6話 それから、どうなったの?
「……それから、どうなったの?」
わたしはミレイを連れてパン屋である自宅に戻っていた。泣きじゃくる彼女を落ち着かせたかったし、詰め所のすぐ側のあの場所では、そのうち誰かが(主にアルテアが)様子を見に来てしまいそうだったからだ。
自宅に辿り着き、店の二階に上がろうとしたところ、従業員のリタにはまだ営業中だと文句を言われた。でも今はミレイの話を聞くのが先決だと思ったので強引に押し通らせてもらった。これが雇用主の権利よ。
ちなみにリタとミレイは顔見知りだったらしく、お互い顔を合わせて少し驚いていた。
そうして二階の寝室で並んでベッドに座り、ミレイを落ち着かせたところで、彼女からここまでの経緯を話してもらっていたのだ。けれど、それは正直わたしにとって、理解を遥かに超えた話で……
「詰め所の爆発に巻き込まれ、炎と煙に巻かれた私は、そこで再び命を落としました」
「って、ことは……また、過去に戻ったの? ……もしかして、二人を助けるところからやり直し?」
「いえ、今度はリタさんとアルテアさんが助かった後、二人と一緒に一般市街区に戻るところからでした。セーブポイントが更新されたんだと思います」
「……せーぶぽいんと?」
わたしが疑問を顔に表すと、ミレイは少し申し訳なさそうに謝る。
「すみません、こっちの話です。とにかくそこから、今度は騎士団詰め所の爆発の原因を突き止めるために、あちこち奔走する羽目になりました」
「それがこの間の、詰め所の襲撃事件、ってこと?」
「はい。犯人は貧民街の殺人と同じく、悪魔崇拝者の一員でした」
「……もしかして、仲間がやられた報復?」
「それも、あったのかもしれませんが……主な目的は、捕らわれた仲間を助けるため、もしくは口封じするため、だったみたいで……」
「口封じ……って、殺してしまうってこと? ずいぶん過激ね……。というか自分で言っておいてなんだけど、相手の行動が早すぎない? いえ、わたしもそういうのに詳しいわけじゃないけど」
「私も最初は疑問だったんですが……どうやら、貧民街の一件を目撃していた他の仲間がいたらしく、そこから情報が伝わって……」
「詰め所を襲撃する計画を立てたと」
ミレイがコクリと頷く。
「犯人は複数で、深夜の、人がいなくなる時間を見計らって詰め所に油を撒いて、大きな炎が爆発する魔術で襲撃してきたんです」
「油と炎……だから大きく燃え広がって、近くの建物も焼かれちゃったのね。……わたしが詰め所の様子を見に行った時、中からは数人分の焼死体が発見されたって言われてた。あれは、あなたと騎士たちの……」
「おそらくは……それに、もしかしたらアルテアさんも……」
その様を想像したのだろうか。彼女の顔がにわかに青くなる。それを見ながらわたしは、気にかかっていた疑問をぶつけた。
「……ねぇ、ミレイ。あなたの力は未来を見ることじゃなく、全部自分の身体で体験してようやく分かることなのよね? だとしたら……それほどの情報を手に入れるまでに、あなたは何度死んで、過去をやり直したの?」
その問いかけに、彼女はわずかに暗い表情を見せながら、儚げに微笑む。
「……今回は、二回だけですよ。たったそれだけで、アルテアさんたちの命が助かったんですから。安いものです。私には、これくらいしかできませんから」
「……」
その笑顔に何か言いたくて、放っておけなくて、けれど頭の悪いわたしには何を言えばいいのかも思いつかなくて……気づけばわたしは、彼女を無言で抱きしめていた。
「あ、あの……マリナさん……?」
「~~……ううん。いいの。なんでもないわ」
態度で伝えるしかできない自分に歯噛みしながら、わたしは彼女を解放した。
「それで、その情報を基に事前に犯行を止めてなんとか解決したから、詰め所の襲撃自体がなかったことになって、火事の跡も消えてしまった、ってこと、なのよね?」
わたしが自信のない様子で呟くと、ミレイは小さく頷いた。それを見ながら、一つ息を吐く。
「こことは違う世界に、ループ……死ぬと過去に戻ってしまう力、か。正直わたしにはよく分からないことばかりだけど……」
「そう、ですよね……こんなこと、簡単に信じられませんよね……」
「信じるわよ」
わたしの言葉に、ミレイが目を瞬かせる。その顔がかわいくて、わたしはわずかに笑みを浮かべた。
「わたしね。最近になってから、焼き立てのパンの香りを不意に感じるようになったの」
「パンの……? パン屋さんだから……?」
「そうかもしれないけど、普段のそれとはどこか香りが違っててね。パンが傍にない時に感じることもあった。で、その香りがするのは決まって、身近に起きた事件の合間。事件が起きた記憶と、起こらなかった記憶との境目なの。今ミレイから聞いた話と、回数も一致する。あの香りはきっと、ミレイがループっていうのをして、過去をやり直した証なのよ」
「私が……? ……私が死ぬと、マリナさんがパンの香りを感じる……? でも、その二つに関連があるかは……」
「そうね、分からない。でも、同じ時期にわたしがその香りを感じるようになったことは、事実なのよ」
「そう、かもしれませんけど……それだけで、私の話を信じてくれるんですか……? こんな、わけの分からないことを……」
「確かに分からないことだらけだけど、あなたが嘘を言ってるとは思えないもの。それに、過去を変える前と、変えた後の記憶。わたしがどっちも憶えているのが、何よりの証拠でしょ? だから――信じるわ」
「マリナさん……ありがとう、ございます。……う、うぅ……」
ミレイはわたしに礼を言ったかと思うと、またポロポロと涙をこぼしてしまう。
「あー、また泣いちゃって。どうしたのよ」
「すみません……なんだか、気が抜けたというか、安心したというか……」
涙を拭きながら、ミレイがポツポツと口を開く。
「……皆さんを死なせずに助けられたことは、本当に嬉しいんです。でも、改変する前の、私を刺したことを後悔して必死に呼びかけてくれたリタさんや、命を懸けて戦ってくれたアルテアさんの気持ちが、なかったことになってしまったのが、寂しくて……それに、過去に戻れると分かっていても、やっぱり死ぬのはすごく怖くて……私、これでも頑張ったんです。何度も死んで、頑張ったんです。でも、そんなこと、誰も憶えていなくて……だけど、マリナさんが、憶えていて、くれて……それが、嬉しくて、救われ、て……」
「もー、ほらほら、泣かないで。よしよし」
「すみま、せん……」
落ち着かせるために彼女の頭に手を置き、ポンポンと撫でてあげる。
(でも、そっか……一人で見知らぬ場所にやって来て、死んだら過去に戻るなんてわけの分からない状況だと思ったら、今度は周りが誰もそれを憶えていないんだものね。不安になって当たり前だし、憶えてるわたしを見つけて安心するのもしょうがないか)
きっと安心しすぎて、今まで張りつめていた緊張が一気に解けてしまったんだろう。涙が止まらないのもそのせいか。普段の気弱な態度といい、この泣き顔といい、なんだか無性に放っておけない。なんだろう、この気持ち――
(……ん? というか待って。違う世界?とやらからここに連れてこられたこの子には、当然この世界に身寄りも、帰る家もなくて、冗談抜きに一人ぼっち、で……。……)
その事実に気づいたと同時に、急激に胸が締め付けられる。
この胸で渦巻く感情に名前をつけられないまま、わたしは勢いのままに口を開いた。
「……ねえ、ミレイ。ミレイは今、騎士団の詰め所で生活してるのよね」
「え? は、はい。細々とした雑用を引き受ける代わりに、あそこに住まわせてもらっています」
「それって、さすがにお給金は出ないわよね?」
「……? そう、ですね。そこまでしていただくのは申し訳ないですし、正直今は、この世界での生活に慣れることに精一杯で、考えつきもしなかったというか……」
そこまで聞いたわたしは、心中で一つの決断をする。
「それならさ、ミレイ。ミレイさえよければ……うちで、いっしょに暮らさない?」
「……え?」
わたしの提案を耳にしたミレイは、まだ涙の跡が残る顔にポカンとした表情を浮かべるのだった。