お風呂事情と伯爵令嬢!?
「ふぅ……生き返るぅ。」
リィズが湯船につかって蕩ける。
「リズねぇ……溺れるよぉ?」
マイナが少し心配そうに言う……が、こちらも蕩けている。
「やっぱりお風呂はいいよねぇ……。しかも魔道具最新型だよ。モモコ、解析お願い。」
『了解っす!』
モモコに指示を出したあと、私も二人の横に並んで湯船に浸かる。
「ふぅ……ウチのも、これくらいの広さに改良した方がいいかなぁ…。」
……ダメ……適温過ぎて蕩けるぅ……。
私達が今浸かっているのは、ギルドの奥に設置されたVIP用の湯浴み場。
ギルドから特別に許可されたものしか使用できないという、特別な場所なだけあって、お湯の温度と言い、湯船の広さと深さとその滑らかさと言い……まったく文句のつけようのない、最高のお風呂。
後、このお湯って、何か魔法がかけられているよね……浸かっているだけで疲れが取れていくのよ。
私達がなぜ、ここにいるかというと……。
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「はぁ?伯爵様から呼び出し?」
苦労して大ネズミの駆除から帰ってきた私たちに、受付嬢が告げたのは、この街の代表である街長さんからの伝言だった。
街長さんと言えば、この街で一番偉い人……ではなく、その上に、大地の街を含む、この辺り一帯を治める領主様がいて、その領主様のご息女が、私達を名指しで屋敷に招くというのだ。
……まぁ、それでも、街長さんって、一応、偉い人だと思うんだけどねぇ……使いっパシリにするのってどうかと思うよ?
でも、まぁ、なんで呼ばれたかはわからないけど、一介の冒険者である私達が断るなんてできるはずもなく……そして、地下水路を歩き回っていたせいで汚れ切った私達をそのまま伯爵邸に行かせることなんかできるはずもなく……。
そう言った諸々の事情から、特別にここの使用許可が下りたってわけ。
「はぅ……。お姉ちゃん、ここの石鹸いい匂いがしますぅ……。」
マイナちゃんが私の身体をクンクンと嗅ぎながら言う。
うん、ちょっと恥ずかしいからやめようね?
「さすがはご貴族様御用達のモノを揃えているっていうだけはあるわねぇ……。」
リィズも、自分の頭の付近の毛並みを撫でながら感心したように言う。
獣人なだけに、毛並みが艶やかになることが嬉しいのだろう……多分。
「そうねぇ……これくらいのモノを大量に作ればもうかるかな?」
「お姉ちゃん、作れるの?」
つやつやした頬に水滴を光らせながら、マイナが身を乗り出す。
「うーん、たぶんねぇ。」
私は、魔道具の解析を終えたモモコに、ついでに洗剤類の解析もお願いしておく。
この世界における石鹸は、たぶん地球の中世の頃のモノと変わらないはず。
となれば、現代日本のモノに少し近づけるだけで、爆発的な人気が出るに違いない。
「って、マイナちゃん?」
「お姉ちゃん、是非石鹸をっ!ねっ、ねっ、作ってよぉっ!」
湯の波をかき分けるように、ぐいぐい迫ってくる勢いで、マイナが覆いかぶさるようにして迫ってくる。
「ち、近いっ、近いってっ!」
私はそのまま後退るが、背中にひやりと別の感触。
「カナミ……シャンプーも……。」
後ろからリィズが、にこりと微笑んで肩を押さえつけていた。
……リィズ。お前もかぁっ!
叫ぶ声が、タイル張りの壁に反響してこだまする。
その横でマイナとリィズは「ふふふ」と怪しくシンクロ笑い。
どうやら、私の石鹸作りは既定路線……逃げ場はないらしい――。
その後も、リィズとマイナが、どんな石鹸がいいかという話題で盛り上がるのだった。
◇
「クスクス、びっくりした? びっくりしたでしょう?」
弾む声とともに、イーリスが椅子から跳ねるように立ち上がった。両手を背に組み、にこにこと私たちの顔を覗き込む。
「……まあ、少しは驚いたかな」
私が曖昧に返すと、イーリスは少しむくれる。
「どうしてよぉっ!もっと驚いてよぉ。「驚いた!びっくりした!イーリスちゃん」と言って甘やかせぇ!」
いきなり駄々っ子モード全開のお嬢様。
まぁ、あの時の様子から、それなりに上級貴族だとは思っていたから、イーリスが思うほど驚くわけはない。
「イーリス様。皆を驚かせるのは結構ですが、そろそろ本題を――」
そう言って、その場を収めようとしたのは、あの時も側にいた、次女のマリアさん。
「やだっ!」
だけど、イーリスが勢いよく首を横に振った。頬をふくらませ、子供のように。
「せっかくお姉様を呼んだんだから、もっと私のこと見てよ。会いたかったって言って、抱きしめて!私を甘やかせぇっ!」
「……イーリス様」
私は困ったように眉を寄せる。
「ぶっぶー!それダメ。私の事は「イーリス」って呼び捨てにしてっ!これは命令なのっ!」
……うーん、可愛らしい「命令」だけどどうしたもんかなぁ?
私は視線を彷徨わせると、マリアさんと目が合う。
マリアさんは、軽く目を伏せ、小さく頭を下げる。
……仕方がないかぁ。
「はぁ……。」
イーリスの期待に満ちた瞳を前にして、やがて観念したように小さくため息をついた。
「本当に……甘えん坊なのだから」
そう言うと、カナミはゆっくり立ち上がり、イーリスの頭へ手を伸ばす。撫でられたイーリスは満面の笑みで、子猫のように目を細めた。
……なんでここまで懐いてくれているのかが分からないけど……ね。
「ふふっ、やっぱりお姉様は優しい~。ね、もっと撫でて。ずっと撫でてて」
「……少しだけだよ。」
そう言いながら、イーリスの髪を鋤くように優しく撫でる。
イーリスはその腕にすり寄り、満足げに甘い吐息を漏らす。
話を進めたいカナミと、思い切り甘えたいイーリス。
二人の温度差は明らかなのに、部屋の空気は不思議とやわらかく溶けていく……。
「ふふっ、もっと撫でて、ね?」
イーリスは甘えるように身を寄せ、私の手を逃さぬように絡め取っていた。
その微笑ましい光景に、部屋の空気が少し和みかけた――その時。
「……う、ぐすっ……」
小さな嗚咽が耳に届く。振り返ると、マイナが今にも涙をこぼしそうに唇を噛んでいた。
「マ、マイナ?」
思わず声を上げると、堰を切ったようにぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「わ、私だって……お姉ちゃんに甘えたいのに……! イーリス様ばっかりズルいです……!」
その言葉に、イーリスの顔が真っ赤になる。
「えっ、ち、ちがっ……わ、私、そんなつもりじゃ……!」
慌てふためき、撫でてもらっていた手をぱっと離す。
「カナミに甘えたいのは本当よ! でも……でも、マイナを泣かせる気なんてなかったの……!」
イーリスは必死に弁解し、涙目のマイナへと駆け寄る。
はぁ……
私は深く息をつきながら二人を見つめた。
――片方を甘やかせば、もう片方が泣き出すかぁ……。
どうしたもんかねぇ、と、リィズとマリアさんに視線を向けるが、二人はそっと目を逸らす。
ハイハイ、役立たずってわけね。
「ズルいです! 私だってお姉ちゃんに撫でてもらいたいのに!」
私が、どうしたもんかと考えている間に、マイナが涙を拭いながら、イーリスに詰め寄る。
「ず、ずるいって……! だって私だってカナミに……お姉様に甘えたいんだもの!」
イーリスも負けじと反論するが、声色にはどこか困惑が混じっている。
「だからって……私の前であんなにベタベタするなんて!」
「そ、そんなつもりじゃ……でも……」
言葉を詰まらせるイーリス。マイナを泣かせてしまった罪悪感と、どうしてもカナミに甘えたい本心との板挟みで、戦局は完全に不利だった。
「……っ」
マイナがまた涙ぐむのを見て、イーリスは慌てて両手をぶんぶん振る。
「ご、ごめんなさい! 私、マイナとも仲良くしたいの! 友達になりたいのよ!」
「……ほんとに?」
疑わしげに見上げるマイナ。
「ほんとに! だから、その……私のことも嫌いにならないで」
必死に訴えるイーリスに、マイナは少しだけ頬を膨らませ、それからふいと視線を逸らした。
「……わかりました。私も大人げなかったです……。」
……大人げないって……確かイーリスちゃんと一つしか違わなかったよね?
私がそう言うと、「一つでも私の方が大人なんですっ!」と言われてしまった……ゴメンナサイ。
「お詫びと仲直りの印として、今からおやつを作りたいと思います。」
「えっ……おやつ?」
ぱちぱちと瞬くイーリス。
「そうです! 甘いものを食べて仲直りです……私はイーリス様のお友達ですから。」
マイナの宣言に、イーリスは一瞬きょとんとした後、ふわりと笑顔を咲かせた。
「……うん、いいわね! じゃあ私も手伝う!」
こうして、甘やかしをめぐる小さな争いは、おやつ作りという和解の形に収まっていった……。
………ってか、私達って、何のために呼ばれたのかな?
 




