ローゼ、シエル殿に魔法習ってるの?」
「うん。なかなかシエルみたいにはできないんだけど」
「それって、魔女の素質があるってこと?」
「さあ? その辺は分からないけど」
「オッケー、行くよー! 思い浮かべてー!」
「はい!」
(ディルおじさん、ディルおじさん、ディルおじさん)
「はい、オッケー! 完璧じゃない?」
食堂で帳簿をつけているディルおじさんの真ん前、つまりテーブルの上に転移した。
「「あ」」
慌ててテーブルから降りる。室内にいたから帳簿は踏んでしまったけれど汚れてはないと思う。謝罪しながら素早く降りた。
「あの、ディルおじさん、こちら、シュレディンガーの魔女シエルです。ハーバル先生とゼラニウムさんを呼んでもらえますか? 私たちがなぜ魅了魔法を浴びても平気なのか分かるかもしれなくて」
ディルおじさんの反応は速かった。
「分かった。ちょっと待ってて」
ディルおじさんは調理場にある電話から二人を呼び出してくれた。
二人の到着を待つ間、ディルおじさんは明日用に作っておいたというスイーツを振る舞ってくれた。
「美味しー! 懐かしー!」
シエルがとても喜んだ。
「カステラだー! すみません。牛乳ください」
ディルおじさんはニコッと笑ってシエルの頭を撫でた。
「ちょっと待ってろよ」
シエルが小柄だから、本当は結構なお年だと分からなかったのかもしれない。シエルは時々よく分からない単語を言うことがある。それを聞いたとしても指摘しないようにお父様に言われていた。
ハーバル先生とゼラニウムさんが急ぎ足で食堂へ入って来た。
「お待たせしました」
「何か分かったんですか?」
二人も着席してまずはスイーツとお茶から。
シエルはもう確認に入っていた。途中、珍しく泣きそうな顔をした。やっぱり難しいのかな。
「はい、オッケー! 分かったよ」
シエルが集中を解いて、明るい声をあげた。
「あなたたち五人に共通しているのは、」
「おやおやおや、そこにいるのはあの時のお嬢さん」
まさかのカモ様の登場に緊張が高まる。私はカーテシーをした。他の面々を隠すように。
「カーモミル殿下にはご機嫌麗しゅう」
「堅苦しいのはいらないよ。仲良くなったじゃない」
「何の心当たりもございませんが……」
「照れなくてもいいんだよ」
殿下の背後にいた取り巻きの方々が私を睨んだ。
「相変わらず無作法だこと」
「カモ様がせっかくお声がけくださったのに、失礼な方」
取り巻きからの当たりが強い。
「はい!」
シエルが掛け声と同時に手を叩いた。大きな音が食堂に響いた。
「な、何だ突然。無礼だな」
「あれ? 私、ここで一体何を?」
「キャッ。カーモミル殿下失礼しました。腕にみだりに触れてしまいました。どうかお許しください!」
「いやー! 何でこんなドレスを着ているのかしら! 破廉恥な!」
蜘蛛の子を散らすようにカモ様の周囲から人が居なくなった。
「ちっ」
カモ様らしくない邪悪な顔をシエルに向けた
「おい! お前か? 何かしただろう」
「勝手に魔女の魔道具を使うなんて良い度胸してんじゃないの」
シエルはカモ様を睨みつけた。
「返してもらうわよ」
シエルがそう言って指を鳴らすと、カモ様の体から装飾品が浮かび上がった。見目麗しかったカモ様が平凡な顔立ちに変わった。
「な! 何だ貴様は! 王家の宝に何をするんだ!」
「何言ってんの。王家は魔女の所有物をただ預かるだけでしょうが! 何勝手に使っちゃってんのって聞いてんの!」
シエルが魔力を練って紐にした。その紐でくるくると縛られ、無理やり椅子に座らされたカモ様。喚き散らしたので猿ぐつわも付けられた。
ムームー!
ウーウー!
凄い形相で文句を言ってるらしい。
もう一度シエルが指を鳴らすとカモ様は消えてなくなった。
「うるさいから送っといたわ。後で国王に文句言いに行ってくる。その前に、さっきの話の続きをさせて。今日はもう会えないかもしれないし」
「ああ! 私たちの共通点」
「そう。それはね、『私からの祝福』です!」
「え? 今日初めてお会いしたんですが……」
ディルおじさんとゼラニウムさんは不思議そうな顔をしている。ハーバル先生を見ると、先生も首を横に振っていて、心当たりはなさそう。
「へへ。実は、会ったこともない相手に毎年私の祝福を贈ってたんだー」
「ええ!? どうやって? なんで?」
「『誕生日』って知ってる?」
私たち五人は皆首を横に振った。
「私が生まれ育った国には『誕生日』っていうのがあって、毎年お祝いをするんだよ。でもね、ここにはないでしょ? 新年になったら皆一斉に歳を取る」
「そう、だね」
「私の誕生日、二月二十九日なの。四年に一回だけ誕生日があるんだけど、知ってる?」
「あんまり気にしたことなかったかも」
私がそう言うとシエルは寂しそうに笑った。
「なんか、そういうのが寂しくってさ、私の誕生日が来る度に、同じ日に生まれた人に祝福を贈ってたんだ。それがこちらの三人が、魅了魔法が掛からなかった理由」
「何とも太っ腹な理由で……」
ハーバル先生は放心状態だ。不思議そうにしているディルおじさんとゼラニウムさんにハーバル先生が説明を始めた。
魔女の祝福はとても高額で対価を必要とすること。
魔女は対価がないと大きな魔法が使えないこと。
『祝福』というのはかなり大きな魔法であること。
毎年その日の為に力を貯めて贈ってくれたのではないか。
ディルおじさんとゼラニウムさんは大きく頷いて、シエルに感謝の言葉を告げた。ディルおじさんはこれからは毎年一緒に祝おうとハーバル先生とゼラニウムさん、そしてシエルを誘った。特大のケーキを作ってやると、誕生日はケーキで祝うと聞いたディルおじさんは俄然やる気になっていた。何それちょっと食べてみたい。
「まあ、私の魔法はちょっと違うからそこまで大変じゃないんだけどね。ローゼとティボルトも私が祝福をしたから魅了魔法に掛からなかったってのは一緒なんだけど、流れが違うんだよ」
「私も祝福してもらってたんだ」
「そうだよー。ローゼは命の恩人だから。で、ティボルトくんはめっちゃ高額な祝福付き魔道具をハルトくんが購入したから、です!」
シエルはニィッと笑った。
「それは凄い!」
ハーバル先生はお目々キラキラで身を乗り出した。
「さすがデリンガー公爵!」
「いやー、結婚相手を占いで見つけて、どうやったら上手くいくかも占いで、生まれる子供にちょー高額な祝福をプレゼントっていう、生粋の占い好き。彼にはめっちゃ儲けさせてもらったわー」
「豊富な資金力が為せる荒業ですね! 失礼ながら見た目からは全く想像ができません!」
ハーバル先生、声が大きくなっちゃってるよ。大丈夫かな。聞かれちゃわない?
「さぁて、この学園内を浄化したら、ちょっと王城に乗り込んでくるわ。お金も私の魔道具ちゃんたちも全部取り返してくる。ああ、今回知り得たことはくれぐれもご内密に。喋れなくなるように魔法掛けといたげるね。その方が安全だから」
そう言い終わる前にまた指をパチンっと鳴らした。
どうも、指を鳴らして魔法を発動するのが気に入ってるっぽいんだよな。なんか白い手袋したいとか言ってたけどなんか関係あるのかな。と考えていたら、私を見てシエルが言った。
「今夜の晩ご飯、いつもの三倍くらい食べれそうって言っといて。じゃあ、行ってきます!」
今度は指を鳴らす前に転移した。やっぱり指を鳴らさなくても魔法使えるんじゃん。
その夜、ホクホク顔で帰ってきたシエルは四人前のディナーをペロリと平らげた。それから返してもらった魔道具やスクロールを説明付きで見せてくれた。詫び金と新しい諸々も貰ってきてた。逞しい。
ちょうどいい年齢になったからローゼも魔女になってみる? と誘ってくれたので、私は学園を辞めて本格的に修行をすることになった。なんか、素質があるらしい。ちなみにうちには母がいない。ずっと思ってたけど、父とシエルはなんか距離が近い。
まさか……ね。
完